身体と感情を読むイギリス小説 精神分析、セクシュアリティ、優生学 書評|武田 美保子(春風社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月21日 / 新聞掲載日:2018年7月20日(第3248号)

「情動論的転回」において身体と感情を取り上げることの可能性とリミット

身体と感情を読むイギリス小説 精神分析、セクシュアリティ、優生学
著 者:武田 美保子
出版社:春風社
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近年の身体をめぐる議論を踏まえたうえで、感情とは互いに区分不能である「身体」の問題やイメージが、イギリス小説を含むイギリス文化の根幹にいかに深くかかわっているかを明らかにすること、『身体と感情を読むイギリス小説』が試みているのはこれだ。言い換えれば、身体と感情は、従来認識されてきた以上に、はるかに複雑に関係しあっていることを、イギリス小説テクストにおける「文学表現」の分析を通じて、検証しようとするのが本書の目論見である。

本書は、主としてヴィクトリア朝に生産された文学テクストにおける「身体」が語る声を読み解き、その文化的意味を探りながら、4部構成で議論を提示しているが、本書の議論の出発点ともなっているのが、第I部「ヒステリー症」だ。ジョージ・エリオット『ダニエル・デロンダ』、ジョージ・ギッシング『三文文士』・『渦』を取り上げ、ヴィクトリア朝期の女性の流行病であった「ヒステリー症」という病を軸に、その発症の経緯やプロセスのみが分析されるわけではない。「身体症状が語る言葉」が「伝える感情」、いわば「声」にならない「声」ともいうべきものが新たに探られる。『渦』の解釈において、「ヒステリー症」の身体に露呈するのは、若い頃のアルマが憧れモデルとしたシビルへの同性愛衝動が「愛情なき嫉妬」という表現によって示唆される「女性の心身体のメカニズム」だ、とされる。そして、この小説の不思議な魅力は、激情に駆られ顔をゆがめたアルマが「何が嬉しいかわからないような笑い方をし」、たちまちヒステリックに大声で泣き続け、気付け薬を飲んだあとは静かに泣き続けるという描写に求められる。

また、第Ⅱ部「荒野と都市」は、トマス・ハーディの『帰郷』とスティーヴンスン『ジキル博士とハイド氏』それぞれの空間表象と主人公の身体感覚・身体性との間にみられる「ねじれ」を孕んだ「連動」、第Ⅲ部「モダニズム小説」のヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』における、「心理描写」というよりは、「意識的に」「身体感覚を描くこと」が論じられたあとで、最後の第Ⅳ部「欲動」は、E・M・フォースター『モーリス』、アンジェラ・カーターの短編集『血染めの部屋』とりわけ「赤ずきん」三部作を取り上げ、セクシュアリティをめぐる表象と語りの構造との密接な関連性やアダプテーションも議論の対象となっている。

本書の関心の起源として強調される点――「身体症状として現れる心の問題」という観点からテクスト分析を試みる議論の出発点――を、「後期ヴィクトリア朝に流行したヒステリー症をめぐる言説」にたどる本書は、フェミニズム批評や精神分析理論等を踏まえて、ヒステリー症患者が苦しむ失語症や身体の痙攣などの症状が、「言葉で表現できない」「社会的抑圧」に対してあらわれたものであるとし、こうした「身体的症状」にみられる「身体が発する信号」を読み取り「無意識が語る言葉」に耳を傾け、「言説の網の目」をくぐりながら「共感」を交わすことに、「現実を変革する可能性」を見出そうとしている。このように、言語ではなくむしろ「身体」のほうに注目する本書が「身体症状として現れる心の問題」の理解における歴史的変遷にも目配りをしつつ主張するのは、「感覚認識」・「言語」・「アフェクト」・「テクノロジー」などの広範な分野に跨り「身体障害や母体、粗食障害から死、人種やポストヒューマンの身体」など「多種多様な社会的・思想的問題」と密接に関連している「身体」の問題とその「文学表現」の意義である。ただし、「言語論的転回」から「情動論的転回」というコンテクストにおいて、そうした文学と科学との遭遇が、現代社会が直面する「身体」のさまざまな問題解決の手がかりとなるとしたら、そのリミットはどこに存するか。「身体と感情を読む」ことが価値をもつようになることは、いったいいかなる歴史的状況の出来を、そもそも、指し示していたのか。ひょっとしたら、「女の病」としての「ヒステリー症」あるいは優生学やバイオテクノロジー・製薬企業の存在に物質的に規定される「ウーマン・クエスチョン」は、マネーの問題とならんで、階級の再編や新たな格差の問題として捉え直されるべき可能性もあったのではないか、むろんのこと、ナショナルだけでなくグローバルならびにローカルなレヴェルにおいてもであるが。
この記事の中でご紹介した本
身体と感情を読むイギリス小説 精神分析、セクシュアリティ、優生学/春風社
身体と感情を読むイギリス小説 精神分析、セクシュアリティ、優生学
著 者:武田 美保子
出版社:春風社
以下のオンライン書店でご購入できます
「身体と感情を読むイギリス小説 精神分析、セクシュアリティ、優生学」出版社のホームページはこちら
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