『ダゲレオタイプの女』で海外初進出となる黒沢清監督と主演タハール・ラヒム ―記者会見レポート―|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年10月14日 / 新聞掲載日:2016年10月14日(第3160号)

『ダゲレオタイプの女』で海外初進出となる黒沢清監督と主演タハール・ラヒム ―記者会見レポート―

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二〇一五年、カンヌ国際映画祭「ある視点部門」において、『岸辺の旅』で監督賞を受賞した、黒沢清監督の最新作『ダゲレオタイプの女』が、十月十五日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国ロードショー公開される。本作は黒沢監督がオールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語のオリジナルストーリーに挑んだ、初めての海外進出作品となる。「ダゲレオタイプ」とは、フランスで生まれた世界最古の撮影技法であり、長時間の露光を必要とするため、被写体となる人物は、動かないように身体が拘束されたまま撮影される。登場人物の写真家ステファンは、このダゲレオタイプのカメラを用いた写真家である。写真家の助手である主人公ジャンは、撮影を通して、モデルを務めるステファンの娘マリーに惹かれていく……。公開を目前にした九月十五日、東京赤坂で、黒沢清監督と、主演のタハール・ラヒムさんの記者会見が開かれた。その模様をお伝えする。 (編集部)

――フランスで撮影することになった経緯をお聞かせください。
黒沢
これはもう様々な幸運な出会いがあったからです。随分昔から、チャンスがあれば一度海外で映画を撮ってみたいという夢は持っておりました。そんな夢を持っていない日本人の監督はいないと思います。今までも僕の映画はフランスで公開されており、作品を見てきてくれた年月が長くあります。そうした中で、フランス在住の日本人プロデューサーが、「フランスで一本映画を撮らないか」と声をかけてくれました。それがそもそもの作品のはじまりです。そこから数年準備をして、素晴らしいスタッフと俳優たちに出会うことができ、ようやく完成させることができました。この間、本当に夢のような時間だったと思います。

――映画のもとになったアイデアは、かなり以前から黒沢監督の頭の中にあったとうかがっています。当時のアイデアと最終的な脚本と、変更点などはありますか。
黒沢
元々は、ダゲレオタイプという写真を撮ることにまつわるホラー映画を考えていました。そういう意味で、基本の骨格は変わっていません。ただ、フランスでやることになって大きく発展させていったのは、中心となる主人公の若い男と、ダゲレオタイプのモデルをやっている女性との関係についてですね。ふたりのラブストーリーにするというアイデアはあるにはあったんですが、大きな扱いではありませんでした。このふたりがどういうふうに愛を貫いていくのか。ここをもっとも大きなテーマにしようと思い、フランス版にする際に書き足しました。

――ラヒムさんが演じたジャンは、物語を通じて徐々に現実感覚を失っていく男です。幻想に溺れていく過程を演じるにあたって、どのようなことを心がけましたか。
ラヒム
どんな映画に出演する時も、その役作り、準備はしますが、映画によって違います。どんな監督と仕事をするかによっても違います。今回のジャン役を演じるにあたって、私は、何度も黒沢監督と話をしました。そして人物への理解を深めようと思い、この若者がどんなことをしてきたのか、どういう人物なのかを理解しようとしました。監督と話をしてわかったのは、ジャンというのは本当に普通の、今どきのフランスにいる若者だということです。たまたま仕事がなく、撮影助手の仕事についた。決して突飛な人間ではなく、普通のその辺にいる男の子、若者であることが大事であり、それを見せることが大変重要だということを理解しました。主人公がこうしたちょっと変わった世界に入り込んでいく映画の場合、観客が映画の世界に入り込みやすいように、あくまでも普通の一般の若者であることを見せるのが大事だということです。そう演じることよって、見ている人たちは、自分と主人公を同一視することができる。主人公のジャンは、幽霊に徐々に魅かれていきます。そのなかで、彼自身も次第に変わっていく。ある時、自分の前にいる女性が死んでいるのではないかと思う瞬間もあります。そうやって不安になると、その度に女性に触れる。彼女に触れることで、さらに彼女に魅了されて、マリーが死者であることを忘れていく。そのようにして現実から目をそらしていくわけです。私は、監督と話をすることで役作りをしていきました。また黒沢監督の持っている世界を理解すること。これがとても大切です。大学で黒沢監督のことは勉強していましたが、実際に話をすることで、より理解することができるようになりました。

