ゴダール原論―映画・世界・ソニマージュ― 書評|佐々木 敦(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月25日 / 新聞掲載日:2016年4月15日(第3136号)

一人の批評家が「JLGに全力で対峙した」過程のドキュメント

ゴダール原論―映画・世界・ソニマージュ―
著 者:佐々木 敦
出版社:新潮社
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ゴダールの最新作『さらば、愛の言葉よ』(二〇一四)が、何よりもまず、その型破りな3Dの使用法によって観客の度肝を抜いたことは記憶に新しい。彼の伝説的な長編第一作『勝手にしやがれ』(一九六〇)が従来の映画作りの規範的な文法をことごとくひっくり返したのと同じように、『さらば、愛の言葉よ』も『アバター』(二〇〇九)以降のハリウッド3D大作の不文律を完膚なきまでに蔑ろにする。かつての「つなぎ間違い」を反復するかのように、本作でのゴダールは、両眼視差がきつく、きちんとした立体視を形作らない3D映像を多用し、あまつさえ、左右の目に差し出される映像がずれていき、その結果、激しい「視野闘争」をもたらす驚くべきショットさえ生み出しているのだ。

『さらば、愛の言葉よ』の透徹した読解を中心に据える本書の独創的な点のひとつは、ゴダールのこうした異形の3D使用法を、単に『アバター』や『ゼロ・グラビティ』(二〇一三)のような、没入感を強調する近年のハリウッド大作への対抗とみなすだけではなく、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』(一九九〇)などを足がかりにして、一九世紀前半以降のより広範な立体視(ステレオスコピー)の文脈に位置づけていることだ。たとえば、一八三〇年代に両眼視の研究をしていたチャールズ・ホイートストンも、左右にそれぞれ違う像を与えることによって生じる両眼視野闘争という現象を発見しているし、ステレオ写真を「二つ目の哲学」であると喝破した赤瀬川原平も一九九〇年代初頭に同様の実験をして遊んでいる。吉村信・細馬宏通編著による隠れた名著『ステレオ――感覚のメディア史』(一九九四)が通覧したような、一九世紀以降のメディア史のいわば裏面としてのステレオを、ゴダールが映画の内部に再導入し、それによって人間の視覚のメカニズムそのものを問い直しているのだとする本書の読みは説得力がある。

それに関連して、立体視にも関心を寄せていたデュシャンを引き合いに出しつつ、『さらば、愛の言葉よ』に三回出てくる黒地に小さな白丸が穿たれた謎めいたショットを、3D映画への批判を孕んだ(片目用の)「覗き穴」にして、デュシャンの遺作への婉曲的な目配せであるとする大胆な解釈には、まさに目から鱗が落ちる思いがした。

一九八〇年代以降のゴダールは、しばしば左右のチャンネルに別々の音声を配置するという重層的な音響設計を行ってきた。「視野闘争」ならぬ「聴野闘争」を引き起こすようなそのような実験が、本作では映像の次元に転用されているという指摘も、かつてリミックスという観点からゴダールのソニマージュの実践を読み解いた著者ならではの視点だろう。そのことが同時に、映画のスクリーンが一つしかなく、しかもそれが平面であることへの根源的な批判になっているという指摘にも、ゴダール映画の核心が見事に言い当てられている思いがする。

本書は、ゴダールにも確かに存在するはずのある種のいかがわしさや鷹揚ないい加減さを後景に退けて、どちらかと言えば「映画とは何か」を求道者的に探究するゴダール像を前景化している。その像は、『さらば、愛の言葉よ』の奔放な流れを静かに見つめ、それにひたすら食らいついていこうとする批評家自身の姿とも重なり合う。一人の批評家が「JLGに全力で対峙した」過程のドキュメントにもなっているところにも、本書の尽きせぬ魅力がある。
この記事の中でご紹介した本
ゴダール原論―映画・世界・ソニマージュ―/新潮社
ゴダール原論―映画・世界・ソニマージュ―
著 者:佐々木 敦
出版社:新潮社
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