1989年のテレビっ子 書評|戸部田 誠(双葉社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月25日 / 新聞掲載日:2016年4月15日(第3136号)

1989年のテレビっ子 書評
ドラマチックな人々の交差 
厖大な証言やエピソードによって詳述

1989年のテレビっ子
著 者:戸部田 誠
出版社:双葉社
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昭和が終わり、冷戦が終わった年として記憶される一九八九年。この年はまた、日本のテレビ界にとっても大きなエポックでもあった。その全貌をあきらかにしたのが、「テレビっ子ライター」戸部田誠(てれびのスキマ)による『1989年のテレビっ子』(双葉社)である。

この年、テレビのバラエティを大きく変えた『オレたちひょうきん族』が放送開始から八年にして終わり、出演メンバーはそれぞれの道を歩んでいく。ビートたけしは本名の北野武として映画を初めて撮った。
「お笑い第三世代」と呼ばれたダウンタウンやウッチャンナンチャンが『笑っていいとも!』のレギュラーに抜擢され、彼らの出世作であるコント番組『夢で逢えたら』が関東ローカルから全国放送に昇格したのも一九八九年だ。

一方で、すでに時代の寵児となっていたとんねるずは『ねるとん紅鯨団』『とんねるずのみなさんのおかげです』といった番組が好調で、この年にはそれぞれの裏番組であったタモリの『今夜は最高!』、そして『ザ・ベストテン』を終了に追いこんでいる。『ザ・ベストテン』の終了は、テレビの主役が歌番組からバラエティへと移ったのを象徴するできごとでもあった。

本書は一九八九年の“革命”を、そこにいたるまでの過程、その後テレビがたどった道も踏まえつつ、書籍や雑誌から集めた厖大な証言、エピソードによって詳述する。そこで描き出される人々の交差はいちいちドラマチックだ。

たとえば、島田紳助が吉本興業の芸人養成学校「NSC」でゲスト講師として一期生のネタをたこ焼きを食べながら見ていたとき、その手を止めさせたコンビが一組だけいた。それが、まだダウンタウンを名乗る前の松本人志と浜田雅功であった。この出会いは、紳助が八五年に漫才をやめる一つの契機となる。

あるいは八〇年代後半から九〇年代にかけて、フジテレビの吉田正樹と日本テレビの土屋敏男が、ウッチャンナンチャンやダウンタウンをめぐる因縁絡みで激しく競い合った話からは、テレビマンがタレントと一心同体になって番組づくりに邁進していたさまがうかがえる。

メディア史的に興味深かったのは、『ひょうきん族』『いいとも!』のプロデューサーを務めたフジテレビの横澤彪が、一時左遷されていた関連会社で光文社の元社長・神吉晴夫からある助言を受けたという話だ。会社をやめようかと思っていた横澤はこれに奮起したという。カッパ・ブックスで新書ブームを巻き起こした神吉が、テレビとこんなかかわりをもっていたとは知らなかった。

拙著『タモリと戦後ニッポン』の執筆中、一九八〇年の時点でテレビ界に君臨していた萩本欽一や大橋巨泉といった人々がその一〇年後には第一線から退くと当時だれが予想しただろうかと、ふと考えたことがある。中心人物がガラリと入れ替わった八〇年代とくらべると、その後の約三〇年間は、少なくともテレビのトップに立っている面々を見るかぎり、ほとんど変化がなかったとすら思える。たとえば、タモリ・ビートたけし・明石家さんまの「BIG3」がいまだに現役なのはなぜか。戸部田は本書において、ナインティナインとSMAPを軸にこれに一つの解答を与えている。

本書の終わりがけでは、著者自身の東日本大震災における体験を通じて、あらためてテレビに対する態度が表明されている。そこから私は、評論家ともジャーナリストとも違う、テレビウォッチャーの矜持を読み取った。
この記事の中でご紹介した本
1989年のテレビっ子/双葉社
1989年のテレビっ子
著 者:戸部田 誠
出版社:双葉社
以下のオンライン書店でご購入できます
「1989年のテレビっ子」出版社のホームページはこちら
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