ドキュメント 緊迫する〈東大紛争〉 渦中から再び問題点を探る|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月19日

ドキュメント
緊迫する〈東大紛争〉
渦中から再び問題点を探る

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“1968”連続企画として取り上げた
読書人2018年5月25日掲載 『対談=小杉亮子×福岡安則 東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために』-東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略(新曜社)刊行を機に
読書人2018年6月1日掲載 佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」 <68年5月>と私たち 京都大学人文科学研究所2018連続セミナー第1回載録
この2つの記事は、読書人ウェブ内でも多くのアクセス数を集め、編集部一同、改めて、当時の状況を検証することの重要性を痛感した。
そこで今回は、まさに「東大紛争」の真っ只中にあった50年前の読書人が、当時の出来事をどのように伝えたのか、実際の記事を掲載し、振り返ってみたいと思う。

※以下の記事は昭和43年12月2日発行の読書人紙面にて掲載された記事です。

うずまき、ゆれる東大キャンパスを埋めつくしているのは、全国の大学から動員された学生たちである。「日京」「反日京」の旗をもとに、サブリュックを背負い、ヘルメットをかぶった学生の隊列のあいだを、「有志連合」の集団がかきわけてゆく。11月18日以来つづいている緊迫した状況は、そのまま大学問題のかなめとなった「東大紛争」の位置を表現している。
「大学の自治」を呼号していた東京大学当局は総長空席という非常措置を武器にかえて、収拾への試練に乗り出した。学生組織の全面対決がいつ起きるかもしれない状況のなかではじまった大衆団交こそは、東京大学の、真価をぎりぎりに迫る実験にほかならない。しかも大学を包む状況は、学制改革、治安機構化の歩みを刻々に刻んでいる。「”東大紛争”の問題点」につづいて、東大の11月がたどった経過のなかから、さらに問題点をさぐってゆこう。



【東大闘争の経緯】

一九六八年一月、東京大学医学部生の登録医制度反対運動に対する大学側の学生誤認処分をめぐって始まる。処分に抗議するべく学生たちが安田講堂を占拠したのに対し、東大総長大河内一男が六月十七日、機動隊を学内に導入。大学の自治に国家権力を介入させたことへの批判が高まり、他学部にも抗議活動が広がることとなる。六月二十日には一日ストが行われ、安田講堂前の抗議集会には六千人が参加した。七月、東大闘争全学共闘会議(東大全共闘)が結成され、大学当局に対し、医学部処分白紙撤回、機動隊導入自己批判などの「七項目要求」を掲げる。学部ごとに学生たちは無期限ストを開始し、十月に全学が無期限スト状態となった。十一月には大河内総長以下学部長全員が辞任し、加藤一郎を総長代行とする新体制が発足、事態の収束をはかる。この時期からストライキの長期化を受けて民青系学生が方針を転換して、ストライキ反対の無党派学生と手を組み、全共闘と対立を深めた。民青系とストライキ反対派は、十学部中、七学部で代表団を選出し、統一代表団を結成。六九年一月十日、大学執行部と統一代表団は機動隊に守られた秩父宮ラグビー場で「十項目確認書」を取り交わし、ストライキ解除に向かう。全共闘は闘争を継続し、安田講堂等の占拠を続けたため、一月十八・十九日に機動隊が導入され、封鎖解除と学生の大量検挙となった。六八年度の東大入試は、佐藤内閣の決定により中止となった。
第1回
学内批判に屈す  収拾急ぐ加藤新執行部
1 執行部の交替劇

11月1日、東大評議会は大河内一男総長の辞任を承認すると同時に、全評議会の早期交替を申合せた。この総退陣方針は、医学部不当処分撤回、機動隊導入責任を追及する学内の批判に東大当局が屈したことを意味する。崩壊期の大河内体制の動向はむざんであった。10月下旬には学部長会議、所長会議、評議会が連日のようにひらかれたが、10・21新宿デモののちに学内投票の可能性も加わって、総長らとの会見をもとめる学生たちの影におびえ、きのうは千葉、きょうは府中、さらには二宮と、秘密会議場を転々としながらの「収拾策」の模索が続いた。
大河内体制の終幕にみちびいた直接の契機は、経済学部教授会の「8月10日告知廃止」要求であった。学部長会議、評議会では、ほかに教養学部、教育学部が大河内体制の批判をつづけたと伝えられている。10月後半には、さらに教員101名の(のちに164名)の「われわれの提案」経済学部12教授の告知廃止提案が学内に配布され、さらに総長収拾案が25日「朝日」に報ぜられたのちには8教員の批判が公表された。それらはいずれも、評議会がみずから8月10日告示の誤りを全学集会の場で明示することをもとめるものであった。
総退陣にあたって大河内体制が表明したものは、総長名の「学生諸君へ」という文書だけであった。この文書は、告示によって設置された医学部処分再審査委員会の報告にもとづいて「教育的な処分」の要件を欠いたことをみとめ、警察力導入措置を「自省」した。しかし、この文書は、あるところでは「評議会の議を経て」と言い、あるところでは「私ひとりの責任」と述べて、評議会の責任と総長個人の責任とまぜ合わせていた。全学集会を避けつづけたことも「健康」上の理由に帰していた。
無言のまま退陣しゆく評議会が、その責任を医学部処分決定だけに限ったことは、やがてあきらかとなった。処分決定以降に評議員となった林健太郎、大内力の2教授は、「新執行部」のなかでそれぞれ文、経ニ学部の学部長として再登場した。「責任をとるとは昇格することか」と学生のビラは皮肉った。旧体制のもとでも最強硬派であった林教授を学部長とした文学部は、たちまち学生の抵抗の矢おもてに立たされることとなった。
総長辞任を了承した評議会はただちに次期総長の選挙手続きに入る、という内規が東大にはある。投票日の告示期限である11月10日、ようやく開かれた評議会は、加藤一郎総長事務取扱の提案どおり総長選挙の無期延期をきめた。加藤「新執行部」はこの評議会で信任投票をかちえて、会議にははかることなく少数精鋭ですすむ方針をあきらかにした。この評議会で加藤教授はこれも規則にない「総長代理」という名称があたえられた。弘報委員、学制折衝委員、学制対策本部など、総長代理の直接氏名による新委員がそのご続々と誕生している。「執行部」の手によって東大の規制類はつぎつぎに停止されている。「法秩序」を語りつづけた東大当局が、超法規の権力独走に甘んじながら収拾をいそがねばならないまでに、事態は急迫してしまった。
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