レーヴィットから京都学派とその「左派」の人間学へ  交渉的人間観の系譜 書評|服部 健二(こぶし書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月19日 / 新聞掲載日:2016年4月1日(第3134号)

三木清が全景に 
蔓がからむように、哲学者たちの見解が交差

レーヴィットから京都学派とその「左派」の人間学へ  交渉的人間観の系譜
著 者:服部 健二
出版社:こぶし書房
このエントリーをはてなブックマークに追加
服部健二氏は本書で、ドイツの哲学者カール・レーヴィットの京都学派への哲学的影響を軸に、一九二〇年代から敗戦直後頃までの近代日本哲学史を、田邊元・三木清・戸坂潤・和辻哲郎・高山岩男・梯明秀・船山信一を中心に、綿密に平明にあとづけている。

氏が注目するレーヴィットの概念は「振る舞い(Verhalten)・交渉(Umgehen)」である。道具的操作知性から人間を解き放ち、人間が生きる現場の行為の哲学を建設しようとする概念である。一九二三~二四年にドイツのハイデッガーのもとに相前後して留学した田邊元・三木清は、『存在と時間』を準備中の彼からだけでなく、彼の助手レーヴィットからも彼固有の「交渉の哲学」の影響を受け、彼らの哲学的要素にした。この源流は、留学から帰国し母校京都大学を拠点に活動した三木から梯・船山たちに流れ込み、そのグループの哲学的出発点となったという。のちにその点を超えて、梯は『物質の哲学的概念』を、船山は『日本哲学者の弁証法』を刊行する。

本書を読みすすむと、レーヴィットが後景に退き、三木清が全景に出てくる。高山(第二章)・梯(第五章)・船山(第六章)は三木との対比で論じられ、第三章と第四章ではそれぞれ、三木の人間学と歴史的世界論が論じられる。自然科学的側面をもつ田邊・戸坂・梯と、人文学的傾向をもつ三木・和辻・高山・船山とは対照的である。この比較があれば、レーヴィットの影響の色調がより鮮明になったと思われる。

本書では蔓がからむように、上記の哲学者たちの見解が交差する。評者は「第二章 日本文化論の陥穽」に最も注目した。高山岩男は、真珠湾攻撃(一九四一年)前後におこなわれた座談会『世界史的立場と日本』で、大東亜戦争正当化をリードし、日本固有の「道徳的エネルギー」で、西部開拓史以後の「米国の太平洋への西漸」を迎え撃つと主張した。服部氏は高山の戦争哲学の根拠を解明すべく、高山の『哲学的人間学』の基本用語〈生む・作る・成る〉を利根川東洋(『生みの哲学』)・三木清(『新日本の思想原理・続編』)・丸山眞男(「歴史意識の〈古層〉」)と対比し批判する。

この高山批判は日本的知性批判の契機を孕む。レーヴィットの概念〈振る舞い〉は、日本では、主客未分化の発想様式〈生む・作る・成る〉(丸山のいう「つぎつぎと・なりゆく・いきほひ」)に変質しないだろうか。この問題は、三木が自分の『哲学的人間学』執筆を中断し、『構想力の論理』に転じた動機と関連する。服部氏は三木の『哲学的人間学』の「挫折」の理由を、三木が「行為的・表現的自己から歴史的世界へ」と向かうのに対し、西田幾多郎が「行為的・表現的自己」を否定し「歴史を生み出す絶対無の自己限定」の観点に立つことに求める。三木は西田のその観点に転じ『構想力の論理』が執筆できたという。そうであろうか。

三木は『哲学的人間学』第四章の表現論で、「無の弁証法的一般者」における「個人は社会のうちに限定されながらも、独立のものである」と指摘し、卒論以来の観点「個性者の自立性」を再認する。「神話・制度・技術」が「円環的限定」をなすといい、『構想力の論理』の基本用語とその群論的配列を論じる。この基本用語は、三木の恩師・波多野精一の宗教哲学用語である。『構想力の論理』では、混沌とした「神話」から、主客が分離した「制度」を経て、人間が自己の生命を再生産する「技術」に移行する。技術は個性者の環境との「交渉」である。『哲学的人間学』から『構想力の論理』への移行は、三木の西田哲学への帰依ではないであろう。

本書はレーヴィットや丸山眞男を論じる。佐藤瑠威『丸山眞男とカール・レーヴィット』(日本経済評論社、二〇〇三年)が参考になる。佐藤によれば、レーヴィットは日本に滞在中の一九四〇年(離日=渡米の一年前)、『思想』に『ヨーロッパのニヒリズム』を連載し、最後の「日本の読者に与える跋」で、この論文が「ヨーロッパ的自己批判であると同時に、日本的自愛の批判でもある」ことを確認する。既成の自己を超越する自己の観点から初めて、他者は理解可能になる。自己の根拠を他者にもつ相互関係こそ、人間の在処である。日本主義の自愛に閉じる知性には、懸命に導入している西欧思想のこの根本は分かっていない、とレーヴィットは批判したのである。三木の論文「西田哲学の性格について」・「日本的性格とファッシズム」(共に一九三六年)は、レーヴィットのこの批判に同伴するものではなかろうか。
この記事の中でご紹介した本
レーヴィットから京都学派とその「左派」の人間学へ  交渉的人間観の系譜/こぶし書房
レーヴィットから京都学派とその「左派」の人間学へ  交渉的人間観の系譜
著 者:服部 健二
出版社:こぶし書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「レーヴィットから京都学派とその「左派」の人間学へ  交渉的人間観の系譜」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
服部 健二 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 哲学・思想関連記事
哲学・思想の関連記事をもっと見る >