44人へのアンケート 2018年上半期の収穫から|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月27日 / 新聞掲載日:2018年7月27日(第3249号)

44人へのアンケート
2018年上半期の収穫から

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第6回
2018年上半期の収穫から(6)

成田龍一(日本近現代史)

国体論 菊と星条旗(白井 聡)集英社
国体論 菊と星条旗
白井 聡
集英社
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平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書)ともすれば国内の動向に目を向けがちな日本の戦国時代を、世界史的な文脈に位置づける快著。豊臣秀吉の朝鮮への出兵が、明やインドの征服を野望し、スペインやポルトガルと駆け引きしていたことを導入とし、大航海時代との接点を描く。「日本史」と「世界史」とに切り分けられていた歴史認識を、ひとつのものとする営みといいうる。

佐藤卓己『ファシスト的公共性』(岩波書店)「方法としてのファシズム」をいい、1920年代―40年代の歴史を描きなおす著作。いや、これまでの歴史認識が、「「戦後民主主義」的思考」に基づくことをあきらかにし、そこでの議論を転回する営みである。総力戦体制によってつくり出された転回を、歴史化しつつ、その論点によって歴史像を描くという力技である。

白井聡『国体論』(集英社新書)現在の日本の歴史的位相を、「近代日本」の射程で考察する著作。「戦後日本」の「特異な対米従属」のありようを「戦後の国体」と把握し、「戦前の国体」の形成―相対的安定―崩壊の過程と重ねあわせながら描く。「戦前」と「戦後」の歴史が、並行的に再解釈されるとともに、双方の構造的な同位性が主張される。それを「国体」と名付ける、挑発的な営みでもある。(なりた・りゅういち=日本女子大学教授・日本近現代史)
植村八潮(出版学)

田坂憲二『日本文学全集の時代―戦後出版文化史を読む』(慶應義塾大学出版会)。60年代、小遣いの中から予約購読していた全集が届くたびに、父が愛おしそうに書棚に並べていたことを思い出した。読書と教養の恵まれた時代について、出版戦略でもあった文学全集を通して明らかにする。

米澤泉『「くらし」の時代―ファッションからライフスタイルへ』(勁草書房)。なぜ、本が売れないのに本屋ブームなのか、その疑問を解くために手にした1冊。ファッションが創り出すブームは、売れることに直結した時代でもあった。「ていねいなくらい」を求める今は、「売れる」ことを希求しない時代かもしれない。

竹岡健一『ブッククラブと民族主義』(九州大学出版会)。ブッククラブは本を安価に購入できる会員制組織として読書を広く国民に定着させた、と捉えがちである。本書は、それに加えて民族主義の普及に利用されナチス政権成立の役割を果たしたと分析する。第39回日本出版学会賞受賞作。(うえむら・やしお=専修大学教授・出版学)
石原千秋(日本近代文学)

藤澤るり『夏目漱石の文学的現場 意識と思考の焦点』(青簡舎)。『行人』は長野二郎の「手記」と判断せざるを得ない。それなのに、長野二郎の言葉を信じないで論じた「『行人』論・言葉の変容」の衝撃はいまも忘れられない。その後は徹底的に「言葉」にこだわった論を書くことになった。この「しつこさ」がいい。ただし、参考文献に誤字が散見されるのは残念。

小谷野敦『夏目漱石を江戸から読む』(中公文庫)。漱石文学とそれを論じる者の「女性嫌悪」をこれでもかというほど強烈に炙り出す秀抜な漱石文学論。とにかく面白い。「女の謎」を進化論と結びつけて論じたのは僕の専売特許だと思っているが、「女の謎」自体はこの漱石論でたっぷり論じられている。何度も読んだので、この本からヒントを得たことを忘れていた。なお、最も知的な漱石文学批判者である正宗白鳥の漱石論を収録したのは見識だと思う。

三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』(講談社)。「孤独」を文化の問題として、特に「言語」の問題として論じる。「言語」が人に内省を強いる。たとえば「人間は感動するが、犬や猫は感動しない」のは、言語敵艦感覚によってであり、それが「孤独」を生むのだと。哲学者の黒崎宏に「人間だけが嘘をつくことができる」と教わったが、その意味がようやくわかった。装幀も最高にいい。(いしはら・ちあき=早稲田大学教授・日本近代文学)
片岡大右(仏文学・社会思想史)

民主主義的実践との曖昧な調和関係のもとに理解された「立憲主義」の一語が漠たる自明性の気配を帯びて定着したことは、二十一世紀日本の社会的議論をむしろ平板で知的生産性に乏しいものにしてしまったといえる。しかしその再評価の立役者の充実した最新論集、樋口陽一『抑止力としての憲法 再び立憲主義について』(岩波書店)を手に取り、同時期刊行の反立憲主義の書、デヴィッド・グレーバー『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』(酒井隆史訳、以文社)とあわせ読むなら、民主主義との鋭い緊張をはらんだこの概念本来の論争的性格が、改めて実感されるはずだ。同書との意義深い対話を構成する書物として読みえた新刊という同じ観点から、さらに伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス』(岩波新書)と佐藤泉『一九五〇年代、批評の政治学』(中公叢書)の二冊を――合計四冊になってしまうが――挙げたい。フランス的政教分離の今日的展開のうちに深刻な逸脱を認める前者は、そこに共和主義的理念の継続を確認する樋口流の理解への異論を提出しているし、前近代を通しての「近代の超克」という問題系にあえて立ち返った竹内好、花田清輝、谷川雁を論じる後者は、かつて「近代理性主義擁護の最後のモヒカン」たることを宣言した憲法学者の立論を、生産的に挑発せずにはいまい。ともあれ、こうして、少なくとも書籍の世界ではそれなりに多様な言論が維持されているのだから、やはりわたしたちは本を読むべきなのだ。(かたおか・だいすけ=フランス文学・社会思想史)
秦美香子(漫画研究)

