江戸の糞尿学 書評|永井 義男(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月29日 / 新聞掲載日:2016年5月6日(第3138号)

高尚な興味も下世話な 
期待も裏切られない一冊

江戸の糞尿学
著 者:永井 義男
出版社:作品社
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江戸の糞尿学(永井 義男)作品社
江戸の糞尿学
永井 義男
作品社
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糞尿。負の効用を持つ財の典型であり、お金を払って引き取ってもらうもの。この経済常識がまるで反転している社会があった。江戸時代の日本である。人々が糞尿を争って買い求める社会とは、どのようなものであったか。

糞尿をある程度の日数をかけて発酵させたものを下肥と呼ぶ。牧畜が盛んでなく牛馬の糞に乏しい日本の農家では、きわめて有効な肥料であった。厠の語源は「川屋」だという説がある。日本古来の便所は糞便を川や地面に垂れ流すしくみだったが、下肥の利用が始まってからは便壺に溜めるようになった。金で売れる商品なのだから、無駄に垂れ流してはもったいない、というわけである。 

江戸時代の「汲み取り料」は、汲みとってもらった人がお金や野菜をもらうというものだった。江戸と近郊農村の間では回収と利用の循環システムが完成し、糞尿は立派な商品として取引されていた。それも半端な額ではない。江戸後期の長屋の大家の年収は四十両ほどだったが、その四分の一、十両が共同便所の汲み取り料であったという。川柳にいわく「店じゅうの尻で大家は餅もつき」。下肥にも品質の上・中・下があり、栄養豊富な食事の出される大名屋敷や遊郭のものは上、貧民の多い長屋や、小便の比率の高い女中部屋のものは下とされたとか。

江戸の人口が増えると糞尿も増えたが、一方で近郊での野菜の生産量も増え、汲み取りはますます盛んになった。東京から西へは、六十キロもの肥桶を人や馬で担いでゆくしかなかったが、水運を利用できた東側では「葛西舟」と呼ばれる糞尿輸送船が発達し、豪農が多数の下請を率いて営む巨大ビジネスに発展した。ちょうど今の人が自動販売機を設置するように、街道に公衆便所を設置すると良い商売になった。おかげで江戸の街は、おまるの中身を二階の窓から街路に捨てていた同時代のパリやロンドンに比べ、はるかに衛生的であった。

しかし下肥の利用には弊害もあった。寄生虫の蔓延である。江戸の代表的な病であった疝気と癪は、その原因の多くが寄生虫であったと推定されている。下肥に含まれる回虫などの卵が、野菜を経由してまた口に入る。寄生虫もリサイクルしてしまっていたのだ。回虫は結核と並ぶ日本人の国民病であり、昭和初期でも罹患率は五割を超えていた。腹に収まりきれなくなった回虫が口から出てくるのも、江戸時代どころか戦後に至るまで珍しいことではなかった。

江戸の便所事情についても詳細に書かれている。妓楼の便所は遊女の事後処理の場であり、長屋の便所は庶民の男女の情交の場でもあった。便所でのあれこれを描いた赤裸々な春画は、本書にもふんだんに掲載されている。汲み取り便所の身体感覚を知る最後の世代である著者の筆は、江戸の風物を愛おしむ一方で江戸賛美に偏ることなく、様々な史料を用いて目配りが広い。高尚な興味も下世話な期待も決して裏切られない、懐深い一冊。
この記事の中でご紹介した本
江戸の糞尿学/作品社
江戸の糞尿学
著 者:永井 義男
出版社:作品社
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