柳田國男と東北大学 書評|鈴木 岩弓(東北大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月21日 / 新聞掲載日:2018年7月20日(第3248号)

柳田國男と東北大学 書評
「学問救世」の志を人文学に注ぎ込む 
新たな展開を探る挑戦

柳田國男と東北大学
著 者:鈴木 岩弓、小林 隆
出版社:東北大学出版会
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本書は、柳田國男の五十年祭を記念して、二〇一一年一一月に東北大学で開催されたシンポジウム「柳田國男と東北大学」をまとめたものである。コンセプトは、帯にあるように、「昭和十二年に、東北大学の法文学部では私を招いて、始めて日本民俗学の講義をさせた」という柳田の言葉を受け、「柳田國男と東北大学の機縁を端緒に、「柳田学」を広く人文学の中に再定位し、その現代的意味を考える」というものだった。

東北大学には民俗学の教員がいないので、このシンポジウムは哲学・宗教学・日本史学・比較文化学・国文学・国語学・言語学・教育学・倫理学を専門とする研究者によって実施された。だが、それ自体は目新しいことではない。民俗学者は柳田國男を崇めながらも研究史の中に位置づけてしまい、対象化して研究することには消極的だった。むしろ、生前はタブーだった柳田國男の研究を進めたのは、他の分野の人々だったからである。

野家啓一「現代を生きる柳田國男」をはじめ、鈴木岩弓「柳田國男と仙台の地」、柳原敏昭「柳田國男に師事した東北帝大生」、鈴木道男「民俗学者の眼に映る鳥」、佐倉由泰「柳田國男と軍記物語」、小林隆「方言分布の経年比較」、後藤斉「エスペラントづいた柳田國男」、水原克敏「戦後改革期の「柳田社会科」構想」、戸島貴代志「沈黙の記述」は、相互の文章を意識しつつ一般向きに書かれているので、読みやすい。

シンポジウムは東日本大震災の八カ月後だったので、その状況が影を落としている。野家は柳田が明治三陸大津波の後をたどった「豆手帖から」の旅に触れ、「口承」という伝達装置が重要であることを説く。そして、幸福を目ざした柳田の思想は、歴史的に形成された共同体の中で生きる人間を出発点とするコミュニタリアニズムの考え方に通底すると見る。大震災後の動揺の中で、柳田を現代の政治思想につなげる視点は重要である。

鈴木岩弓は柳田が仙台を訪れた旅を拾い、「御地方の民俗学はまだあまりに道楽味多く」と批判した内実に迫った。東北帝国大学・宮城県教育大会などの講演を整理したのは労作である。柳原は先の集中講義「日本民俗学」を筆記した大島正隆の業績を顕彰した。中世史の研究者であった大島が民俗学の論文「海上の神火」を執筆した過程を明らかにした分析は鮮やかである。

鈴木道男は柳田が「野鳥」という用語の誕生や日本野鳥の会の創立に深く関わったことを指摘した。佐倉は柳田の『東国古道記』が『太平記』の時代の文化環境を考える上で示唆に富むと述べた。小林は柳田の「方言周圏論」を目視し、経年比較の方法によってその意義を検証した。後藤は柳田がヨーロッパから帰国した後に行ったエスペラントの普及活動を新資料を使って明らかにした。

そして、水原は東北大学にいた竹内利美が『小学生の社会調査』で米国風の社会科教育を批判し、村落慣行の意義を説いたことを引きつつ、柳田の社会科教育の構想をまとめた。戸島は福井で起こった老夫婦の事件が「心中」「孤独死」「病気苦」といった類型では理解できないことを指摘し、柳田の『山の人生』には生に意味を求めない〈沈黙の記述〉というスタイルがあることを述べた。

各論者が東北大学という場を意識しつつ、それぞれの専門から柳田國男と真摯に向き合った点で、本書は画期的な一冊になった。だが、惜しむらくは、やはりシンポジウムから六年余りの歳月が経ってしまったことを挙げねばならない。東日本大震災後に進められた研究の成果は、本書に関わる内容でも少なくない。そうした課題を残すものの、柳田の抱いた「学問救世」の志を人文学に注ぎ込み、新たな展開を探る挑戦が始まっていることを喜びたい。
この記事の中でご紹介した本
柳田國男と東北大学/東北大学出版会
柳田國男と東北大学
著 者:鈴木 岩弓、小林 隆
出版社:東北大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「柳田國男と東北大学」出版社のホームページはこちら
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