評伝レヴィナス 生と痕跡 書評|サロモン・マルカ(慶應義塾大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月22日 / 新聞掲載日:2016年4月8日(第3135号)

生誕から死後の評価までその人生と仕事を描く

評伝レヴィナス 生と痕跡
著 者:サロモン・マルカ
出版社:慶應義塾大学出版会
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レヴィナスの著作を初めて読んでから三〇余年の歳月が流れた。その後数年は、内外の図書館でレヴィナスの論考を見つけてはそれを複写し、レヴィナス自身と面会するのみならず、彼と係りのあった機関や人物たちにも何十通もの質問状を出すという、駆け出しの研究者としては稀有な幸福を味わうことができた。レヴィナスをめぐる状況はそれから大きく様変わりした。日本でも、レヴィナスは今、哲学を志す学生たちが最も好んで論文の対象とする哲学者ではないだろうか。その著作のほとんどが、これまで未公刊だった手帖、講義原稿、小説の草稿も含めてすでに邦訳されたか、近々に邦訳される予定である。レヴィナスの人生についても大抵のことは既知の事実となっている。けれども、レヴィナスの評伝が邦訳されたのはこれが初めてである。本書(初版は二〇〇二年)に先立って、マリ=アンヌ・レスクーレの評伝が一九九四年にフラマリオン社から出版されているけれども、残念ながら邦訳はまだ出ていない。

本書の著者サロモン・マルカは東方イスラエリット師範学校でのレヴィナスの教え子で、本書の他に『レヴィナスを読む』(邦訳、国文社)がある。本邦訳には、原書にはないレヴィナスの生家跡、両親、捕虜レヴィナス、タルムードの師シュシャーニなど多数の写真が掲載されている。リトアニアはカウナスでの生誕から死後のイスラエル国での評価に至るまでのレヴィナスの人生と仕事が、様々な場所と様々な顔(固有名)に即して描かれている。

正直言って、レヴィナス哲学についての深い考察が展開されているわけではないが、著名なタルムード学者アディン・シュタインザルツとレヴィナスの出会いなど、おそらく読者たちには初耳の事実や出来事が満載されている。そこから逆に、レヴィナス哲学の重要な問題点を引き出すことができるかもしれない挿話や印象も随所に鏤められている。国籍取得再審査委員会に宛てた妻ライッサの手紙のような貴重な資料もある(九五―九六頁)。「スラブ語訛りのフランス語をからかわれる、小言の多い校長」と「驚嘆すべき哲学者」との懸隔への驚きから、マルカは本書を書き始めているが、生徒たちを監視し大目玉を食わせるレヴィナスの「視線」は何を物語っているのだろうか。マルカ自身自問しているように、なぜマルカは『全体性と無限』を海辺で読もうと思ったのだろうか。

「激怒」という点では、リチャードソンの博士論文審査、ディディエ・フランクの発表に際してのレヴィナスの反応が実に印象的である。いや、何といっても、一九五五年エヴィアンで書き始められた『全体性と無限』の出版がガリマール社に拒否されたとき、レヴィナスが草稿を切り刻もうとしたという息子ミカエルの証言は衝撃的である。そして、原稿がうまく書けずに家を飛び出すレヴィナス。この姿は、「書くことの絶望」「書くという行為の脆さ」とミカエルが呼ぶものと結びついている。「喘ぐような文体」を生んだこの苦悩は、これまたミカエルの言う父レヴィナスの「独特な孤独」に由来するように思われる。ミカエルもマルカも、講義のみならず私的会話でも「ですよね?」(ネスパ、スパ)を多用し、電話では「もしもし」(アロ)を繰り返すレヴィナスの癖を紹介しているが、『困難な自由』所収の論考で、レヴィナスが「誰かに言葉が届くという奇跡のような出来事」と記していたことを思い起こさずにはおれない。「書くことの絶望」は、「語ること」「語り直すこと」の息切れをも超えた終わりない露出の羞恥と重なり合い、互いを強め合っていたのではないだろうか。アプローチの際限ない、不整脈のような反復。近づけば近づくほど遠ざかるもの。マルカが『全体性と無限』を岸に打ち寄せる波に比したのもそのためかもしれない。

評者は最近、レヴィナス『著作集』を読みながら、「リズム」あるいは「リズムの欠如からなるリズム」という観念がレヴィナスにとっていかに重要なものであったかを痛感した。「カダンス」ではない。みずから音楽家でもあった妻ライッサはそれを見抜いていたのかもしれない。

「あなたは決して音楽を好きにならないわね。一度も理解しようとしてみないのだもの。分かっているでしょう。耳が悪いわけではなくって、意固地になっているのよ。」(三六七頁)
(斎藤慶典・渡名喜庸哲・小手川二郎訳)
この記事の中でご紹介した本
評伝レヴィナス  生と痕跡/慶應義塾大学出版会
評伝レヴィナス 生と痕跡
著 者:サロモン・マルカ
出版社:慶應義塾大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「評伝レヴィナス 生と痕跡」出版社のホームページはこちら
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