エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史 書評|園田 寿()|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月23日 / 新聞掲載日:2016年4月8日(第3135号)

見せ方を巡る攻防と見解の変容を事細かに検証

エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史
著 者:園田 寿、臺 宏士
出版社:
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年始から、芸能界、政界、野球界と、数々の業界を震え上がらせるスクープ記事を連発している「週刊文春」だが、昨年10月に、編集長が3ヶ月の休養を言い渡されている。その理由は「春画に関するグラビア記事について編集上の配慮を欠いた」という不可解なもの。その後のスクープ記事と比べれば、まったく些末に思える案件だ。その頃、日本初となる春画展が目白台の永青文庫で開催されたことを受け、週刊誌は軒並み、ヌード写真と並べるように春画特集を組んだ。この扱いが「『春画』と女性のヌードを近いページに掲載したのは、わいせつ図画頒布罪に当たる可能性がある」(朝日新聞・2015年10月21日)との見解によって、警視庁が指導する事態に発展した。

しかし、春画はこれまでにも出版物として流通してきたはず。どこが問題なのか。その見せ方だという。ならば基準を明確に示すべきだが、「春画もヌード写真特集もそれぞれは猥褻ではないが、同じ号に載った週刊誌はわいせつ物に当たる可能性がある」という警視庁の理屈は解せない。Aではないものと、Aではないものが隣に並んだら、それがAになる可能性がある、というのは論理として破綻している。「わいせつ物」を巡る議論は、「わざわざそんなことしなくてもいいのにやっているんだから、何か言われたってしょうがないでしょ」という曖昧な世論を味方に問われることが多く、だからこそ、その手の空気を冷静に見定める法規が重要となるのだが、むしろ空気と同調して誰かのさじ加減で決められてしまう。

2014年、愛知県美術館で開かれた展覧会「これからの写真」で、「性器を含む全身ヌードを撮影した写真」を展示した写真家・鷹野隆大は、愛知県警から、作品がわいせつ物陳列罪に触れる可能性があり「撤去しない場合、検挙の可能性もある」との通告を受ける。検挙を示唆する口頭指導は異例だ。本書のインタビューで鷹野は言う。
「警察権力というのはグロテスクですよね。本来は国民が一時的に権限を委譲しているだけじゃないですか。それなのに警察は全権を握って主体的に行動できるかのように振るまっています。権力を行使した警察官個人が特定されないのもよくありません」。

2002年に刊行された成人コミック『密室』(ビューティー・ヘア作)では、作者と版元の社長と編集局長が、わいせつ図画販売の疑いで逮捕された。争点は性器部分の「消し」の濃淡。検察官の「いやらしいという気持ちにはなりませんでしたか」という設問や、「網掛けの消しの程度が薄く、網掛けを通して性器の描写を認識できる状態にあるため、かえってこれが性欲を刺激し、かき立てかねない描写ともなっている」という論告が明らかにするのは、猥褻を規定する珍奇さである。下品な書き方をすれば、判断する側の下半身が“反応”するかどうかによって猥褻が定まっているかのよう。

刑法175条が示す「猥褻」とは何かを通史で問う本書は、性器やヘアの見せ方を巡る攻防と見解の変容を事細かに検証する。その通史は、「明確な理由がいつまでも明らかにならない案件」の蓄積である。検索すればたったの数秒で無修正画像がいくらでも見られる環境下にあるのに、悪目立ちした産物を気ままに狩ろうとする働きかけがまだまだ続く。そこに世論が絡み付き、規制をいたずらに強化しているのだ。
この記事の中でご紹介した本
エロスと「わいせつ」のあいだ  表現と規制の戦後攻防史/
エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史
著 者:園田 寿、臺 宏士
出版社:
以下のオンライン書店でご購入できます
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