西部邁発言①「文学」対論 書評|西部 邁 (論創社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月28日 / 新聞掲載日:2018年7月27日(第3249号)

文学への敬意と低い眼差し 
わたしたちは言葉を頼りに生きている

西部邁発言①「文学」対論
著 者:西部 邁 、古井 由吉、加賀 乙彦、辻原 登、秋山 駿
出版社:論創社
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わたしは生き方の中心にどんな感情を置くかで、人生は決まると考えている。金銭欲や名誉心を置けば、それを目指して生きるはずだし、学問や自らの研究を置けば、そちらのほうに向かうはずだ。人の生き方はそれぞれだから、とやかく言うことではないが、本書の西部邁氏の対談者は、司会者の富岡幸一郎氏をはじめ、古井由吉・秋山駿・加賀乙彦・辻原登氏はそこに文学を置いた。

そのために古井氏は大学教員を、秋山氏は新聞社を、加賀氏は医師を、辻原氏は商社員を辞めた。生業だった仕事を脇に置き、文学を中心に生きる決心をしたのだが、そのことを貫くことは並大抵のことではない。文学で身を立てることや、経済的に満たされる生活を送るということは不可能だし、元々、そんなことを考えて生きているわけではない。

どんな生き方をしても、わたしたちの行き着く先は同じだが、どうして文学の世界に身を置こうとするのか。名声が欲しいわけではない。野心があるわけではない。自らが生きる苦労のほうに足を進めるが、それがなんのためになるのか。書かなくても生きていける。読んでもらわなくてもさしたる影響もない。

それでも自分の世界を構築しようとしたり、おもいを文章にして摑もうとする。あるいは自己の文体を探り、本人にも理解できない摩訶不思議な感情を形にしようとする。彼らはみな独特の文体と生き様を持っているが、それが言文一致となっていて、彼らの人生が見えてくる。そのことはホスト役の西部邁氏が文学好きだということも影響しているが、彼らの教養の豊かさと知性が、良質の対談集を作り上げている。

近年、時代の変化もあり、文学の危機、小説の危機というよりも、言葉そのものの危機という気もする。「読書」、つまり読んで書き、自己を見つめるという行為が希薄になれば、短絡的な人間ばかりが増えるのではないかと、少し大げさな不安も芽生えてくる。

西部邁氏は文学が政治や社会評論よりも普遍的であることを知っているし、神学・哲学・文学の流れが、人間の精神構造を育成するということも知っていた。そのために本書を読んでいてもわかるが、彼は文学者に対して敬意をはらっているし、文学がおのれの言葉によって、過去にも未来にも飛び、なおかつ我が身の心の深淵も探ることができると気づいている。その敬意と低い眼差しが、本書を味わい深い書物にしている。

司会者である富岡幸一郎氏は西部邁氏が対談の名手だと言っているが、まさにその通りで、それは先にも述べたように、西部自身が文学好きだったからにほかならない。それに本書には、対談者たちが自ら 摑んだいい言葉が随所にある。それは懸命に生きる者たちだけが摑み得る言葉で、わたしたちは言葉を頼りに生きているということを、改めて教えさせられる。

ここに登場する人物たちは、誰も手を差しのべることのできない世界にいる。そこには孤独や不安に揺れ動く気持ちもあるだろう。秋山駿は亡くなる少し前に、リハビリをなにもやらないのを見て、少しはやられたらどうですか、とこちらが問うと、おめえ、おれにはおれの生きるスタイルがあるんだよと江戸弁で言った。わたしは死も怖れぬその言葉に茫然としたが、自死した西部邁と通低する感情があったのではないか。今もそう思えてならない。本書の文学者・知識人たちの内包している感情を、ぜひ読み取ってもらいたい。
この記事の中でご紹介した本
西部邁発言①「文学」対論/論創社
西部邁発言①「文学」対論
著 者:西部 邁 、古井 由吉、加賀 乙彦、辻原 登、秋山 駿
出版社:論創社
以下のオンライン書店でご購入できます
「西部邁発言①「文学」対論」出版社のホームページはこちら
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