――ステファンが幽霊に苦しめられるのは、彼自身の行為に原因がありますが、ジャンの苦しみは、「巻き込まれ型」です。一方で、ジャンのマリーへの愛には、黒沢さんが『LOFT』で描いたような「宿命の愛」というモチーフも感じられます。ジャンに降りかかる物語を、偶然性と必然性という観点から、どのように考えて構築されたのでしょうか。
黒沢
「偶然性と必然性」とはっきり分類できるほど、論理的に二人の関係を構築していったわけではありません。ジャンとマリーとの二人の関係、二人のドラマでやりたかったことに関しては、こういうことが言えると思います。西洋のゴーストストーリーにはほとんどないパターン、最近の日本の「Jホラー」と言われる映画にもほとんどないもの。しかし日本の古い怪談にはよくあるストーリー、男女の関係ですね。前半は幽霊などどこにも存在しない。『四谷怪談』を思い描いていただけるとわかりやすいのですが、ある男女の関係がある。ところがある時、不幸なことに、女性が死んでしまう。そこから幽霊となる。そこで男と女の関係が変化し、発展していく。そういうドラマを作ってみたかったということです。もちろん昔の怪談の場合、怨みの感情が後半大きくクローズアップされていきますが、今回はそうではない。一方が死ぬことによって、より相手に対する愛が高まっていく。昔の日本の怪談映画の怨みを、愛に置き換えたようなふたりの関係。そういうドラマをフランス映画で構築してみたかった。それがひとつの狙いでした。
タハール・ラヒム(左)と黒沢清監督


――黒沢監督がラヒムさんをキャスティングされた理由をお聞かせください。
黒沢
彼の作品を見て魅力を感じていましたし、お会いした時の直観的なものですね。この人は僕の映画の中に出てくれるのがふさわしい人物だと、直感的に思えたということです。これは日本人の俳優でも同じです。初めて会った瞬間の直観が、ほとんど決め手になります。それ以外には、説明しようがありません。ただ、撮影が進んでいくうちに、予想していたよりもはるかに精密で、力強い表現者であることが、ワンカット撮るごとに感じられました。そこは驚きました。脚本には単純な感情の流れしか書いていませんが、それを何段階にも分けて、いくつかのものを混ぜ合わせて、感情のポイントを掬い取って表現する。そのことを自ら判断し、本当に的確に表現してくれたと思います。元々の才能と、訓練された技術、両方から来ることだと思いますけれども、そういう資質を兼ね備えた俳優だということは、やっていくうちにわかってきて、正直言って、びっくりしました。

――ラヒムさんのそうした演技プランは、シナリオを読まれて、すぐに考えつかれたのですか。
ラヒム
いえ、はじめから準備していたものではありません。徐々にそういうふうに入り込んでいくんです。もちろんシナリオを最初に読んだ時、大まかな人物像は想像します。地方から来た若者であるとか、いくつかの細かい情報は頭の中に入れておきます。ただ、私の場合、現場で役に対する理解が深まっていきます。相手役と一緒に演技をしている時であったり、衣装を着た時であったり、監督と話をしたりすることによって、すべては現場で演技が決まっていきます。もちろん私たちは俳優なので、演技をしたあと、監督に「OK」のサインを出してもらわないと、自信を持てません。監督をちらっと見て、満足しているような顔をしていたら、そこで初めてよかったんだなと理解して、演技をつづけます。ティーパックをお湯の中に入れると、少しずつお茶が抽出されていきますよね。まさにああいうイメージで、徐々に役に入っていく感じです。それと今回、理由はなぜだかわかりませんが、『スケアクロウ』のアル・パチーノの演技から少しインスピレーションを得ています。内面的な部分というよりは、特に身体的な面でインスピレーションを得ました。
黒沢
その話は、今はじめて聞きました(笑)。僕から付け加えると、さっきタハールさんが、生きているか死んでいるかわからない相手に触れることによって実感を得るという話をされましたね。そういう演技をしつつ、物語の後半になると、ちょっとした犯罪のような行為を着々と進めていく。そこにはとても冷静な計算と確かな論理的思考が必要となってきます。そういう演技も一方でやっている。現実と非現実の区別もなくなっていくような演技をしながら、まったく逆の有り様を表現する。そこはすごく難しいお芝居だったと思いますが、本当に完璧に演じてくれました。
ラヒム
難しい役だからこそ、あまり自分自身に質問を投げかけないようにしました。「どうなんだろう?」と自問することも、時には大切なんですけれども、あまりそれをやりすぎると、演技に自然さがなくなったりしますからね。監督がおっしゃったように、今回の役は、一方で地に足がついていて計算高い人物でもある。また一方で、非現実の世界に生きているような男です。これは黒沢監督自身の一貫したテーマでもあります。死者と生者のあいだの繋がりということですね。私自身も、この映画の中でそのふたつの境界にいるわけです。

