44人へのアンケート 2018年上半期の収穫から|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月27日 / 新聞掲載日:2018年7月27日(第3249号)

44人へのアンケート
2018年上半期の収穫から

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第5回
2018年上半期の収穫から(5)

先崎彰容(日本思想史)

まず、大澤聡編著『教養主義のリハビリテーション』(筑摩選書)。タイトルの通り、鷲田清一、竹内洋、吉見俊哉ら三氏と教養のあり方をめぐり行った対談三本を収める。一九九〇年代に大学に入学した大澤は、現代の教養欠如の深刻さを指摘する。最終章のタイトル「全体性への想像力について」は、たこつぼ化した学問状況を的確に表したものだ。

教養は本来、様々な刺激によって得られる。丸山俊一・NHK「欲望の資本主義」制作班著『欲望の資本主義2』(東洋経済新報社)は、NHKで大反響を巻き起こした教養番組の書籍化だ。先日来日したマルクス・ガブリエルを日本に紹介したのは、この番組の功績である。何より注目すべきは、シュムペーターの著作を随所で引用し、解説を展開するディレクターの熱意である。

そして最後に、まだ教養が生き生きと存在していた一九六〇年代に思想形成した、山本義隆『近代日本一五〇年』(岩波新書)。近代全体を見渡そうとするタイトル自体が大澤聡への応答になっているはずだ。(せんざき・あきなか=日本大学教授・日本思想史)
佐々木力(科学史・科学哲学)

千葉惠『信の哲学――使徒パウロはどこまで共約可能か intellectus ante fidem』上・下二巻(北海道大学出版会)。パウロの「ローマ書」のヒエロニムスによる古ラテン語訳の「誤訳」を指摘する一方で、「信の神学者」パウロを本格的なギリシャ哲学者として、とらえ直した労作。少なくとも問題提起の書として、世界の好意的対応を期待する。

ノーム・チョムスキー『誰が世界を支配しているのか?』(大地舜・榊原美奈子訳、双葉社)。急速に劣化するアメリカ現政権の指導者たちの人間的資質。チョムスキーの答えは、米国・共和党が世界を支配している、ということ。トランプと金正恩の米朝会談にもかかわらず、アメリカ資本主義の衰退は進む。日本の安倍政権は、その衰退に追随するだけなのであろうか?

ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3・0の政治経済学』(亜紀書房)。日本左翼は、「経済」という下部構造を忘却してはならないと説く。そのとおりだ。経済成長重視の姿勢は省られねばらないだろうが、同時に、貧富の不平等が拡大するなか、経済民主主義の主張は、まことに正当に強調されねばならない。(ささき・ちから=中部大学高等学術研究所特任教授・科学史・科学哲学)
五十嵐太郎(建築史)

今年、ジェイン・ジェイコブズのドキュメント映画が公開され、近代的な都市計画を批判した人物に再び注目が集まった。が、開発を批判し、近隣のコミュニティを掲げるだけで良いのか? 渡邉泰彦の『評伝 ロバート・モーゼス』(鹿島出版会)は、ジェイコブズの敵役となった役人の業績を評価する。確かにその手法は強引だったが、モーゼスがいなければ、ニューヨークにとって重要なリンカーン・センターやロングアイランドはなかったはずだ。そうした意味で、どちらか一方ではなく、両方の考え方が必要だろう。南後由和の『ひとり空間の都市論』(ちくま新書)は、コミュニティから切断された「個」を切り口にしている。なるほど、日本的な都市空間論に展開しうるテーマであり、さらなる深掘りができそうだ。小崎哲哉『現代アートとは何か』(河出書房新社)は日本の芸術祭のコミュニティ型の地域アートと違う、グローバリズム時代のアートについて格好の入門書。(いがらし・たろう=建築史家・東北大学大学院教授)
北條一浩(ライター)

はじめての沖縄(岸 政彦)新曜社
はじめての沖縄
岸 政彦
新曜社
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(1)岸政彦『はじめての沖縄』(新曜社)
(2)宝田明、構成:のむみち『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』(筑摩書房)
(3)砂川秀樹『カミングアウト』(朝日新書)
(1)は、文中に「役に立たない」「めんどくさい」本、とあって、「ご謙遜を」と思ったらほんとに役に立たなくてめんどくさい本だった。つまり、「おまえはおまえでやれよ」と突き放される本。ハンディな体裁なのに、沖縄旅行する人にこんなにおすすめできない本もめずらしい。しかし読めば自分だけの本になり得る魅力が大きくある。
(2)は、著者にインタビューする機会があり、「本ができて、この歳で末の娘が生まれたみたいな気持ち」という言葉を頂戴した。満州時代から日本映画の黄金時代、あのゴジラとの出会いなど、逸話がすべてまぶしい。そして宝田さんからこれだけの記憶を引き出した構成者・のむみちの情熱と努力に拍手。

不勉強な私は「カミングアウト」という言葉が、そもそもは性的マイノリティが自分の性的志向を他人に打ち明けることを指している、という事実を(3)のこの本で初めて知った。自身、LGBT当事者でもある著者の言葉は、私のような事情に疎い者にもやさしく開かれている。(ほうじょう・かずひろ=ライター)
小川さやか(文化人類学)

