インタビュー佐野 眞一 敗れざるヒーロー 六〇年安保から現代を照射する『唐牛伝敗者の戦後漂流』(小学館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年9月23日 / 新聞掲載日:2016年9月23日(第3157号)

インタビュー佐野 眞一
敗れざるヒーロー 六〇年安保から現代を照射する『唐牛伝敗者の戦後漂流』(小学館)

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ノンフィクション作家・佐野 眞一氏の三年ぶりとなる本格評伝、『唐牛伝敗者の戦後漂流』(小学館)が、この夏上梓された。主人公は六〇年安保闘争で学生たちを率いて闘った全学連元委員長の唐牛健太郎。一九六〇年四月二六日、六〇年安保のヒーローは、国会前デモで先陣を切って装甲車に駆け上がり、警官隊の渦にダイブしたその瞬間に伝説となった。本書は一閃の光芒を放った後、表舞台から去った唐牛の四七年という短い生涯の軌跡を追う。
唐牛健太郎とは一体何者だったのか、六〇年安保が戦後日本をどのように変えたのか。著者の<佐野 眞一氏にインタビューを申し込んだ。聞き手は、佐野氏の最初のノンフィクション作品『性の王国』を担当した、元文藝春秋編集者・新井信(まこと)氏にお願いした。(編集部)

なぜ六〇年安保の唐牛健太郎なのか

――<佐野さんが一番得意とするところの人物評伝は久しぶりで、すぐに手に取って読みました。いろいろあったので、プロローグで自らに「初心に戻れ」ということを強く言っています。本来、<佐野さんは現場を歩いて見て聞いて考え、ありのままの事実を拾いあげる「小文字」のノンフィクションを常に考えてきたはずなのに、「現場から足が遠ざかるようになっていた」と書いている。今度の作品を読んで、久しぶりに『遠い「山びこ」』(文藝春秋)を思い出しました。
あれは<佐野さんのノンフィクションの中では一、二を争ういい作品です。あの頃の作品の「初心」が見えた。人を訪ね歩いて、インターフォンをガシャッと切られるとか、少しうるさいくらい取材過程を書き込んでいる。久しぶりに昔の佐野眞一だなと。「取材とは発見の連続である」という一行をみたとき、ほんとによかったなと思った。そういう意味で『唐牛伝』は<佐野さんらしいテーマだし、初心に戻ることを常に頭に置いて書いているなと思って、嬉しかった。唐牛健太郎は、<佐野さんより一〇歳年上ですよね。実は僕と同い年で、僕はノンポリでしたがデモにも参加して、彼自身を遠目では見ているけど、こういう人物とは知らなかった。唐牛健太郎ってどんな男か、今なぜ六〇年安保の唐牛健太郎なのかというところを、<佐野さんのテーマの設定についても教えてもらえますか?
佐野
 冒頭に書いていますが、僕の関心の根幹にあるのが自分の生まれた世代です。僕は一九四七年生まれのベビーブーマーです。戦争を知らない僕たちの世代にとって、最初に遭遇した最大の出来事が高度経済成長という化け物級のドラマだったわけです。
これまで高度経済成長をテーマにして書いてきた作品で言えば、それをメディアの肥大化過程として描いたのが、読売新聞・正力松太郎の『巨怪伝』(文藝春秋)です。それを消費生活の根底からの変貌として表現したのが、ダイエー・中内コウの『カリスマ』(日経BP社)でした。逆に経済が豊かになればなるほど、日本人の精神がやせ細ってきたんじゃないかという意味で、無着成恭の『遠い「山びこ」』や宮本常一と渋沢敬三の交流をテーマにした『旅する巨人』(文藝春秋)を書いてきたわけです。
