連 載 映画におけるヒーローの表象 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く64|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2018年7月17日 / 新聞掲載日:2018年7月13日(第3247号)

連 載 映画におけるヒーローの表象 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く64

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左からドゥーシェ、E・ロメール、J・タチ
JD 
 長年にわたり、人民は支配層の持つ考えに従うしかありませんでした。そこに、突如として大衆という考えが生まれます。その結果、大衆という考えを表現する必要がありました。英雄とは、大衆の支えとなっていた存在です。英雄とは、正しくあり、正義の側にあり、良き人民の姿を体現し、社会像について語る存在でした。そうした歴史の中で、英勇は文学のテーマとして取り扱われます。当然の成り行きとして、そのような英雄の存在は徐々に姿を潜めて行きます。ロマンティズムの最後の時代に現れたプルーストの小説を思い起こしてください。プルーストの小説の英勇はどこにいますか。
HK 
 英雄どころか、読む側の位置も定かではなくなっていますよね。
JD 
 プルーストにおける英雄像は、登場人物全体を通じて、作品全体を通じて、弱々しくなってしまっています。問題となるのは、英雄には似つかわしくない脆弱さです。
HK 
 そのフランスの英雄について、面白い話を思い出しました。ゴダールとラングが、アンドレ・S・ラバルトの『われらの時代のシネアストたち』の一つとして、対談を行なっています。その中で、現代フランス最大の英雄シャルル・ド・ゴールについて話している箇所があります。ラングは、一貫して検閲に反対する立場を取り続けていたので、そのようなタブーに関する質問をゴダールに投げかけました。フランスにおいて、ド・ゴールは絶対的英雄なので、映画に登場させることができませんでした。今でも、ド・ゴールについては大々的に触れることができませんよね。
JD 
 ド・ゴールについての映画を作ることは今でも禁じられています。日本でも似たような状況はあるはずです。フランスでは、長年にわたり全てを超越した英雄を作る傾向がありました。絶対的に、正しくある存在です。それが、シャルル・ド・ゴールでした。しかし忘れてはならないのは、ナチス占領下において、フランス人たちは同じことをペタンに対して行なっていたということです。ペタンは、絶対的英雄でした。フランスの英雄とは、批難することが許されない存在です。完璧な人であるという考えに基づいています。そのようなフランス的超人は、私の考えでは、ブルジョワジーの文化と結びついていました。なぜなら、今日の世界からは消えてしまったからです。
HK 
 ド・ゴールを例にあげましたが、50年代60年代を通じて同様のことが、脱走兵を扱った映画でも起きています。こちらは、封切りの後に上映禁止とされたりフィルムの没収をされていたようです。
JD 
 根本的なところでは、同じようにして、フランスの英雄という考え方に基づいています。そこに検閲が生まれていました。
HK 
 先日、アラン・カヴァリエの『さすらいの狼』(アラン・ドロン主演、アルジェリア戦争脱走兵の話)が、デジタルリマスターとして封切られました。公開当時には、世論を考慮して、上映禁止にされています。それに加えて、新作映画でも、テシネのように脱走兵に焦点を当てる映画が増えつつある印象があります。つまり、英雄が消えつつあるのではないでしょうか。
JD 
 検閲のようなものは、すでに終わってしまいました。もはや、誰も気にしていません(笑)。そうは言っても、日本では今でも、天皇を映画にすることに関して、非常に強いタブーがあるのではないですか。
HK 
 それは複雑な問題です。一応撮る権利はあります。かつてのフランスのように、政府が出てきてフィルムを没収するまではいかないと思います。それよりも、ネオナチのような集団に襲われるのを避けるためです。暗黙の了解のような感じでしょうか。権力者を撮影するという点では、アメリカは他よりも自由に恵まれていると思います。
JD 
 アメリカ人たちは、大統領を悪く言う権利を持っています。あまりに酷く言い過ぎないと言う条件付きですが(笑)。イギリスでも、女王について悪口を言うことはできません。
HK 
 大統領も女王も、アメリカとイギリスの映画には非常によく出てくると思います。でも、フランス映画の中にド・ゴールが出てきたのは僕の記憶では数作だけ、それも遠回しに出てきただけでした。
JD 
 ド・ゴールを上演するのは難しいからです。加えて…誰もド・ゴールなんか気にかけていないからです。
HK 
 第6共和制の時代には、ロベスピエールみたいになって登場してくるかもしれませんよ(笑)。
JD 
 その頃には、どうでもいい存在になっているでしょう(笑)。

<次号につづく>
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
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