「社会文学の三〇年」 バブル経済 冷戦崩壊 3・11 書評|(菁柿堂)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年10月14日 / 新聞掲載日:2016年10月14日(第3160号)

「社会文学の三〇年」 バブル経済 冷戦崩壊 3・11 書評
暗雲が立ち込める現状を批判的に照射すべく上梓された論集

「社会文学の三〇年」 バブル経済 冷戦崩壊 3・11
編 集:日本社会文学会
出版社:菁柿堂
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リオ五輪が閉幕した一〇日後、弾劾裁判によってルセフ大統領が罷免された。政府会計を不正操作した背任罪が表向きの理由だが、その背景には与党・労働者党が推し進めてきた、急進的な差別是正政策への反動があった。

ルセフ政権は、人種差別の解消を目的に、連邦議会議員や連邦大学学生の半数を黒人が占めるように法律を改正しようとした。これらは白人保守層から猛反発を受けた。

三年前、サンパウロ大学に講義に出かけたとき、私が目にしたのは、学長選をめぐって学生自治会が大学本部を占拠し、バリケードを築いて入構を制限しようとする光景であった。大規模なデモが連日パウリスタ通りで繰り広げられ、民主化を求める叫び声が深夜まで鳴り響いていた。

戦後民主主義によって押し広げられた自由な公共圏が、それを敵視する現首相によって制限されつつあるのが今の日本社会である。創立三〇周年を迎えた日本社会文学会は、暗雲が立ち込める現状を批判的に照射すべく一冊の論集を上梓した。『社会文学の三〇年』というタイトルが付された論集には、鼎談にくわえて一五本の論文、活動記録が収録されている。

文学がいかに社会と対峙してきたか―成田龍一、竹内栄美子、小林孝〓の三氏による巻頭の鼎談は、一〇年ごとに時期を分けてこのテーマを検証している。トピックとして取りあげられた九作品のうち、私には目取真俊の『水滴』をめぐる議論がとくに興味深かった。沖縄戦を書き継ぐ目取真は、米軍の辺野古基地・高江ヘリパッドの建設反対闘争の最前線に立つ。つねに政治と文学の火線上におかれる沖縄から目を背けるわけにはゆかない。

つぎに所収論文を具体的に紹介してみよう。
高橋敏夫氏は、現代の日本社会には、3・11以降復興を旗印にした「オールジャパン」体制が押し付けられ、「社会内部の結束を固め『敵』をあぶりだそうとする『戦争のできる社会』形成」が進行したとする。それに対抗するものこそ芸術であるとし、「わたしたちはそれぞれのし方、すなわちフィクションで、行動で、言葉で、「戦争」に憑かれたこの現実、この社会をおびやかそうではないか」と提言する。

小森陽一氏は、井上ひさしの「東京裁判三部作」『夢の裂け目』『夢の泪』『夢の痂』を取りあげる。戦後の象徴天皇制は天皇の戦争責任の免責を前提にGHQによって構想された。その一方「日本国民」が主語となった日本国憲法は、憲法制定権限が天皇から日本国民へと移譲されたことを示す無血革命であった。主語のこの変化を国民はどれほど自覚しているのか―「『しあわせ』は、『自分が主語』になることによってしかもたらされない」ことが強調される。

島村輝氏は「軍人作家」桜井忠温と綿貫六助に着目し、彼らの作品には戦場体験が描かれただけではなく、「大正デモクラシー=世界的『軍縮』の機運から、やがて想定される再度の世界戦争=『未来戦』の見通しまで」、多様な角度から戦争がとらえられていたとする。彼らの名前は今では文学事典の人名項目の一つでしかないが、戦争に再び向かう今の時代だからこそ彼らの作品を研究するのは「喫緊の課題の一つ」であるという。

谷口絹枝氏は、石牟礼道子『苦海浄土』の「かくれたテーマ」が「からゆきさん」であったことに触れる。「からゆきさん」は島原と天草出身者にとくに多く、彼女たちを含む「天草流民」のほとんどが水俣病患者になっていた。『苦海浄土』では、「水俣病を生み出した近代の産業主義を告発する拠点」として「女の胎」への視角が設定されていたとするのである。

