フランダースの帽子 書評|長野 まゆみ(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月18日 / 新聞掲載日:2016年3月25日(第3135号)

「記憶」のあいまいさ、不確かさをめぐって描かれた六つの作品

フランダースの帽子
著 者:長野 まゆみ
出版社:文藝春秋
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ダブル(分身、分心)のテーマは、「私がわたしである」という意識のゆらぎの間隙をぬって現われる。書物のなかで体験する人があれば、もうひとりの「わたし」をかかえて分裂心理に懊悩する人もある。本書では、「ダブル」の「二」という心理さえ、不明にさせていく「記憶」のあいまいさ、不確かさをめぐって描かれた六つの作品だ。

表題「フランダースの帽子」には、双子の父親の数奇な物語を語って聞かせる双子のように似た姉妹が登場。マンガやイラストの交流即売会で出会った高校生たちは、姉(ミナ)と妹(カナ)が語る家庭の事情という物語を崇拝し、脚色と演出と擬態、虚言と妄想のパフォーマンスを無防備に受け入れて楽しむ。姉妹が姉弟(ミナエ・カナタ)で家族物語も嘘だったことが分かったのは、主人公が交流会に出品した絵〈フランダースの帽子〉の行き先にたどりついたときだった。妄想上の〈二人という病〉は感染する? 主人公にも似ていない二歳年上の姉がいる。姉妹は人工授精で生まれ同母だが遺伝子上の父は別々だったという秘密が明らかにされる。

出生にまつわるモノカタリ(騙り)が秘されたのは、「シャンゼリゼで」だろう。雑貨店のオーナーで読書会の主宰者の母々子は、「語りとは騙りのこと」であるとうそぶく。読書会で選定された「ふねをたたむ しろいかみの」ではじまる限定二〇部の詩画集『かみのふね』には、古代の姫彦制(ダブル)が重ねられた。

プルースト的な〈時〉をいっきにたぐり寄せるのは「ポンペイのとなり」。母一人が暮らす市営住宅の郵便受けに届いた弟宛の一枚のはがき。差出人の〈湖〉という一字が三十年分の月日を高速で逆回転させ、記憶の断片がよみがえる。二段ベッドの置かれた四畳半の子供部屋。壁に貼られたポンペイ遺跡のグラビア、小さな骨壺のような白い陶器の貯金箱。すべてのものを共有し洋服の取り換えもした年子の姉弟。小学校五年のとき原因不明の頭痛で入院したわたしは、弟と同じ学年でやり直すことになる。学習塾で出会った男の子が〈湖〉だった。中学二年のとき〈湖〉は引っ越し、弟は消えた。やがてわたしの経験と弟の経験とがまじりあい、記憶が上書きされていく。中学二年の秋に死んでいたのは姉であり、語り手のわたしは弟だった。記憶の取り換えの仕掛けには驚ろかされた。

「ノヴァスコシアの雲」は、ユニバーサルデザインフード会社に勤務する主人公が出会った不思議な猫と老婦人との交流。賢治の詩や童話の時間に降りていくのだと言い換えてもいい。挿入された雲の観測にとりつかれたあげくに海難事故にあった青年の話。老婦人の語る〈雲族〉の地下活動や外出したまま戻ってこない夫。〈猫の事務所〉〈雲の事務所〉〈アネモネの家〉〈雲を編む日〉〈雲の信号〉…。老婦人が編み棒を動かせば、嚥下障害、記憶障害などの現実が、幻想世界に溶け込んでいくファンタジー。

「伊皿子の犬とパンと種」ではスキュバーダイビング中に事故に遭い記憶喪失になった30歳の青年が登場。複数の養母、義母、内縁の妻、愛人を名乗る高齢の婦人たちの証言。足跡をたどれば、彼は介護ヘルパーで老婦人たちの妄想を拡大させる話し相手だけでなく、老婦人に変装までしていたのだ。ダブルの「二」は「三」にも「四」にもなりうる。人は架空の私を生きたがっているのかもしれない。「一」である私を消して、行方不明になりたがっているのは、読者であるあなただろうか。
この記事の中でご紹介した本
フランダースの帽子/文藝春秋
フランダースの帽子
著 者:長野 まゆみ
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
「フランダースの帽子」出版社のホームページはこちら
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