それをもう一度振り返って、それじゃあ高度経済成長って一体何だったのかと改めて問い返すと、僕が十三歳のときに遭遇した安保闘争の光景をまざまざと思い出す。僕は東京の生まれで早熟な少年だったから、安保のデモとか社会の動きが皮膚感覚でよくわかった。急速に闘争が起こって樺美智子が死に、そうかと思うと急速に運動が終わっていく。岸信介から「貧乏人は麦を食え」の池田勇人に代わって、西部邁流に言えば、「空虚なお祭り」が終わった途端に高度経済成長に飛びついて、闘争なんかなかったかのように、「美味しい生活」が始まったことに対して、僕は僕なりに義憤を感じていた、「おかしかねぇか」と。僕にとって安保というのはどうしても書いておかなければいけないテーマのひとつだったんです。それに加えて、一九六〇年というのは良くも悪くも、日本の青春期だったと思うんです。もしかしたら革命が起きると本気で思ってた奴もいれば、馬鹿かという奴もいたわけだけれども、大切なのはそれを僕が今二〇一六年に書いていることです。
半世紀以上過ぎて、そこで思うのは一九六〇年の安保闘争と較べて五〇年以上経った今、当たり前のことだけれども、急速な高齢化が進んだということをイヤという程実感した。今から十五年程前に石原慎太郎の取材で小樽に年がら年中行っていましたが、小樽の石原裕次郎記念館はおばさんたちの集団でもう鈴成りだったんです。でもこの前、裕次郎記念館はどうと聞いたら、いやぁ、あれはもう閉まりますよと(編集部注=二〇一七年八月閉館予定)。裕次郎に熱狂していた女性たちが高齢になってもうそこに行けない。いろんな意味で高齢化社会というのがひたひたと迫っていて、これを書き終わって、ひょっとしたらと予感はしていたんだけど、天皇の生前退位問題が出てきた。それはすごく象徴的でしたね。
その二つのレンズで、絶えず今の日本の戦後、昭和、平成の流れを見ておきたかった、というのが実感ですね。
全学連とSEALDs

――<佐野さんは、戦後の高度経済成長をあらゆる角度から捉えて書くことがライフワークで、昭和から平成に流れてきたこの時代をどういう風に捉えるか、<佐野さんのノンフィクションの場合は、主人公をルーツまで遡って、歴史的な位置付けをすることによって全体像をつかませる。唐牛健太郎で六〇年安保というテーマはぴったりの流れだと思いました。唐牛は<佐野さんが今まで取り上げた人物と比較すれば、怪物系ではなくて、<佐野さんの言葉で言う、オーディナリーピープル(普通の人)ですよね。だから何で唐牛なのかというより、彼が生きてきた六〇年安保の時代を書きたいということなのだろうと思いました。
佐野
 もうひとつ付け加えれば、僕の個人的な体験でも学生運動をやってるわけですから。「天真爛漫にデモを行います」という唐牛の名言がありますが、いろいろな批判もあるけれど、六〇年安保のブント(共産主義者同盟/一九五八年結成)は、奇跡的な政治集団だと思うんです。あのブントから内ゲバの死者は一人も出ていない。それはやはり島成郎の優れたリーダーシップ、唐牛健太郎という、えもいわれぬパーソナリティー、青木昌彦(姫岡玲治)の頭の良さ、西部邁のヘソの曲がり具合とか、うまい具合に折り重なって命脈を保てた。それは奇跡だと思いますよ。
――<佐野さんが、六〇年安保闘争は、右左イデオロギーの衝突じゃなくて、ナショナリズム同士の衝突と解釈しています。岸信介にとっては岸信介の、ブントから言えばブントの構想がある。それをナショナリズムと書いていますが、<佐野さんはどういう気持ちでナショナリズムという言葉を使ったんですか?