梅屋潔『福音を説くウイッチ』(風響社)は、ウガンダ東部のパドラの「災因論」をめぐる民族誌。病や死といった受け入れがたい災いに直面した人間の「なぜ?」に応答する災因論。複数形の災因論・物語論・「アブダクション」論を駆使し、この「なぜ」がいまだ色褪せない人類学の根源的問いを成すことを鮮やかに示す。

橋本栄莉『エ・クウォス』(九州大学出版会)の対象は「予言」。紛争、大量の避難民・難民の創出、国家の誕生といった激動を生きる南スーダンのヌエル。状況の変化に従って経験の隠された領域、予言とともに在る「正しい」現実を見出す人間の想像力の意味を根底から問う。

ナターシャ・ダウ・シュール『デザインされたギャンブル依存症』(青土社)は、ラスヴェガスに集まるギャンブラーたちの経験とギャンブル業界による「依存症のデザイン(設計)」とを結びつけ、マシン・ギャンブルの拡大を人類学的に解き明かす。

偶然・運命と現実のハザマを問う豊かさ。(おがわ・さやか=立命館大学先端総合学術研究科准教授・文化人類学・アフリカ研究)
岩本真一(衣服産業史)

都築響一文・写真『HAPPPY VICTIMS―着倒れ方丈記』(復刊ドットコム)は一丈四方の部屋に精神宇宙を見出だした鴨長明「方丈記」をヒントに、洋服好きの人々と服や靴に溢れた部屋とをブランド別にまとめたもの。1ブランドに一般人1人を対応させて、その人物像や日常生活を紹介。都市生活の中身をカラフルに見ることができる。各部屋に広げられた配色は荒木経惟の作品類を思わせる。

青田充弘『501XXは誰が作ったのか?―語られなかったリーバイス・ヒストリー』(立東舎)はリーバイス社の写真資料をもとにズボンの製図、特許、ミシン、ボタン、販売広告等を豊富に収め、同社とジーンズを取り巻く時代を詳しく知ることができる。著者が同社からの支援や情報提供を受けずに独自におこなった調査が特徴。類書の中で最も詳しくかつ分かりやすい。

鈴木美和子ほか『アパレル素材の基本』(繊研新聞社)は旧版の加筆修正版。繊維、糸、織物に大別され、衣服や雑貨類の素材を知るには持っておきたい一冊。染色、布柄、衣料品アイテム名と名称も写真、イラスト、図表を豊富に盛り込んで理解を促してくれる。ファッション系学校の学生やアパレル業界の就業者に向けて編まれた。(いわもと・しんいち=大阪市立大学・同志社大学ほか講師・衣服産業史)
郷原佳以(フランス文学)

声、顔、そして言語の境界に関わる三冊。
國分俊宏『ミシェル・ファルドゥーリス=ラグランジュ 神話の声、非人称の声』(水声社)。〈シュルレアリスムの25時〉叢書の一冊で、標題作家の小説と詩の融合した作品を読解する。ファルドゥーリスの名はブランショの伝記に頻りに出てくるのでたまたま知っていたが、作品を知っていたわけではなかった。翻訳紹介はなされてこなかったので、予め作品を知っていて本書を手に取る人は少ないだろう。けれども、著者の読解を辿れば、書くことによってのみ生じるような声あるいは「私」の探求がいかなるものかを知り、作品を想像することができる。直接には決して語ることのない者のために「私」として書くしかない、という言葉は目から鱗だった。

佐藤真理恵『仮象のオリュンポス 古代ギリシアにおけるプロソポンの概念とイメージ変奏』(月曜社)。「顔」と「仮面」を同時に表し「表面性」や「対面性」を含意するギリシア語「プロソポン」の用法を様々な古典文献を博捜して具体的に示し、先行研究にも訂正を迫りながら、顔と仮面を対立させる近代的思考の外あるいは成立過程へ読者を連れてゆくスリリングな書。

ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス 言語の忘却について』(関口涼子訳、みすず書房)。無限の音声能力を持っていた幼児が一つの言語を獲得し始めるとその能力を失ってしまうことをめぐるヤコブソンの研究から始めて、一言語を可能にしているその音韻論な外部に注目してゆく。その外部をめぐる逸話が最終章「バベル」に至るまで二一章並び、私たちが健忘症者であることが露わにされる。さながら口にできない音をめぐるカフカ的な寓話を読み続けているかのようである。多和田葉子の『地球にちりばめられて』も想起された。(ごうはら・かい=東京大学准教授・フランス文学)
倉本さおり(ライター)

「女性性」の呪いを新しいやり方で解きほぐす三冊。
・はらだ有彩『日本のヤバい女の子』(柏書房)は、民話や古典に登場する女たちが担わされ続けてきた役割を、現代的な視点で解体していく新感覚エッセイ。しなびた社会規範(=お仕着せの物語)を脱ぎ捨てた後に現れる、彼女たち自身の輝きに括目してほしい。
・ジャッキー・フレミング『問題だらけの女性たち』(松田青子訳、河出書房新社)は、十九世紀までまかりとおっていた女性にまつわるどぎつい偏見の数々を敢えて肯定してみせることで、シュールな笑いに変換してしまう。表情ひとつで笑いの主客を転倒させるイラストの妙に痺れる。
・トミヤマユキコ『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)は、いわばアンチ「オシャレ本」の本。「圏外/圏内ファッション」という言葉を用いることで本人の好みや個性を隔離し、既存の物差しで押し潰すことなく自己像をコントロールする術を教える。実に健全なライフハックだ。(くらもと・さおり=ライター)
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