柳宗悦 「無対辞」の思想 書評|松竹 洸哉(弦書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月28日 / 新聞掲載日:2018年7月27日(第3249号)

著作の丹念な読み込みによって柳宗悦の生涯や思想に迫る 

柳宗悦 「無対辞」の思想
著 者:松竹 洸哉
出版社:弦書房
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柳宗悦が民藝を提唱して100年近くになる。無名の工人たちによって作られたありふれた雑器の中に美を見出そうとする民藝は、日本の近代工芸において、長い歴史を持つ全国各地の伝統工芸や観賞用の美術工芸、あるいは海外に由来するクラフトのいずれとも異なる独自の地位を占めてきた。今では民藝と聞いて地方の土産物と誤解する者も少なくないが、それは歴史の浅い「民衆的工藝」が、短期間の間に広く社会に浸透した事実の裏返しでもある。

民藝の強い影響力が、提唱者である柳宗悦のカリスマ性に多くを負っていることは誰しも異論あるまい。民藝運動のリーダーにして日本民藝館の設立者でもあった柳は多くの著作を執筆した著述家でもあった。李朝時代の朝鮮工芸や江戸後期の仏師・木喰上人の仏像などとの出会いを通じて民藝の発見に至った経緯は、柳自身の著作や多くの解説書で繰り返し強調されているが、それはあたかも貴族趣味と泥臭さを融合したかのような独自の美の規範に対する称賛と、数多の日用雑器の中からごく一部のものだけを主観によって選ぶ偏向した態度への強い反発とを同時に生み出すことになった。

敢えて単純化するなら、本書は民藝運動の信奉者の立場から書かれた著作と一応は言えよう。著者は長いキャリアを有する陶芸家だが、実作者としての経験則ではなく、あくまでも著作の丹念な読み込みによって柳の生涯や思想に迫ろうとする。もちろんそうした試みは他にも存在するが、「無対辞」という概念を手掛かりとした解釈は、類書とは異なる本書の大きな特徴として挙げられよう。

手際よく説明するのは難しいが、「無対辞」とは晩年の柳が強い関心を抱いていた、世界を善悪や美醜といった二元論でとらえるのではなく、一切の対立を包み込んだ「一」なるものとしての仏(神)の境地に達することを理想とみなす思想である。私はこの言葉を浄土真宗に由来するものと考えていたのだが、著者によればこの言葉は柳の若い頃からの一貫した関心に対応したものなのだという。

一つだけ例を挙げておこう。大学の卒論でブレイクを取り上げるなど、学生時代の柳が西洋美術に熱中していたことはよく知られている。そのため、その数年後に訪れた李朝工芸との出会いはしばしば関心の移行のきっかけとして語られてきたのだが、著者は「ブレイク、更には民藝論とその後に至る宗悦の美の思想は、事物に内在する「真性」を直覚していくなかで、自らの普遍的世界に繋いでいく志向性において一貫していた」と断言する。柳の関心には明らかな連続性が認められるというわけだ。

柳を論じるにあたって、著者が「用の美」「下手の美」「哀傷の美」「直観」といった常套句ではなく、敢えて遺稿で言及されている「無対辞」を核に据えたのは、あるいは民藝運動にある種の宗教思想的な側面を見出そうとしたからかもしれない。著者によれば、「無対辞」の思想は因幡の妙好人源左、中世の神秘思想家エックハルト、ネオプラトニズムの提唱者プロティノスらにも見出されるという。その当否の判断はもはや私の能力の及ぶところではないが、柳の思想の予想外の奥行きを知り得たことは大きな収穫であった。
この記事の中でご紹介した本
柳宗悦 「無対辞」の思想/弦書房
柳宗悦 「無対辞」の思想
著 者:松竹 洸哉
出版社:弦書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「柳宗悦 「無対辞」の思想」出版社のホームページはこちら
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