佐野
 岸は言うまでもなく、満州の成功体験ですよね。彼の頭の中には彼なりのナショナリズムがあって、このままじゃ日米不平等条約だと、安保改定をきちんとやらなくてはいかんと。彼の腹の中には戦後、第二の満州づくりを目指していたところがあると思います。もう一方の全学連のアプレゲールたちですが、一人ひとりのプロフィールを見ていくと、満州育ちや外地育ちが本当に多くて、それには驚いた。その事実に気が付いて目が開かれたというような。だから、政治的な左右対立ではなく、唐牛が委員長になったのは二二歳だけれど、本当に若い連中、越境者、日本移民たちと満州を作った昭和の怪物との、日本をこれからどういう方向にもっていくべきか真剣に考え抜いた、ナショナリスト同士の対立劇だと見る方が理解しやすいと思うんだけどね。
――私も満州育ちですよ。青木昌彦の発言ですが、ブントの功績は左右の権威を失墜させたことだと。イデオロギー闘争を無意味にした、既成の権威から市民を解放したとありますね。そういう意味でも六〇年安保闘争には歴史の大きな転換点があった。
佐野
 現代のSEALDsの話に触れると、SEALDsと六〇年安保の違いはものすごく単純で、SEALDsって雰囲気的に老成化している。六〇年安保の全学連っていうのは「赤いカミナリ族」と言われていたように、幼いところはもちろんあるわけだけれど、青春の血の滾りそのままですね。
舞台裏は女の物語

――逆に言えば、構築された理論とか過去のマルクス主義のイデオロギーとかそういうものから離れた、若者の弾けるようなエネルギーがなぜか結集してしまって、巧まずして大きく変わる。ただ、西部さんが安保闘争は「空虚な祭典」だったなんてひねくれた見方をしていますよね。しかし、地方の北大の自治会委員長を抜擢して中央の全学連委員長にというのは、島成郎の慧眼ですね。
佐野
 島の奥さんの博子さんが唐牛の大ファンなんです。当時は家に電話がないから、公衆電話に案内して、坂の下から彼を見上げるかたちになったとき、「うわあ、恰好いい」と思って、青木とかシミタケ(清水丈雄)じゃなくて、唐牛が良いと進言したそうです。
――これがキャスティングとしてはピッタリだった。あれでバリバリのマルキストみたいな奴だったら統率していけない。唐牛自身も言っているように、言葉は腐るから行動に賭けると。学生運動をやってる人たちは、どちらかというと、行動より理論の人の方が多いけれど、唐牛は言葉より身体が動くタイプで、人を統率していくリーダーシップがあった。やっぱり女の直感ってすごいですね。
佐野
 この物語の舞台裏は、実は女の物語だと思っているんです。島博子といい、吉行和子といい、桐島洋子といい、女は実に良く見てる。
――唐牛の最初の奥さんの津坂和子は理論家で生真面目、次の奥さんの真喜子さんは大らかな親分タイプと対照的。そのほかいろいろ手を出してるらしいけど(笑)。唐牛の魅力ってのは、写真を見ると、なるほどタッパはあるし、笑うとチャーミングなところがあるんですね、女の人が惚れそうな。だけど男が見たときに、ああいう不良性に対して、真面目な幹部たちは危うさを感じなかったんだろうか。
佐野
 危うさを感じたかと言えば、青木昌彦なんかは感じていたと思います。頭が抜群にいいから。直感力は島なんでしょうね。
――しかも全学連の委員長として、彼が活躍したのはたった二年間。この二年間が日本の戦後を大きく変える契機になったわけだけど、この二年間のために彼は一生を棒に振るわけです。理屈じゃなくエネルギーで、何か大きなものに衝き動かされているところがある。それにしても唐牛っていうのは、あんなに大酒飲みで放蕩無頼で、みんなに憎まれないっていうのは、何なんだろう。
佐野
 唐牛の葬式に三〇〇人が参列して、信じられないんだけど、大の男どもが滂沱の涙を流した。唐牛の一番の美質は嫉妬心がほとんど無かったということだと思いますね。
――それと人の話をよく聞く。要するに、相手の言うことを聞いてからものを言う。大体学生運動家というのは、何か言うと、「黙れ!俺の言うこと聞け!」というタイプが多い。それが相手の話をまず聞くっていうこと自体がちょっと違う。我々の時代の自治会は、男のヒステリーみたいなのが多くて、あの興奮状態の中で人の話をしっかり聞いてくれるってすごいことだよ。
佐野
 唐牛っていうのはものすごく無頼に見えて、ものすごく知性的なんです。だから、徳田虎雄みたいなインチキにも引っかかるんだけど、徳田のピュアさというのを彼はよくわかってる。その上で、徳田ってどういう男かと入院先の主治医が聞くと、「三日で飽きたよ」と答えている(笑)。そこの魅力だよね。わかってて、でも俺はこいつのやることは信じると、当時の徳田虎雄の医療改革は正しいと思ったんだろうな
時代の寵児

――六〇年安保が唐牛だけに収斂してもなんだけど、唐牛健太郎がいたかいないかで六〇年安保は随分違ったと思う。
佐野
