尾崎翠を読む 講演編1 書評|(今井出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月29日 / 新聞掲載日:2016年5月6日(第3138号)

尾崎翠を読む 講演編1 書評
多面体としての尾崎翠 
少女たちのポリフォニックな声の集積

尾崎翠を読む 講演編1
編 集:尾崎翠フォーラム実行委員会
出版社:今井出版
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尾崎翠を読む 講演編1()今井出版
尾崎翠を読む 講演編1

今井出版
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ただ呼吸して生きているということに倦む時がある。能天気な言い草ではあるが、そんな時には世界が遠のく、或いは溺れそうになる。まっくらな空間に差し渡された唯一の命綱となるのが「世界を文節して統合する」ためにある「言葉」なのだけれど、尾崎翠は自らの作品について語るとき「言葉はつねに文学の強敵」(『「第七官界彷徨」の構図その他』)と喝破した。「言葉」と発語する私は当然のように「私が繰り出す」ものとしての言葉を思い描いて出力している。たとえそれが「他人の言葉」であっても、発語するのは「私」という主体なのだ(私が一時期握りしめていた命綱はムーンライダーズが松明のように掲げた歌詞の一節「薔薇がなくちゃ生きていけない」だった)。むかし風に言えばシニフィアン「私」とシニフィエ「私」は裂け目なく一致している訳である。であるから、私――この、無防備に何の手続きも踏まずに「世界」と発語する「私」に安らいでいる私――にとって、どこからか聞こえてきて私の聴覚ごと「私」主体を拉し去られるような尾崎翠の切れ目なく続く囁きに似た文体は、魅惑だか恐怖だか弁別し難いものとして、謎のままあったのである。

ここまでの記述で、さて「私」が何度出てきたことやら、と鼻白むばかりの「私」中毒である近代的(?)自我の所有者であるところの私には、尾崎翠と同年の作家である野溝七生子の「裂帛の叫び」とでも言いたいような文体が、尾崎翠のふしぎな囁きに比して余程親しくまた刺さってもいた。それにしても、いやそれだからこそ、尾崎翠は「私」にとって恐怖と魅惑の区別をつけ難いものとして――つまり恋のアナロジーとして――あり続けていたのだ。

「第七官界彷徨」に於ける遠近をほとんど感じさせない、平面上に展げられる微細な世界――減法混色による明るい光に満ちたスーラの絵(花田清輝が「異常なまでにあかるい日のひかりにみちあふれた」と評したのも宜なるかな)を思わせる――を遊歩し、絶えず感覚の隘路(パサージュ)に迷い込み「私」を失って彷徨する精神のフラヌールの声(このフラヌールには歯からこぼれる茹で栗の欠片と蘚の花粉が同じに感受され、ピンセットの尖と蘚の脚は今にもダンスのステップを踏みそうな映画的クローズアップで描写される)、「こほろぎ嬢」の、脈絡のないお喋りに興じるような、語りの責任(?)を放擲して噂話を仕込んだり伝聞を取り込んだりするような、「私たち」がノイジーに輻輳する語りの文体。自我を遠心分離器にかけたような、とも分裂的、とも書きたいような風に吹き晒されているさみしくあかるい「声」。

この「声」は「女の子」たちに膾炙した。とりわけ「薔薇がなくちゃ生きてゆけない」少女たちに。膾炙、といおうか、インフルエンスと言い換えてもよい。ジェンダー論から未分化な八〇~九〇年代の少女論の混沌から、「私」ならぬ少女の声は密やかに汲み上げられ続けて来た。そのポリフォニックな声の集積が『尾崎翠を読む』全三巻である。

複数の声によって語られる多面体としての尾崎翠。生地鳥取で二〇〇一年から一五年(!)の間続いてきたフォーラムの年次報告集(『尾崎翠フォーラムin鳥取報告集』)掲載の講演・論文・資料から編集されたものだが、一作家がこれほどの多声を生起させるのは、尾崎翠の声のあらゆる感覚を覆う遍在性(共感覚性)といったものに反応してのことだろうと思う。講演において様々な演者が尾崎翠の「声」を引いて語るとき、その声自体が尾崎翠の声に纏わり、輻輳してゆくのである。「孤独な」少女たちの、声を違えたユニゾン。また、八〇年代から密やかに語られてきたマイナーポエットとしての翠がオーバーグラウンドに到る受容の変遷を、この年次順に編まれた発言によって読み取ることが出来る。尾崎翠の声には、孤独なものを孤独なままに慰撫する力がある。それは感覚の底が抜け、光が乱反射して自他を包摂する、言葉の意味ではないエクスプレッション、いわば共感覚の力である。そのことを、これらの(他人の)声の集積が「語っている」。

この『尾崎翠を読む』三巻は、一・二巻の「講演編」と「資料・親族寄稿・論文編」とが各々年次順に編まれているので、ウェブのリンクを辿ってすぐ関連資料にあたることに慣れきった目には通覧性に欠けていささか不便に映る。しかし、どこから読んでも良いように編まれているとも言える。また、三巻には新たに発掘された最初期の短文や、南條信子名義の少女小説「映冩幕(スクリーン)」(少女小説の感傷的な衣を纏ったドッペルゲンゲル風幻想譚)が初出資料として収録されている。このフォーラムが培ってきた尾崎翠受容の素晴らしい成果である。この語りのポリフォニーを気儘に渉猟することもまた、尾崎翠がくれる愉しみだろう。
この記事の中でご紹介した本
尾崎翠を読む 講演編1/今井出版
尾崎翠を読む 講演編1
編 集:尾崎翠フォーラム実行委員会
出版社:今井出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「尾崎翠を読む 講演編1」出版社のホームページはこちら
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