――ヒロインを演じたコンスタンス・ルソーさんの存在感が素晴らしく、相手役として選ばれた理由をお聞かせください。またタハールさんは共演されて、どこが印象的だったでしょうか。
黒沢
彼女こそ、この映画におけるひとつの発見だったと、僕は思っています。既にいろんな映画に出てはいますが、タハールのように主役をどんどんやっている俳優ではありません。やはり彼女もオーディションで会って、直観的におもしろいなと思いました。マリーの設定は、ジャンと違って、少し普通ではない。父親が持つある欲望の手伝いをしつつ、自分の夢も欲望もあり、それを実現しようとしている。そうした感情に引き裂かれている。彼女の存在は、この映画のポイントです。おそらく彼女以外だったら成立しなかった。不思議な役をよく演じてくれたと思っています。
ラヒム
コンスタンスさんは、とても気持ちのいい人でした。出演している映画も見ていましたし、好きな女優でした。今回相手役がコンスタンスさんだと聞いて、私は喜びました。この役は、生きている時も死んでいる時も、彼女にとても合っている役だと思いましたから。彼女と仕事をして、とても楽しかったですし、人間としてもいい人であり、今でも友だちです。

――おふたりは昨日トロント国際映画祭から戻られたばかりです。ワールドプレミア上映を行なった際には、千席近くの会場が満席になったと聞いています。観客の反応をお聞かせいただけますか。
黒沢
ワールドプレミアが、初めて一般の方相手の上映になります。多分これはいいことだと信じているんですが、何度も笑いが起こったんですね。怖くて笑うということもあるんだと思いつつも、あちこちで笑いが起こって、やや驚きました。好意的な反応なのだろうと思っています。映画の中の登場人物と同調して、感情が同じように揺れ動いて、ある種の笑いが生まれることはありますから、それだけこの作品にのめり込んでくれたんだなと思っています。
ラヒム
私自身も監督と同じように、なぜ観客が笑っているんだろと思いました(笑)。北米の人たちは怖いシーンを前にすると笑いが起きたりするという話は聞いたことあったんですが、監督と一緒で、これはいいサインだと思っています。なぜか。上映後の質疑応答で、とてもいい質問、的を得た質問がたくさん出ましたから、観客はこの映画をよく理解してくれたんだと、私は思っています。

――最後にひと言ずつお願いします。
ラヒム
監督のすばらしさは、一緒に仕事をしないとわからないかもしれません。ただ、観客として映画を見ていても、それは伝わることだと思います。黒沢監督の持っている芸術・技術は本当に素晴らしい。監督の映画を見ることができて、皆さん本当にラッキーだと、私は思っています。
黒沢
フランス映画にこんな作品もあるんだと、驚きながら見ていただきたいという思いと、なるほどフランス映画だと納得しながら見ていただきたいという思いと、両方あります。どちらでも結構です。この映画を、日本人が撮ったとか、そういう観点で見るのでなく、最新のフランス映画の一本ということで楽しんでいただければ、僕にとっては一番幸せです
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