絵物語 書評|ディーノ・ブッツァーティ(東宣出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月8日 / 新聞掲載日:2016年5月20日(第3140号)

この世界そのものの神秘や謎あるいはカタストロフィへの恐怖や不安

絵物語
著 者:ディーノ・ブッツァーティ
出版社:東宣出版
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ブッツァーティといえば、20世紀イタリアの幻想文学の旗手として知られ、その代表作『タタール人の砂漠』は、昔私が買い求めた世界文学全集にも収録されていて、いつか読みたいと思いながら、未読のまま今日にいたっている。そんなブッツァーティが画家でもあったとは知らなかった。書くことと描くこと。詩人であり画家でもあった例としては、与謝蕪村やアンリ・ミショーなどがすぐ思い浮かぶが、小説家にして画家でもあるというのは、きわめて珍しいのではないだろうか(画家が小説をものした例なら、池田満寿夫とか赤瀬川原平とかを挙げることができる)。ましてや本書『絵物語』のような、自分が描いたタブローに自分が書いたテクストを添えるという、いわばひとりコラボレーションの例を、私は寡聞にして知らない。

繙くと、左ページにテクスト、右ページに絵という構成(巻末に「各作品について」という訳者の行き届いた解説がついている)。文章のほうは数行程度の物語のエッセンスという趣で、一見とくに変哲はない。ユニークなのはなんといっても絵のほうだろう。おおむね素朴派風の具象だが、それは物語ることを絵にも課したこの作家にとっては、ある意味、必然であったと考えられる。どこか既視感にも満ちていて、あきらかにデ・キリコに似た画面構成があるかと思えば、アメリカのポップアート、ウォーホールやリキテンスタインのあからさまな模倣を思わせるところもある。それもそのはず、訳者長野徹によれば、ポップアートに学んだ引用の技法こそは、正規の美術教育を受けていないブッツァーティにとっては、技術的な未熟さを補う恰好の手段でもあったのである。しかし、これも訳者が指摘しているように、「アメリカのポップアーティストたちが試みたような、大衆文化の無名性や現代社会の大量生産・大量消費のイメージの提示などとは全く異なるものであるのは言うまでもない」。

では、何が描かれているのか。ひとことでいうなら、この世界そのものの神秘や謎であり、あるいはカタストロフィへの恐怖や不安であり、そこにおいて描くことは書くことと出会い合流する。ブッツァーティの小説も、まさにいま挙げたような諸テーマが展開するらしいからである。しかしながら、この『絵物語』においては、テクストはかならずしも絵の内容に沿ったキャプション的記述であるとはかぎらず(絵がテクストに添えられたたんなるイラストでないのと同じように)、むしろ絵とのあいだに微妙なずれをもつくり出している。そのずれがあらたな謎を呼んで、そこからさらなる物語が、あるいは物語の彼方が、夢見られているかのようだ。

ともあれ、本書は理屈抜きにも楽しい。私にとっての白眉もしくは圧巻は、代表作でもあるらしい16ページ、都市が山であり、山が都市であるようなブッツァーティ独特の幻想世界が開かれる「ミラノのドゥオーモ広場」ということになろうか。いや、まだある。たとえば四コマ漫画風に、黒いギザギザした機械状の化け物(男の欲望の象徴?)が、裸で部屋を掃除する女の体内に入り込んで、やがてその女を自分と同じ――ただし肉色の――ギザギザ状に変えてしまう62ページ、「朝の訪問者」にも、わが色情的な想像力をいたく刺激された。被虐と嗜虐が交錯する暴力的なエロティシズムは、本書のとくに後半の主要テーマのひとつとなっていることを言い添えておこう。(長野徹訳)
この記事の中でご紹介した本
絵物語/東宣出版
絵物語
著 者:ディーノ・ブッツァーティ
出版社:東宣出版
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