ジョイスの迷宮  ―『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法 書評|金井 嘉彦(言叢社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月26日 / 新聞掲載日:2016年4月22日(第3137号)

ジョイスの迷宮  ―『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法 書評
〈ダブリナーズ方法叙説〉ジョイスに初めて向き合う者にも最高の手引き

ジョイスの迷宮  ―『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法
著 者:金井 嘉彦
出版社:言叢社
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何年のことであっただろうか、風邪熱にうかされながらふと想いをめぐらせた。フィリップ・ソレルスが雑誌『テル・ケル』誌上で、1921年から1939年にかけて書き上げられたジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を、言語・歴史・神話・宗教のあらゆる痕跡のつなぎ目をはずし、つけ直し、効なきものにする「断固として越境する」作品と評した記事に衝撃を受けたことがあった。〈ジョイス〉をドイツ語では〈フロイト〉と訳すというソレルスの言及にも驚きを受けたことなどが思い出される。

『ジョイスの罠』という題名に惹かれたが、サブタイトルに〈『ダブリナーズ』に嵌る方法〉とあってまたもやびっくり。〈罠〉なら『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』に無数に仕掛けられており、すでに幾多の批評家たちがそれらのテクストから〈多重の意味〉を多様に汲み上げている。行き着く先の見えない解釈の〈夢魔〉にしつっこく憑きまとわれ、その罠に嵌ったあげく初期短編集『ダブリナーズ』に回帰することとなる。そして私もまた結局『ダブリナーズ』から読み返す羽目になった。しかし翻訳ということになると5人の方々の手になるものが出版されているので選択が難しい。結局、諸訳を買い求め、手元に置きながら米本義隆訳『ダブリンの人びと』で読み通した。そしてみごと〈読みやすさの罠〉に嵌った。改めて『ダブリナーズ』の面白さ、ジョイスの初々しくも緻密さと飛躍とずらしと抽象の業を堪能させてもらった。それにしても『ダブリナーズ』が出版された1914年6月15日は、まさに第一次世界大戦の幕開け直前で、その口火となったオーストリア皇太子がサラエボで暗殺される2週間前のことであった。しかし初篇の「姉妹たち」が農業新聞『アイリッシュ・ホムステッド』紙に掲載されたのは1904年8月であるというから、最終的に15篇で構成される初本が出版されるまで10年の歳月を経たわけで、それだけでも『ダブリナーズ』が掬い取る時代の澱の深さが感じとれよう。

本書『ジョイスの罠』は、『ダブリナーズ』全15篇のそれぞれ異なった読み手であり異なった視点の論者たちによる読みの集成で、それ自体がもうひとつの「十五のテクスト」を構成するという仕組みになっている。第九章の〈複写〉(米本訳では〈対応〉、柳瀬訳では〈写し〉)では「ジョイスが巧妙に拵えた機械仕掛けの罠」が原語の視覚的な反復、音声的な反復というかたちで複製のからくりが解き明かされ、さらにはその舞台ともなった宿屋兼パブの複写写真まで添えられるという徹底ぶりである。原作とともに「ただただ驚嘆の声を挙げるしかない」ジョイスの「細心にして周到な言葉の操作」を愉しみ、その「簡潔で抑えの効いた文体」に包まれた「ふくよかな意味」を満喫するには、「嵌る方法」の手ほどきも受けなければならない。本書はすでに「嵌った」ジョイス読書人たちの互いの読み込み合いによる〈ダブリナーズ方法叙説〉であり、『ダブリナーズ』につきまとう「生の感覚」の複数の輪郭がほの見える地点に至るまでにはさまざまな森の小径の道しるべがあることを教えてくれる。これもまたジョイスの〈亡霊記述学〉の秘力のなせる技かもしれない。

『ジョイスの罠』から『ダブリナーズ』へ、『ダブリナーズ』から『ジョイスの罠』へ、どちらから手にしてもやがて『ユリシーズ』(出版1922年)、『フィネガンズ・ウェイク』(出版1939年)へと至る道筋の原点、ダブリンからトリエステへ、トリエステからパリへ、ジョイスのディヴァガッシオンを捲き起こす母斑を見つめる重要性を改めて学ぶ機会となった。巻末に付された3種の索引、〈ジョイス作品・登場人物索引〉〈一般人名索引〉〈一般事項索引〉がきわめて有用であり、〈引用・参考文献一覧〉とともに書き手の意識の高さと広がりを展望させ、ジョイスに初めて向き合う者にとっても最高の手引きとなっている。
この記事の中でご紹介した本
ジョイスの迷宮  ―『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法/言叢社
ジョイスの迷宮  ―『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法
著 者:金井 嘉彦
出版社:言叢社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ジョイスの迷宮  ―『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法」出版社のホームページはこちら
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