『蟹工船』に登場する「方言オノマトペ」に着眼した楜沢健氏は、この作品には近代文学の規範とは逆の言語使用がなされ、標準語を方言的表現に「近づけ、読みかえ、訂正し、矯正していく物語」になっていたことを指摘する。楜沢氏によれば、「吐き気」が充満している現代社会を突破するプロレタリア文学が今待望されているのだという。

重松清が小学校国語教科書用に書き下ろした「カレーライス」を取りあげた根岸泰子氏は、作品を「ゼロ世代の働く女性の置かれていた危うさというコンテクスト」にすえてみると、その底流には「期待される『家族幻想』に回収されない不穏さが渦巻いている」と指摘する。互いのコミュニケーションを避けている父母子がその回路を開くには、「たぶんまったくレベルの違う波瀾と地を這うような苦闘が必要」になるという。

佐川亜紀氏は、現代史を俯瞰したうえで、グローバル化の進展によって「日本語の消滅が空想ではないという現実もある。沖縄の島言葉のように日本語自体が島言葉になるだろう」とする。その一方で「どの言葉でも書ける」という現実の陰には「言語の階層性、権力性、市場と読者の制約が隠されている」という。これらの分析こそ社会文学研究の対象となると指摘するのである。

川村湊氏は、ヨーロッパでは「文」が「商」と対立するのに比してアジアでは「武」と対立する。アジアにおいてこのような対立がみられるのは、「文」が「畢竟は『武』に対する覇道を企てる潜在的な“政治勢力”に異ならない」からである。そこには「近代的個人や近代社会の確立」は「西欧の強圧的な“近代化”とアジアの“植民地化”とに対する抵抗、反抗の思想的な根拠」となる「アジア的な逆説」が介在する。この意味において、アジアの近代文学は「“植民地主義”との果敢な闘争に踏み込まなければならなかった」のであるが、日本近代文学はそのモチーフを「散漫」なものとし、他のアジア諸国に共通する「抵抗的ナショナリズムという理念的基盤を喪失」してしまったというのである。

「在日朝鮮人文学」は「変容」し「終焉」したといわざるを得ないとする河合修氏によれば、実は「『在日』する韓国/朝鮮人による日本語文学」の「新たな可能性を胚胎」していることが意味されているのだという。柳美里『8月の果て』や李恢成『地上生活者』にみられる、「『私』の全体性を探るために過去の出来事を再構築することや、自分が行ったのではない過去の出来事が『私』にどう浸潤し規定しているのかを問う」ことは、「在日」作家のみならず「私たちの文学」すべてにかかわる大切なテーマであるという。なぜならそれらは、「在日」というカッコつきの文学を超えて、普遍への眼差しを獲得しているからであるとする。

浦田義和氏によれば、崎山多美の文学は、「幻想のテーマへと変換」することによって沖縄“シマ共同体”の呪縛から解き放たれた。それと同時に、「琉球歌謡や『シマコトバ』、『沖縄本』に絡まる“沖縄表象”に、“ノイズ”を入れる」ことで「“表現”を抑圧する諸規制に対抗」してきたと指摘する。

文学教育の観点から高口智史氏は、戦後国語教育史を振り返りながら、「他者への想像力を養うために大切なのは、読み手を絶対化するあり方から如何に降りるかということだろう」とする。民主的教育を再構築するには、「まず隣にいる他者の存在と差異を認めること」からはじめ、「自他が相互の存在を認め合うことによってその〈関係〉の中に安定した自己が築かれていく」までのプロセスが必要とされる。高口氏の分析には傾聴すべき点が多々含まれており、文学教育に取り組む人びとにとっては重要な提言になっている。

一九八五年以降の三〇年にわたる原爆文学について村上陽子氏が、原発文学について山本昭宏氏が、ハンセン病と部落問題に関する文学について秦重雄氏が、労働文学について綾目広治氏が整理している。いずれも社会文学が取り組んできた重要なテーマばかりであることは言を俟たない。
この記事の中でご紹介した本
「社会文学の三〇年」 バブル経済 冷戦崩壊 3・11/菁柿堂
「社会文学の三〇年」 バブル経済 冷戦崩壊 3・11
編 集:日本社会文学会
出版社:菁柿堂
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