 そう思います。島博子なんかは、全学連には唐牛だとか篠原だとか東原とかヤクザ者と付き合うような連中だけじゃなくて、真面目な人もたくさんいたのよって。それはわかってるけど(笑)。
――大将の器のまわりにすぐれた参謀がいれば組織は動くわけだけど。だけど、それだけじゃ人は動かないから、四・二六で演説をした後、自ら機動隊の中に身を投じる。簡単に飛び込んだように思えるかもしれないけど、あのときの状況見たらあんなとこに飛び込むなんて正気の沙汰じゃない。その野性的なエネルギーみたいなものに、みんな付いていってしまう。闘争っていうのは、何かそういうきっかけで動くんだね。
佐野
 それは全学連広しといえども、唐牛にしかできない芸当だった。
――ある意味では、その一瞬で燃え尽きちゃったようなところがあるわけです。彼のその後の人生を、冷静な人たちから見れば、“栄光の全学連委員長”がなんでこんなつまらない仕事を転々としなけりゃならないんだと。唐牛がいくら理屈として、あのとき自分が率いていた連中、犠牲になった人たちを思えば、自分がまっとうな人生を歩んじゃいけないんだと、そういうのを全部引き受けていくんだと考えていたとしてもね。
佐野
 紋別の漁師になったのはもう四〇歳ですからね、伊達や粋狂じゃない。トド打ちの渋田一幸の娘がよく見ていて、トド打ちってのはものすごい厳しい仕事で、うちには網走帰りの指のない連中も山ほど来たけれど、そんな人間でさえ音を上げると。そんな職業に唐牛みたいな涙もろいヤツが就けるわけがない。唐牛が四二歳で母親が亡くなったとき、おいおい声をあげて泣いた。矛盾に満ちた男だよね、そこが魅力だけど。奥さんの真喜子さんもあんなとこで一〇年も暮らして大したもんだよね。最初の奥さんの津坂和子も非常に魅力的な女性だと思うよ。青木昌彦の母親が彼女を可愛がって、ホテルニューオータニの骨董店を手伝わせていたとき、来店した小林秀雄に「あなたの書く文芸評論はナンセンスね」と言ってのけたと(笑)。津坂和子っていうのは、唐牛が人生最大の失敗だったという革共同入りに本当は賛成だったんだと思う。そんなことはないと思うけれど、彼女と別れずに、唐牛が革マル派に入った可能性もなきにしもあらずだね。そしたら、つまらない人間になったと思うけどな。
――しかし、革共同に入るというのは、当時としては自然の流れだったんじゃないかな。
佐野
 シミタケや北小路もそうだし、大半はそうだよね。
――それについて、彼は間違ってたと思ってるわけでしょう。
佐野
 ほんの小さなエピソードだけど、西部さんが紋別へ行ったときに、「西部、俺は間違ってたと思うよ」と言って、泣いているように見えたという一行があるけれども、それは深く思ったんだろうな、彼自身は。彼はどんな革命組織でも腐敗するってことをどこかでわかってたんだよね。
――四分五裂したもんね。
佐野
 唐牛健太郎という人間は、六〇年安保に突然現れて、突然消えていった彗星のような存在だった。光り輝いたのはほんの一瞬で、あとは暗闇に堕ちていく、さすらっていくだけ。
島成郎が手記で「唐牛はすぐれた生活者だった」なんて書いてるけど、それも西部さんに言わせれば、島なんていい加減で、唐牛をあれだけ持ち上げておいて、自分の仕事にかまけて放り出して、という言い方をしている。島さんはそういう人じゃないと思うけど、そういう点では、唐牛は自分が輝くのは四・二六のこの瞬間で終わったというふうに考えていた。自分を見切る潔さ、これでいいんだと。あとは彼がどんなこと考えたのか……、学者になろうと考えた瞬間はあったと思うんです。唐牛って一般的に考えれば、無頼派で一匹狼で、というイメージが強いんだけど、そんなことはなくて、非常に読書家で知的だった。洒落てるというか、センスもいい男だったと思いますね。それはやっぱり学生運動のリーダーにとって大きな資質なんですよ。学生運動のリーダーというと、秋田明大(日大全共闘議長)みたいに思いつめた顔して、というのとは対照的で、いつも自分を無理して明るくしてるというか、病的に人を笑わす。自分の陰毛でシャボンを泡立ててヒゲ剃ってみたり、入院中も天井から人形を吊り下げて、点滴を刺すときにひもを引っ張って人形に痛い、痛いって言わせることまでして笑わせる。そこは痛々しいけどね。
――<佐野さんが唐牛のルーツを遡っていくと、お母さんが湯の川の芸者で、旦那は海産物商だった。でも、ああいう人格が形成された理由がいまひとつわからないところがあるんですよ。
佐野
 彼が幼少期を過ごした場所を必死に探したんだけど、母親の実家ではないんだよね。二号さん横丁という場所で、母親のきよと時々訪ねてくる旦那という関係の中で彼は育った。
――そういう意味で唐牛の人間的な側面、彼の少年時代の人格形成がどうだったんだろうというのは知りたくなる部分はありますよね。あれだけの人間がどうやって育ってきたんだろうと。唐牛の漂流した足跡を歩いて追いかけていたときに何か彼の気持ちって感じるところはありましたか?