米澤泉『「くらし」の時代』(勁草書房)。衣食住に関する消費は「エシカル(道徳的)」であることによって免罪される、などの感覚を、女性誌の言説に注目しながら論じる。「なんとなく、クリスタル」から「なんとなく、エシカル」へ、という時代の変化を鋭く描き出している。

佐藤彰宣『スポーツ雑誌のメディア史』(勉誠出版)。戦前・戦後のスポーツ雑誌を連続的に分析し、かつて『ベースボール・マガジン』等が読者の啓蒙を強く意識していたことを明らかにしている。スポーツ・メディアの研究として他にはあまり見られない視点であり、興味深い。

ジャッキー・フレミング『問題だらけの女性たち』(松田青子訳、河出書房新社)。諷刺画と短文の組み合わせによって、西洋近代の女性観を紹介する。各ページには当時の女性観を再現したような内容が描かれており、その皮肉な表現の連続を通して、女性や男性について固定的に語ることの珍妙さが暗示されている。(はた・みかこ=花園大学准教授・漫画研究)
長山靖生(評論)

伊藤氏貴『美の日本』(明治大学出版会)は、日本の固有性として語られがちな「日本美」とは何かを問う。著者は「もののあわれ」「幽玄」「わび」「さび」「いき」など時代毎のキイワードの諸概念全体を貫く価値観を、主客の一体感のうちに多様性を受け入れ、移ろいやすいもの、不完全なものに進んで美を見出す気持ちだと説く。構えた議論や制度的規定なしに、「美」が一種の倫理として機能するという考えは、現代日本への示唆に富んでいる。

千森幹子『ガリヴァーとオリエント』(法政大学出版局)は、本文テキストや諸版の挿絵意匠を通して、英仏のオリエンタリズム、また日本における明治から一九二〇年代の翻訳本に見る冒険性の強調や抄訳ポイントの意味などを読み解く。

筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』(中公新書)は、戦前から見られた劇場型大衆動員政治の軌跡、スキャンダリズムと政党批判を繰り返して結果的に大衆を煽ったメディアの姿勢を追う。(ながやま・やすお=評論家)
長谷川一(メディア論)

想田和弘『THE BIG HOUSE――アメリカを撮る』(岩波書店)は、世界最大のアメリカンフットボール場ミシガンスタジアムにかんするドキュメンタリー映画の製作記録だ。アメリカ社会の縮図をめぐり、映像作家自身の「観察」と、共同製作者の教授や学生たちそれぞれの「観察」とが烈しくせめぎあう。ダイレクトシネマの歴史に新たな一歩を刻む作品は、こうして生まれた。

荒木一視『近代日本のフードチェーン――海外展開と地理学』(海青社)は、戦前の日本が、海外や植民地にどのような食料供給網を張り巡らせてきたかを仔細にとらえた好著だ。日々の生活を根本から支える食料の地政学という視点は、既存の歴史・地理的感覚を書き換えてゆく。

堀田典裕『〈モータウン〉のデザイン』(名古屋大学出版会)は今日わたしたちの暮らす都市・建築的環境の歴史を、自動車という観点から読み解きなおす。ぼくはいずれ〈ドライブ〉経験による日本人の知覚変容という主題で本を書きたいと考えているので、大いに刺戟をうけた。(はせがわ・はじめ=明治学院大学教授・メディア論・メディア思想・文化社会学)
府川源一郎(国語教育)

中澤渉『日本の公教育―学力・コスト・民主主義』(中公新書)。世界的に公教育は大きな曲がり角を迎えている。とりわけ公教育費の少ない日本には多くの課題がある。本書は、歴史的な検討や各種統計を駆使して、日本の公教育の社会的な役割を主にコストと言う点から検討する。その営為は、民主主義の意義を考え直すことにもつながっていく。

中村高康『暴走する能力主義―教育と現代社会の病理』(ちくま新書)。「後期近代」のメリトクラシー社会を「再帰性」という概念をてこに鋭く剔快している。著者は、現代は「新しい能力を求めなければならない」という不安が強迫観念となっているという。それに対して私たちはどのようなスタンスを取るべきかが、隙の無い論理構成と読み手を魅了する明快な文章によって語られている。

原田実『オカルト化する日本の教育―江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』(ちくま新書)。筆者は偽史・疑似科学に依拠した教育論が学校に侵入していると警告する。「偽史」を受け入れる人々の心性の検討と、その言説が今日の教育にも大きな影響を与えていることの意味が広い視野から論じられている。関連書に昨年下旬に刊行された小澤実『近代日本の偽史言説│歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』(勉誠出版)があり併読すればさらに問題は広がっていく。(ふかわ・げんいちろう=日本体育大学教授/教育史・国語教育)
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