「週刊コウロン」波乱・短命顛末記 書評|水口 義朗(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月1日 / 新聞掲載日:2016年5月13日(第3139号)

「週刊コウロン」波乱・短命顛末記 書評
良識ある編集者への敬意と哀惜の念を込めた回想記

「週刊コウロン」波乱・短命顛末記
著 者:水口 義朗
出版社:中央公論新社
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1959(昭和34)年10月、「週刊公論」(通称「週刊コウロン」)を創刊するに当たって、中央公論社嶋中鵬二社長は編集長を兼務して陣頭指揮をとり、「スキャンダルは扱わない」「人を傷つけてはいけない」「トップ屋は原則として使わず、編集者が取材して書く」「特集記事の責任を明らかにするため署名を入れる」との編集方針を掲げた。そして雑誌の定価は、後に書店から不評で他誌並みの30円にしたが、スタートは20円とした。

この年は、NHKに続いて民放テレビ各局がほぼ出そろい、4月10日の皇太子と美智子妃ご成婚パレード中継の視聴者は1500万人にのぼったという。時代の動きはもう月刊誌というペースではとらえられない、週刊誌の時代が来たのだ、と大手出版社は競って週刊誌創刊に走り出した。週刊文春、週刊現代、週刊平凡、朝日ジャーナルをはじめ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデーなどが続々と登場している。

かねてから部数の多い雑誌が欲しいと大衆誌研究を重ねていた嶋中にとって、まさに時機到来だった。しかし、彼は「知的に洗練された面白さを追求したい」という良識ある編集者でもあった。この時期に著者は週刊誌要員として入社する。1961(昭和36)年8月に休刊となるわずか1年10か月間、新米記者時代の目を通して半世紀前の特集、人物評論、コラムなどの具体的内容と時代背景とを再現する(本紙連載を加筆再構成)。編集者の回想録はとかく個人的な話が過剰で鼻白むが、この書は嶋中鵬二という卓抜した企画力を持ち、バランス感覚にすぐれた編集者への敬愛と哀惜の念を込めた「敗戦記」なのである。

出版社系週刊誌の先陣を切ったのは、1956(昭和31)年創刊の「週刊新潮」である。編集方針は「人間は所詮俗物。関心があるのは金、女、権力欲」だった。以後、これが多くの出版社系週刊誌の骨格を形成していくことになる。いま改めて「週刊コウロン」の特集記事をながめてみると、やや文芸色が強く月刊誌的な企画が目に付く。タイトルも他誌にくらべ行儀がよくておとなしい。たとえば、セックス記事を取り上げても、「トジ込メラレタ付録医学―女性にそれほどの性知識が必要か?」と理屈っぽい。新安保条約の自民党単独可決で国会デモが盛り上がるなか、米大統領訪日をめぐる「アイクさん、訪日待った!―米国務省は目下考慮中」というタイトルからは世間の騒音があまり聞こえない。

スキャンダルや社会面記事の裏側にある人間ドラマを深堀りすれば、取材相手を傷つけると同時に取材者自らも心傷つくことがある。週刊文春発刊を前に池島信平は「これで文春の牧歌時代は終わる」と社員たちに覚悟を促した。著者は「週刊誌の編集部にいながら、イヤーな気持ちになったことがない」と書く。信じられないほど幸せな発言である。

1961(昭和36)年2月1日夜、中央公論(60年12月号)掲載の小説・深沢七郎『風流夢譚』に抗議する右翼少年が嶋中夫人に重傷を負わせ、家政婦を刺殺する衝撃的事件が起こる。この半年後に「週刊公論」は休刊となるが、事件の記述にくらべてあまり悲壮感がない。新人の身であり、社自体が『世界の歴史』などの大ヒットで活況を呈していたせいだろうか。嶋中が最晩年「週刊公論をやめたのは、週刊誌の対象になるような事件が、自分の身の回りで実際に起こったからです」と語ったというのは心が痛む。
この記事の中でご紹介した本
「週刊コウロン」波乱・短命顛末記/中央公論新社
「週刊コウロン」波乱・短命顛末記
著 者:水口 義朗
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「「週刊コウロン」波乱・短命顛末記」出版社のホームページはこちら
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