佐野
 いくつか感じたのは、唐牛は、基本的にものすごくシャイな奴だから、自己韜晦の塊なんだよね。たまに西部に弱音を吐くくらいで、本音はほとんど言わない。当時、紋別の流氷研に青田昌秋っていう唐牛の仲良しがいて、流氷研はもう紋別に無いんだけど建物は残っていた。オホーツクの凍てつくような風景に似合った建物なんだけど、唐牛が漁から戻ってきて、朝っぱらから「オイ、青田いるか?」って、ガラス戸を叩くんだって。それを聞いたとき寒気がしたね、唐牛の寂しさに。彼の寂しさは公安に追われてさすらう寂しさでもなんでもなかったと思う。唐牛は他人の子は溺愛するんだよね、ふざけて鼻の穴に硬貨を入れてみたり、小さい子に向かって、クモを口の中に入れて驚かせたり。ところが自分の子は作らない、愛さない。彼のパーソナリティーの最大の問題はそこだと思う。そこに彼自身の歪んだ精神構造はあったような気がするけど、それは西部にも誰にも言わないんだろうな。
――敢えて言えば、生育環境から来る唐牛の深い孤独感、自分自身でも持て余しているところがあって、それが相手に対して迷惑だとかなんとか考えないで、朝っぱらから人のうちに上がり込んでしまうような面があった。でも、そういう迷惑をかけられながらみんなに愛されていた。それを知っていて彼は甘えているような感じがする。愛情を試しているようなところがある。
佐野
 異様な甘えを感じますよ、悪く言えば。
――でも、右翼の田中清玄とか山口組の田岡一雄はその甘えを受けとめる。ああいう大物に可愛がられましたよね。
佐野
 溺愛されたね。そこが僕もよくわからない。
――彼は、吉永春子のTBSラジオ番組「ゆがんだ青春」の反響で、今で言えば週刊誌に袋叩きに遭うような感じで、全学連が転向右翼から金を貰っていたことを徹底的に叩かれたけど、仲間の保釈金や活動資金が必要なときに、金なんかどっから見たって色がついてるわけじゃない。お金にきれいも汚いもないわけで、彼らがあの番組で受けた世間的なバッシングっていうのは、本質的なもの以上に彼を傷つけた。
佐野
 金にキレイも汚いもないって正論なんだけど、それを彼にちゃんと言ってくれたのが吉本隆明だった。吉本だけはそんなもの関係ないんだと。どこからだって金貰っていい。柄谷行人は何もわかってないんだと。それは彼の労働組合運動から得た経験なんだろうな、だから吉本は一枚大人なんだと思います。
――この本の中だけじゃなくて、吉本隆明の考え方は大局的にものを見ている。ここの白眉は吉本隆明の評価ですね。
佐野
 若い頃から吉本に魅かれてきた理由がよくわかりました。彼は六〇年安保の隠れた主役ですね。
いまだ同舟の徒

――話は戻りますが、六〇年安保を機に日本は大きく変わったという認識ですか?
