ブレイクの隣人 書評|トレイシー・シュヴァリエ(柏書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月30日 / 新聞掲載日:2016年5月13日(第3139号)

ブレイクの隣人 書評
世界にとっての転調者 
ウィリアム・ブレイクへの先入観を払拭する小説

ブレイクの隣人
著 者:トレイシー・シュヴァリエ
出版社:柏書房
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アルフレッド・ベスターのSF長篇作品のタイトル『虎よ!虎よ!』の元ネタとなった詩。トマス・ハリスのサイコ・ミステリー『レッド・ドラゴン』に出てくる連続猟奇殺人犯が自己同一視していた絵。タンジェリン・ドリームの歌詞。ジム・ジャームッシュ監督の映画『デッドマン』。
「以上の情報で思い浮かぶ人物名は?」と問われれば、「読書人」を愛読するほどの教養の持ち主なら間違いなくウィリアム・ブレイクの名を挙げられると思うのですが、この十八世紀のイギリスを舞台に活躍した芸術家が実際に遺した詩や銅版画に接したことがある人はそんなに多くはないはずで、わたし自身かろうじて銅版画は展覧会で見たことがあるものの、詩のほうはてんでという体たらくであり、なんならその異様な画風に接してしまったせいや、「幻視者」という通り名がかもすイメージによって、おどろおどろしい気配と狂気をまとった怪人という印象を勝手に抱いてもいたわけですが、そんな先入観を払拭してくれる小説が先般訳出されたのです。トレイシー・シュヴァリエ『ブレイクの隣人』。

物語は、一七九二年三月、イングランド南部の田舎ドーセットシャーで椅子職人をしていたトマス・ケラウェイが、彼の地で巡業をしていたフィリップ・アストリー(近代サーカス生みの親)に「ロンドンに来て働かないか」と誘われたことから、家族を引き連れて新天地にやってくる場面から滑り出します。ロンドンの喧噪に度肝を抜かれているケラウェイ家の面々は、次男を亡くしたばかりで傷心癒えぬ妻アン、十五歳の長女メイジー、三男ジェムの計四人。一家は、アストリーがテムズ川の南に広がるランベス地区に数多く有している住居のひとつをあてがわれ、新生活を始めることになります。引っ越し早々の一家が出会ったのは、階下の部屋を間借りしている嫌味な先住人ミス・ペラムと、近所に住むおませでお喋りな少女マギー。そして、フランス革命を支持する証の赤帽子を頭に乗せた隣人ウィリアム・ブレイクなのでした。

マギーに心惹かれていくジェム。フィリップ・アストリーの女たらしの息子を好きなってしまうメイジー。アストリーのサーカス団で大道具として働くようになるトマス。サーカスの楽しさを知ることで、少しずつ次男を失った悲しみから抜け出していくアン。この物語の主旋律を奏でるのは、田舎の村から大都会にやってきて、さまざまな経験を積んでいくケラウェイ家の面々なのですが、そこにマギーとその家族が絡んでいくことで、十八世紀ロンドンの庶民が見ていたであろう光景が生き生きと立ち上がる、交響曲のように厚みのある物語が生まれたのです。では、かの芸術家がどんな役割を果たしているかといえば、それは転調。

真っ昼間から庭にあるあずまやで妻とセックスをするブレイク。子どもに優しいブレイク。自分たちの仕事は「幻想を売ることで同じでしょう」と語りかけるアストリーに、「自分にとって現実と幻想はひとつのものだ」と反論するブレイク。子どもたちや貧者の面倒をみない政府に対する批判をやめないブレイク。ジェムとマギーに「相反するものがせめぎあうからこそ、自分自身でいられるんだ。(略)わたしたちの中で、ふたつの相反するものが混ざりあい、ぶつかりあい、火花を散らしあうんだ。そこには光だけでなく闇もある。平和だけでなく戦争もある。無垢だけでなく経験もある」と教えるブレイク。

透徹した眼差しで起こっていることの一部始終を見守るブレイクが登場することで、この娯楽性豊かな物語が、哲学や社会批評といった別のトーンの音を奏で始める。そして思い至るんです。ブレイクはこの物語にとっての転調者というだけではなく、世界にとっての転調者だったのではないか、と。ウィリアム・ブレイクについて、もっと深く知りたくなる。それがこの小説の最大の美点です。(野沢佳織訳)
この記事の中でご紹介した本
ブレイクの隣人/柏書房
ブレイクの隣人
著 者:トレイシー・シュヴァリエ
出版社:柏書房
「ブレイクの隣人」は以下からご購入できます
「ブレイクの隣人」出版社のホームページはこちら
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