原発文学史・論 〈絶望的な「核(原発)」状況に抗して〉 書評|黒古 一夫(社会評論社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月21日 / 新聞掲載日:2018年7月20日(第3248号)

原発文学史・論 〈絶望的な「核(原発)」状況に抗して〉 書評
“フクシマの祈り”を広い視野から「原発文学」を見る

原発文学史・論 〈絶望的な「核(原発)」状況に抗して〉
著 者:黒古 一夫
出版社:社会評論社
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『原発文学史・論』という標題は、「原発文学史」と「原発文学論」の二つを合併させた命名だろう。福島第一原発の過酷事故が発生してすでに足掛け八年、「原発文学」が発表されるようになってから、すでに「文学史」が書かれるほど歴史を閲したことと、本格的な「原発文学論」が記されるまでにその作品も積み上げられるようになったということだろう。

もちろん、『原爆文学論』の著者でもある黒古氏にとって、「原発文学史(論)」は、常にその前史として原爆文学史(論)が参照されている。いや、参照程度ではなく、ヒロシマーナガサキービキニーフクシマの核エネルギーにわる悲劇は連動したものであり、そのことを度外視して、フクシマ原発事故を語ることきできないのだ。

そのことを象徴的に表しているのは林京子の文学だろう。遅咲きの“原爆作家”として『祭りの場』で登場した林京子は、敵対的な批評として“原爆作家”というレッテルのなかに安住して、それを“売り物”にしている作家として、いつも過去の問題(原爆、植民地)にこだわっている作家という非難の仕方があった(中上健次などのそうした非難は私は不当なものと思っているが)。

その林京子が、「収穫」という小説を書いた。東海村の原発関連施設JCO工場の臨界事故に取材したものだった。さらに3・11のフクシマの事故があった。彼女は「ルイへ」と「再びルイへ。」という小説を書き、ヒバクシャ、内部被曝というテーマとして、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害かからまっすぐにフクシマの原発事故があることを明確に示したのである。

放射能雨に打たれたら、上着を脱ぎ捨て、体をしっかりとシャワーで洗い流すことを、彼女は黒古氏に忠告したという。ヒバクシャの先達としての忠告といえるだろう。まさに、長い時間を経過したヒバクシャとしての経験が、林京子の文学とその生き方を支えていたのである。

本書の強みは、単に原発事故後に、にわかに「核」の問題に触れた論者(評者の私自身がそうである)とは違って、林京子、大江健三郎、栗原貞子などの「核」文学(原爆文学)についての深い蓄積があることだ。それと同時に、純文学とエンターティンメント、虚構作品とドキュメンタリーといった文学ジャンルの枠組みにとらわれない、広い視野から「原発文学」を見ているということだ。

しかし、それは必ずしも文学論として納得させるものとは限らない。たとえば、大江健三郎の諸作と、高嶋哲夫の『スピカ』などを同一平面上でとりあげる意味があるだろうか。津島佑子や池澤夏樹の作品と、佐藤友哉の『ベッドサイド・マーダーケース』や高橋源一郎の『恋する原発』を、同じ「原発文学」という枠組みのなかで批評することに意味があるだろうか。

もちろん、情報小説としての意味はあっても、文学作品としてはさほどの価値を持たない『原発ホワイトアウト』などへの批判や不満はきちんと語られているが、いくらかごった煮のような不満が残る。『コラブティオ』や『原発と拳銃』などは、私には取り上げるべき作品とはおもわれない。

ただし、黒古氏の批評眼が生きてくるのは、志賀泉の『無情の神が舞い降りる』や、和合亮一のツィッターをまとめた文章を、文学的に厳しく批評しているところだろう。それはテーマや題材によって作品を処断するのではなく、文学的な表現の内実を判断して批評しているということだ。

原発事故のことを扱っているから、「原発文学」ということにはならない。原爆をテーマとしているから、すべての小説が「原爆文学」であるわけではない。原爆文学全集を編んだ黒古氏だからこそ、「原発文学」の「文学」たるゆえんを、批評することが可能なのだろう。「原爆」と「原発(事故)」は単に不幸なだけだが、「原爆文学」と「原発小説」は、人間の営みとして崇高なものだろう。アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り』は、その証明である。
この記事の中でご紹介した本
原発文学史・論 〈絶望的な「核(原発)」状況に抗して〉/社会評論社
原発文学史・論 〈絶望的な「核(原発)」状況に抗して〉
著 者:黒古 一夫
出版社:社会評論社
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