佐野
 経済白書に「もはや戦後ではない」という言葉が登場したのが昭和三一年、安保闘争がその三年後で明らかに跛行現象なんです。それは西部が非常にうまい解釈をしていて、そういう跛行現象が起きていることを全学連の連中は無意識にわかっていた。それを是正する、追いつくためにはああいう過激なひょっとしたら革命騒ぎになるかもしれないことを起こさなければ、日本の歴史は追いつかなかったという言い方をしていて、なるほどそういうことだったのかと思いました。そうじゃないと、歴史は進んでいかないと思う。
――<佐野さんの今までの作品は、一つの歴史の流れの中に人物をうまく嵌め込んで位置付けしてきた。六〇年安保で、岸信介と唐牛健太郎という対照的な人物が相まみえるわけだけれども、それからほとんど半世紀、「アンポハンタイ」なんてふざけて遊んでた孫が今首相で、祖父の悲願であった憲法改正、集団的自衛権といったものを実現させようとしているときに、じゃあ今の時代に唐牛みたいな人間、あるいはグループが現れるのか、といったら現れない。常に日和見的な大メディア小メディアがあるだけ。安倍内閣そのものの論旨に沿って報道するのが何紙もあるわけじゃない。岸信介が安保条約改定をやろうとしていたときにブント全学連が現れ、唐牛健太郎が登場し、時代が大きな一つの転換点に立ったんだけど、今この時代にそういう人間がいるかといったら、<佐野さんがいつもテーマに取り上げてきたような怪物、人間的にエネルギーに満ちた人間、書きたい人間はいないでしょう。
佐野
 例えば岸信介の時代には、三木武夫や河野一郎といった政敵がたくさんいた。それが書くに値する人物かどうかは別にして、岸に対する対抗軸がいた。では安倍晋三に対して、誰を書きたいかということは全然ないですね。
――大きく戦後の歴史を捉えたときに、あの六〇年安保以降、日本はある方向に向かって大きく舵を切った。そして、我々はまだその流れの中にいる。
佐野
 その流れの中にいますよ。ボートに乗って戦後漂流しているんです。
――唐牛健太郎は大きな人生経験の幅ってものはないんだけど、六〇年安保を契機にした日本の大きなうねりの中で果たした役割、唐牛自身が意識せざるところでやったことの、彼の歴史的な位置付けという点で非常に意味のある作品だと思います。
ブントの名プレイヤーたち

佐野
 この取材をやりながら、東京に戻ってきて時間ができたとき、何をやってたかというと、今まで見ていない映画をたくさん観たんです。映画っていうのは文章を書く時の基本的な素養になる。人物の描き分けはもちろん、風景を読者に見せ、音楽を読者に聞かせる。これが私の目指すノンフィクションです。舞台装置とか音楽の流れ方とか、それは駄作もあれば名作もあるけれど、どんな映画にも響いてくるところがあって、それは『唐牛伝』の中にもいくらか残ってると思いますけどね。
――<佐野さんはシナリオ研の出だから、『日本映画は、いま』(TBSブリタニカ)という本も出してるし、映画青年であるっていうのはわかってるんだけど、情景がわかるようなものを書けるというのは、映像をたくさん観てきた成果だと思いますよ。
佐野
 紋別に唐牛と真喜子さんが最初に住んだアパートが残ってるんだけど、隣とうちとの間にパチンコの景品交換所にあるような小窓があって、共同で小窓からホースをやり取りして水道を使っていた。そこから隣に住んでたヤクザの若妻が産気づいて苦しんでいるのが丸見えで、仕方なく産婆さんを呼んで真喜子さんが手伝ったとか、そういうディテールがいい。映画になるよね。「紋別にまだ映画館はありましたか?」と真喜子さんが聞くから、無かったと答えたら、自分たちがいた頃は一軒だけあったんだと、観る人がいるんですかと聞いたら、漁師たちのために夜になるとピンク映画やるんだって。そういうディテールはすごい。
――真喜子さんは大物ですね。唐牛は女性に恵まれてる、あんな女傑はいない。
佐野
 真喜子さんを悪く言う奴には会ったことがない。紋別で暮してたとき、誰がいつ来てもいいようにと、おでん一〇人分いつも用意してなんて。唐牛と結婚しなきゃ、ヤクザと結婚してたなんてふざけて言っていました。
――青田夫人が、家の前で頭を一生懸命ブラッシングしている真喜子さんを見かけたとき、「今日は山に行ってきたから、頭にダニがついている」と言っていたとか、あれはよく見てるよね。神は細部に宿るというか、主要な部分じゃないんだけど、そういうディテール、背景にある風景が読んでる人の心に残る。
西部邁も『六〇年安保センチメンタル・ジャーニー』(文藝春秋)でいろんな人を取り上げていますが、その中でテーマになるかなと思うのは東原吉伸。学生運動を離れてから、山口組系のヤクザ組織に身を寄せ、その後商社の駐在員となって、南アフリカ、マダガスカルへ行く。西部さんによると、マダガスカルから帰国するとき、飛行機の離陸寸前に女が追っかけてくるんだよね。
