佐野碩人と仕事 1905-1966 書評|菅 孝行(藤原書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月23日 / 新聞掲載日:2016年4月15日(第3136号)

身体と社会と感性の革命のために演劇には何が可能か

佐野碩人と仕事 1905-1966
著 者:菅 孝行
出版社:藤原書店
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戦前の日本のプロレタリア演劇運動を牽引した一人である佐野碩は、何よりその多言語を駆使し、国境を越えた演劇運動のネットワークを構築した演劇人として知られるが、またある意味ではその超越性ゆえに、現在の日本の自閉した演劇界ではほとんど注目されることがなくなった演劇人でもある。現在の日本でも「国際」の名を冠した演劇イベントは多く開かれているが、それは二、三の稀有な例外を除いて、一過性の海外公演や海外劇団の招聘公演によって「オリエンタリズム/オクシデンタリズム」の構図の強化に貢献するか、あるいは「国際」が前提とする国家主義の枠に囚われ、真の意味での「世界演劇」の創造に逆行するものでしかない。そのような日本語圏の演劇上演と演劇批評の現状を思うとき、一九三〇年代から自らの知性と肉体で、世界のさまざまな地域に演劇による「革命」の息吹を芽吹かせた佐野碩の「人と仕事」はいまだに、前人未到というにふさわしい。そのような巨人の業績を、まさに「決定版」として紹介し批評する浩瀚な書物が、佐野碩の生誕一一〇年と没後五〇年を跨ぐようにして公刊されたことは、まさに演劇界、出版会の事件と称して差し支えないと思う。

編者は「編集意図」として、「佐野碩を過去の歴史の史料にとどめず、現代に生き延びさせること」と述べている――「私は『勝利の記録』の上演の姿を想像しながら、ウォールストリート・オキュパイや台湾のひまわり運動とイメージを重ねていた。古い政治芸術を一掃するだけでは足りないのである。あらたな関係を組織する民主主義の政治と、自明性を切断する芸術表象の造形を通底させなければならない。そのための運動が必要だ。そのために佐野の軌跡を検証したかった。」本書ではその意図が十二分に生かされていると言えよう。読者はまずその包括的な視野に驚くだろう。まず第一部の論文編では、佐野の演劇を「革命」「抵抗」「解放」という視点から位置づけた総論に続き、佐野の登場以前と以降とで日本のプロレタリア演劇がどう変化したのかという問いを巡って当時の「政治演劇」の状況が探られ、また佐野の映画観が論じられる。さらに佐野の海外での活動、とくにソビエト連邦、メキシコ、コロンビア、アメリカ合州国での演劇運動の軌跡が辿られたのち、佐野の現代的意義を「政治的想像力の布置の転換」と捉える編者による総括論文が続く。第二部の資料編も圧巻で、日本時代の佐野の論文、発言、戯曲の翻訳だけでなく、入手困難なソ連時代の論説や、メキシコにおける佐野の舞台造形の方法を知るためのスペイン語で書かれた本邦初訳の文献も収められている。

収録された最後の史料、晩年の佐野のメキシコでの仕事を知るためにきわめて貴重な「<役を生きる演技>の俳優訓練における三つの主要な環」という論文のなかで佐野は、「三つの主要な環」を「集中」、「正当化」、「舞台における課題」として、俳優がいかに舞台上で役の願望を自分の願望として受け入れるかを論じる。そこで佐野は「演じるたびに登場人物の感情を新たに生きようとするやり方」が「最も合理的で説得力」があり、「演じ方はおそらく毎回異なりながらも、いつも美しいはずである」と述べる。このことは、俳優がひとつの舞台を終えるたびに、自らの舞台上における身体と言葉の記憶をすべてリセットして、次の舞台に向かわないことには、「模倣」となって「演技」とならないという、単純だが困難な作業を明示しているだろう。そのように俳優が自己の存在に対する違和感をつねに抱き続けることで、彼ら彼女らは「演じるたびに…あらたに生き」るのであり、その「美しい」姿を見た観客も、自らの存在に対する違和感と折りあい、自己を承認できるようになるのである。演劇という身体と社会の「革命」のための運動とは、言葉を学んでしまったことの痛みと苦しみを、俳優と演出家と観客が戯曲の登場人物という他者と分有することによって、それぞれの自己が変わる、その可能性にこそ賭けられている――そのことを、役者たちを前にした佐野の肉声を聞くような文章が、改めて確認させてくれる。

舞台に現実に接しながらもその舞台の有様がまったく見えていない、いわゆる「演劇批評」が多いなかで、二〇世紀半ばにその輝かしい光芒を残した佐野碩の不朽の芸術運動を、複数の著者たちが想像力によって再興した本書は、感性の変換を促す革命運動において、演劇に何が可能かを知らしめるのだ。
この記事の中でご紹介した本
佐野碩人と仕事 1905-1966/藤原書店
佐野碩人と仕事 1905-1966
著 者:菅 孝行
出版社:藤原書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「佐野碩人と仕事 1905-1966」出版社のホームページはこちら
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