蚕 絹糸を吐く虫と日本人 書評|畑中 章宏(晶文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月18日 / 新聞掲載日:2016年3月25日(第3135号)

養蚕をめぐる悲喜こもごも
産業のフォークロアという視点で解き明かす

蚕 絹糸を吐く虫と日本人
出版社:晶文社
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一九三一年、昭和恐慌のただなかで発行された柳田國男『明治大正史 世相篇』は、この国の民俗学の一つの起源と見ることもできるが、それが問おうとしていたことの一つは、農村がなぜ疲弊してしまったのか、ということだった。柳田は、殊更に農村が恐慌のしわ寄せをくらうことになった原因を、明治から大正という約六十年間に、農村の暮らしが現金をより多く必要とするようになり、日常の消費も生産も市場の仕組みに包摂されていった過程から解き明かそうとした。『世相篇』の柳田は、全くといっていいほど触れていないが、その農家が現金を得る重要な手段の一つが養蚕だった。『世相篇』という、この国の民俗学の古典の背景には、養蚕という歴史が含み込まれていたはずであった。

本書によれば、養蚕業の最盛期であった一九三〇年代は日本の農家の四十パーセントで、養蚕が行われていたという。そして教科書的に言うなら、日本の輸出の主要品目だった生糸の価格が恐慌により暴落し、結局、農家から買い上げる繭値が買いたたかれ、農家が追い詰められていった。

かつての日本の農村が、そして日本の近代が、養蚕にどれほど多くを頼っていたかという記憶は、今、十分には受け継がれていない。世界遺産になった富岡製糸工場だけでは、繭をめぐる私たちの悲喜こもごもを十分に語ることはできないだろう。

本書は、そんな蚕と日本人の暮らしの関わりを、「産業のフォークロア」という視点で解き明かそうとする。記紀の時代から、第二次大戦後の歴史をたどる「一、蚕と日本社会」、主に東日本に濃く伝承されるオシラサマや蚕影山信仰などから、かつて蚕に生活をかけた人びとの思いを探る「二、豊繭への願い」、そして繭の天敵である鼠の駆除を願う、蛇や猫に対する信仰を取り上げる「三、猫にもすがる」。最後は、八王子という、養蚕の盛んだった土地であったとともに、明治時代前期に信州や上州、甲州で産出された生糸を、横浜港に運び出す通称「絹の道」の起点でもあった地域を歩き、かつての繁栄の痕跡をたどる「四、東京の絹の道」。以上の四章で構成される。

養蚕の技術革新が進んだ十九世紀の養蚕の指南書・上垣守国『養蚕秘録』(一八〇三)が、シーボルトによってヨーロッパに伝えられ、フランス語、イタリア語に翻訳されて、その交配技術がパスツール研究所の遺伝研究に資したこと(三〇頁)。第二次大戦中は、絹布が日本のパラシュートの重要な素材であり、日本からの輸入に頼れなくなったアメリカは、ナイロンの開発に着手したこと(七六頁)。「皇后の養蚕」は昭憲皇太后から始まり、中断を含みながら、養蚕が衰頽した今も、美智子皇后に引き継がれ、現在は「小石丸」という品種を作り続けて、それが古代織物の復元に大きな役割を担ったこと(八六頁)等など、いくつものエピソードが印象に残る。

神社の由緒や祭礼に刻まれた伝承を読み解き、近世末期にハインリッヒ・シュリーマンが書き留めた記録から八王子の養蚕地帯の風景を取り出し、そして明治前期の旅行家イザベラ・バードの紀行文から山形の養蚕農家のありようを語る。そして宮本常一、瀬川清子、今和次郎らの仕事をひもとく。蚕にまつわる情報が実に手際よく、著者のいう産業のフォークロアとして編まれていく。

著者自身による、聞き書きの資料が提示されていない、という半端な批判があるかもしれないので一言しておきたい。本書は、場所をたずね歩きながらも、安易に聞き書きに頼った叙述をせず、これまでに残された史資料の叙述を歴史の文脈に従い丹念に集めていくという態度を選択したのだと思う。ただ、この国の歴史に染み込んでいるはずの養蚕をめぐる、あの悲喜こもごもが、どれだけ伝わってくるか、それは読む人によるだろう。産業のフォークロアという、新たな視点の可能性を掲げた著者が、次に何を語るのか、今後の史資料との格闘を、さらに読んでみたい。
この記事の中でご紹介した本
蚕  絹糸を吐く虫と日本人/晶文社
蚕 絹糸を吐く虫と日本人
著 者:畑中 章宏
出版社:晶文社
以下のオンライン書店でご購入できます
「蚕 絹糸を吐く虫と日本人」出版社のホームページはこちら
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