佐野
 それは少しオーバーだな(笑)。東原は非常に面白い人でした。そうか、東原に目をつけたか。東原は大阪の下町に住んで、なかなか味のある男でね、姫路の生まれで蒔絵師の父親は食えないので春画を売っていた(笑)。
――東原は全学連財政部長で、集金係として一身に非難の的になるわけですよね。自分の金にしたわけじゃないのに。
佐野
 ところがいまだに東原はネコババしてたっていう話があって、青木はそれを信じていて東原を最後まで許していなかった。
――そこが秀才の心の狭いところで(笑)。でも青木もいいとこあるよね。西部さんが書いてるけど、唐牛が宇都宮刑務所から出所して暫くして、青木と3人で飲んでるとき、唐牛から田中清玄のところに来ないかと誘われた。ところが唐牛がトイレに立ったタイミングで、青木が「断った方がいい」と忠告する。あのシーンはいいね。
佐野
 名シーンだよ。登場人物に惚れ込まないと書けないよね。
――唐牛にとって全学連委員長は居心地悪いところもあったと思う。並みいるエリート幹部たちの中で、彼があれだけ自分の人格を保てた、それを乗り越えても影響力を発揮できたというのは、やっぱり人物の大きさがあるんでしょうね。
佐野
 北大という非常にユニークなところから出てきて、彼の出自も含めて、相まっていたんじゃないかな。ああいう人物は中央からは出ない感じがするね。
――それとやはり、島成郎のサポート力が大きかったと思いますね。
佐野
 島はやっぱり世代が違うから、桁が違うんだよね。
――だからこそ、地方医療に後半生を捧げている。
佐野
 西部さんは、「駄目だよ島なんて、ヒステリーなんだから、国会にガソリンかけて燃やしちゃえって言ったんだから」って(笑)。そういうところが西部さんの可愛いとこで、面白い人ですよね。
――本当は西部さんも経済学なんてやるようなタイプじゃない。人間として結構屈折してるから、文章家としての方が面白い。
佐野
 西部さんは文章うまいね。西部さんは青木と仲悪かっただろうな。東原さんなんかと仲良いみたいだけど。
――みんな同じような人間じゃ面白くなくて、青木みたいなのがいないと面白くない。白面の貴公子みたいな(笑)。
佐野
 青木の母親は、唐牛の最初の奥さんをすごく可愛がっていたし、入院中の唐牛を見舞っているんだよね。それで唐牛が「俺がくたばっちまうと中年がみんな元気なくなるから、俺は頑張るぞ」と虚勢を張った。だから面白い人間関係だよね。プロローグで、「人間は組織を作る動物である。いや、組織を作らずにはいられない動物である。だが、組織は人間を作らない」という言葉がテーゼだと書いて、強がりで言ってるんだけど、高度経済成長以来、日本は組織の中で一糸乱れずやってきて、この組織の時代に、唐牛のように、「天真爛漫にデモを行います」と言ったり、樺美智子が死んだのは自分の責任だと思って、墓参りは欠かさず行ってたとか、そういう行動をする人間は出てこないんだと思う。良い悪いは別にして。我々が知らないうちに、同調圧力というか、空気が変わっていってしまった。そういう時代にヒーローは出てこないんだと思う。余談ですが、最後の札幌取材のとき時間が余ったので円山動物園に行って、オランウータンばかり見ていた。最近の政治家連中の劣化に次ぐ劣化を見ていると、安保で敗れた唐牛らのすがすがしさが余計に伝わってきた。それ以上に今に生きる日本人の歴史観のなさは、オランウータンの神々しさに比較したらオランウータンに申し訳ないと思うくらいです(笑)。
最後の方に少し書いたけれど、安保からちょうど一〇年後の一九七〇年に三島由紀夫が自衛隊に乱入して割腹自殺を遂げた。そのときの名文句は「つまらない経済的大国が極東の一角に残るのであろう」と、それは三島が嫌った、大衆社会の果ての世界なわけです。三島が駄目だと思うのは、それ以降も生きなきゃならなかった。いま、天皇陛下が退位するというときに、一番意見を聞きたかったのは三島です。吉本隆明は「俺は絶対昭和天皇より長生きするんだ」と言って、長生きした。三島とはまったく正反対ですけど、三島も死に吉本も死んだ今、話を聞いて書きとめたいと思う人はすぐには思いつかないですね。そこに現在の日本の不幸があります。
この記事の中でご紹介した本
唐牛伝~敗者の戦後漂流~/小学館
唐牛伝~敗者の戦後漂流~
著 者:佐野 眞一
出版社:小学館
以下のオンライン書店でご購入できます
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