無十 書評|斎藤 義重(水声社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年10月14日 / 新聞掲載日:2016年10月14日(第3160号)

無十 書評
「斎藤義重なるもの」の回帰 いまだ解決しない「戦後」を想起させる装置

無十
出版社:水声社
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無十(斎藤 義重)水声社
無十
斎藤 義重
水声社
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私自身、斎藤義重に関する論考を書いて、実質的に批評家としてデビューし、それからかれこれ10数年経つのだが、次第に当時の問題意識から自分の関心がズレてしまったので、このような書物が出版されると、「お前は過去の批判的な論考を忘れたのか」と、斎藤に突き付けられているような気がする。そう、私は、斎藤に対してはある理由で批判的だったし、今もそれは原則的には変化はない。

なぜ批判的であるのか、そのことを語らねば公平ではないので、まずは簡単に斎藤のバイオグラフィを追っておこう。1904年に生まれた斎藤は、ヨーロッパから当時最前衛のダダや構成主義の知見を持ち帰った村山知義の活動に感化される。1930年代後半から、当時は前衛と言えばシュルレアリスムの系統が多かった中、構成主義的レリーフの作品を展開し、戦時体制下に突入するまで、前衛美術家として一定の評価を得ることになる。戦時下、敗戦後と、家庭をめぐる個人的な事情もあり、ほとんど極貧と言っていいほどの状況に追い詰められ、実質的に美術界からは忘却されるが、1950年代の後半から、当時のアンフォルメル絵画に対応するような作品において次第に評価を回復する。その後は晩年まで、構成主義的スタイルを維持しつつ、モノクロームの空間構成による立体作品(彫刻ともインスタレーションとも呼び難い)へと展開し、2001年に97歳の長寿を全うする。

私の斎藤に対する批判は、彼が自作に対してすら概ね寡黙であったこと、敵対的な構造を美術界において作らなかったこと、概ねそこに由来する。斎藤は、戦前から戦後にかけて、粛々と自らの作品のスタイルを研ぎ澄ませていった(ゆえに、作品それ自体は興味深い)わけだが、そこでは、彼の生年上通過せざるを得なかった「戦争体験」というトラウマが実質的にキャンセルされ、あたかも戦前の「前衛美術」と戦後の「現代美術」がシームレスにつながっているように見えるような免罪符を、日本の戦後美術に対して与えてしまったように思う。

このような批判は言いがかりかもしれないが、少なくとも斎藤の没後、2003年に大規模な回顧展が開催されたその頃においては、斎藤はまだ存在感があった。ここ10数年、すっかりそのことを忘れた気になっていたが、本書の刊行は、亡霊のごとく「斎藤義重なるもの」が回帰してきたように思える。本書は、斎藤が書き記していた、敗戦から1950年代中頃までのノートの一部分を翻刻したものである。基調をなすのは、複雑な事情から、和土と史門という二人の息子を、一時的に手放さざるを得なかったその自らの不甲斐なさを綴るところにあるが、そのような極めて世俗的な悩みすら、前面に表出することをせず、編者の千石英世が指摘するように、ある種の散文作品として昇華させようとしていたように見受けられる。斎藤の振る舞いは、このような発表を想定していなかった私的なノートでさえも、自らに降りかかったトラウマティックな経験を無化しようとするもののように見える。奇妙なことに、敗戦後からのノートであるにもかかわらず、ほとんど戦争の匂いがしないのだ。これは、日本の現代美術が否認しようとしてきた、何ものかであるように思えてならない。

ともあれ、本書の刊行によって、寡黙であった斎藤が、一体何を思っていたのかが、いくらかは垣間見えるようになったと思う。「斎藤義重なるもの」はこのように反復強迫的に回帰することで、いまだ解決しない「戦後」を我々がどう考えるのか、批判的にではあれそのことを想起させる装置として、存在している。
この記事の中でご紹介した本
無十/水声社
無十
著 者:斎藤 義重
出版社:水声社
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