夜を聴く者 書評|坂上 秋成(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月26日 / 新聞掲載日:2016年4月22日(第3137号)

夜を聴く者 書評
曖昧という仄暗さのうちにひそむ声 
批評と小説の狭間で「誠実」を問う

夜を聴く者
著 者:坂上 秋成
出版社:河出書房新社
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夜を聴く者(坂上 秋成)河出書房新社
夜を聴く者
坂上 秋成
河出書房新社
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今日もまた一日を終え、夜を迎えた。再び太陽が昇れば、日常には明日という朝が来る。だが各々の心にも同様に、さらには希望に満ちた「朝」が訪れるわけではない。繰り返す日々に反し、身を浸す闇は朝が来るたびにこの心身を刷新することはない。本作はそうした暗さに囚われつつも日々を生きる者たちの物語である。

「繊細とも脆弱とも呼べる人格」である鍼灸師のミハイは三十二歳、代替医療をカルト扱いするアメリカの著名人を相手に鍼灸の意義を証明しようと野心的に挑むものの惨敗に終わる。失意の底で親友トウヤに連絡をするも、恋人こずえとの約束を優先されてしまい苦々しい思いを繰り返す。トウヤとの接点、そして僅かな自己承認を得るためにソーシャルゲームに給料の大半をつぎ込んでしまうミハイ。ミハイの鍼灸をうさんくさいと非難しつつ、自らも多額の課金を繰り返してはブラック企業さながらのアプリ開発会社への出社拒否に陥り鬱ぎ込んでしまうトウヤ。そんなトウヤの状態をミハイに相談するものの、ミハイのトウヤへの想いや自分に対する本音に勘づいていたこずえは苛立ちと共に、親友よりも恋人の自分の方が格上なのだとミハイを罵倒する…。

物語の一切は、あたかも「曖昧」なままに留まりそして浮遊している。再びラブホテルの一室でただ語り合うミハイとこずえに生じる奇妙な連帯。医療と呪術、上司と部下、現実と仮想、友情と愛情、そしてトウヤとこずえの狭間を漂うミハイ。一風変わったその名と職業もまた、未だ価値を認められず十分な配当を与えられぬミハイの現実を象徴するかのようである。明確な対象を持てぬまま繰り返されるミハイの自慰行為もまた、欲望を宥め賺しつつ生きるしかできぬ徒労の体現であるかのように映る。やがて明快な結末を迎えることなく、物語は日常のうちにふと終わる。それは我々の生きる日々もまた突如として救い出されることはなく、闇は闇として在り続ける現実を物語っている。そこには最早「夜」も「朝」もなく、ただ我々が生きる時間だけが途切れることなく続く、ある種の重さが息づいている。そして常に可変的に過ぎぬそれら闇の濃淡こそが、我々が知りうる「生」その唯一の指標であるのかもしれない。

デビュー作となる前作が、ひとたび小説を書く意思を抱いたなら言葉を紡ぐことこそが「誠実」であるという著者の〈執筆宣言〉であるとすれば、本作は「曖昧なものに身を委ねることの価値を示したい」という素朴な思いを「誠実」と名指した上で、その誠実の失敗という〈敗北宣言〉から始まるともいえよう。報われぬ誠実さという地平から言葉が紡がれる時、そこにはいかなる物語が描き出されるのか。「曖昧」の語源が孕む「暗さ」や「不確かさ」、それらを「夜」と名指すことによって本書が示さんとするものは、その仄暗さのうちにこそ息づきひそむ声なき声であり、主体的に獲得された解としての「曖昧」であろう。

だが仄暗き場所を信じることと、その名のもとにすべてを暗に示すことは、著者のいう言葉への誠実さという論点において果たして等価であり得るだろうか。「曖昧」のうちにひそむという確かなものたち、それは今なお小説という表現の自由のうちにこそ汲み尽くされる時を待っているのではないか。批評と小説の狭間、著者の執筆宣言を貫いたその先で、真の「誠実」が問われ語られる日が待たれる。
この記事の中でご紹介した本
夜を聴く者/河出書房新社
夜を聴く者
著 者:坂上 秋成
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「夜を聴く者」出版社のホームページはこちら
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