参加者:荒巻義雄(作家)、増田まもる(翻訳家)、巽孝之(慶應義塾大学教授、SF評論家)  司会・本文構成:岡和田晃 山野浩一氏追悼パネル 電子版限定(2) 第56回日本SF大会(ドンブラコンLL) 於:静岡コンベンションアーツセンター・グランシップ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月31日

参加者:荒巻義雄(作家)、増田まもる(翻訳家)、巽孝之(慶應義塾大学教授、SF評論家)  司会・本文構成:岡和田晃
山野浩一氏追悼パネル 電子版限定(2)
第56回日本SF大会(ドンブラコンLL) 於:静岡コンベンションアーツセンター・グランシップ

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前回までの記事は右のリンクから 2018年6月29日号掲載記事電子版限定(1)
第1回
●7:大和田始と、デーナ・ルイスによる追悼文

岡和田 
それで話を進めますと、学生運動が行き詰まるなかで、NW-SFにはノンセクトの若者が集まってきたと。そこで出てきたのが、國領昭彦さん、大和田始さんなんかでした。大和田始さんから追悼文をいただきましたので、読み上げたいと思います。

「さらばでござる」(大和田始)


 山野浩一さんがたちまちにしてなくなった。終活をきっちり済ませて逝ってしまった。私の人生でただひとり師匠というべき人だった。ただしこの弟子は出来が悪かったけれど。

20才代の10年近く、山野さんの掌の上で転がされ、翻訳家に仕立てられて、何冊かの訳書を出してもらうことができた。ただし私はその後SFを離れたので、恩に報いることがあまりに少なかったのが心残りだ。

山野さんはあらゆることを議論し解明しようとした。数学のような解の出るものから、一般には解などないと思われているようなことまで。山野さんのSFにならぶ業績である競馬の評論でも、血統によって馬の優劣を解明しようと、克明なノートを取っていた。

人間も5年ごとに区切って性格を考えるのが好きだった。血液型人間学、占星術にも関心をもち、将棋や囲碁に熱中した。囲碁の先生とは打ち手の評価をめぐって議論の果てに決裂したこともあった。

SFについても同様で、スペキュレーションの徹底がなっていないとアメリカSFを断罪し、折からの英国ニューウェイヴに活路を求めた。自費をつぎこんで「季刊NW-SF」を発行し、日本SF界に殴り込んだ。革命には成功しなかったが、ラテンアメリカの小説の隆興に日本SFの未来を幻視していたのではないかと思う。近年、樺山三英や岡和田晃の登場を見て、革命の成就を感じていたのは幸いだったと思う。

山野さんはもう、山野さんの書いたものと私たちの記憶の中にしかいない。



岡和田 
(会場からの拍手を受けて)、これは日本SF作家クラブの公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」に掲載予定です(その後、2017年9月20日号に掲載)。大和田さんは大学を出て、そのままNW-SF社の社員になった方で、山野さんのもとには、当時の履歴書も残っていました。

そして、デーナ・ルイスさんのことも忘れてはなりません。黒田藩プレスが刊行した日本SFの英訳アンソロジー『Speculative Japan』(2007年)に、山野浩一さんの「鳥はいまどこを飛ぶか」の英訳が収められていますが、遺品から別バージョンの「鳥はいまどこを飛ぶか」の英訳原稿もありまして。巽さんと検討したところ、デーナさんの訳だと判明しました。
鳥はいまどこを飛ぶか_英訳
巽 
昨日、デーナ・ルイスさんからメールをいただいて。デーナさんは、もともとデイヴィッド・ルイスさんだったんですが、ジェンダーを変えられまして。今はデーナ。2013年の第2回国際SFシンポジウムでも司会をされていたので、ご存知の方も多いと思うのですが、英訳を通して日本SFの国際化に貢献されたパイオニアです(参考『国際SFシンポジウム全記録』、彩流社、2015年)。先ほど、荒巻さんが「佇むひと」の話をされていましたが、筒井康隆「佇むひと」の英訳版を「オムニ」に送って、筒井康隆が広く知られるようになったのも、デーナさんのお力です。
岡和田 
「NW-SF」の9号の「プレリミナリィ・ノート」に、「佇むひと」の英訳は売れたが、「鳥はいまどこを飛ぶか」の英訳は売れなかったと書いてありました。
巽 
で、デーナさんはTwitterで山野さんの訃報を知ったと。亡くなって何週間も経ってから知って衝撃を受けている。それで、今回も直前まで、静岡に行ってパネルに出たいと言っていたのですが、実行委員会から許可が降りないならSkype参加でもいいし、それでもダメならば追悼文でもいい、と。

けっきょく彼女は「ニューズウィーク・ジャパン」の仕事をずっとやっていて、それとは別に、今日の7時に納品しなければならない翻訳があるということで、最終的には追悼文をいただきました。午前2時くらいで、何度も書き直されてバージョンが5つくらいになったのでしょうか。その最終版を、以下に翻訳して読み上げたいと思います。

「回想の山野浩一」デーナ・ルイス(巽孝之訳)


 世界で最も古い友人のひとりが亡くなったのを知ったのは、ついきのうのことだ。それも、何ともおぞましいことに、ツイッターを通じてだった。彼はもう何週間も前に逝去していたというのに、耳に入っていなかったとは。

あれはわたしがまだまだ生意気な大学生で、日本に再来日した時のある日、神戸駅近くの小さな書店を訪れたことがある。日本にもSFがあるのかどうかを確かめたかったのだ。

1974年。アメリカ合衆国のスモールタウンで暮らす大学生なら、日本にゴジラ以外の SFがあるなんて知るすべもない時代だった。

幸い、その書店には早川書房のSFシリーズ(銀背)が並ぶ小さな書棚があった。そこからいちばん薄い銀背を二冊ほど引き出す。というのも、当時のわたしの日本語能力では薄い本ですら読むのに相当な時間がかかるだろうと考えたからだ。

その本こそは山野浩一による短編集『鳥はいまどこを飛ぶか』(ハヤカワ・SF・シリーズ、1971年)だった。研究社の和英辞典と漢和辞典と首っ引きで、表題作を読み終えた。感動した。

帰国したわたしは、さっそく山野さんに手紙を書いた。すると彼はたちまち、「NW-SF」がぎっしり詰まった大きな段ボール箱を送って来てくれた。「鳥」を英訳してもかまわない、という許可とともに。さっそくタイトルを “Where do the birds fly now?”に決めた。

日本に留学することになった時、わたしは山野さんに連絡を取った。彼はアパートへ招待してくれたが、そこは暗く狭苦しい空間だった。いたるところ本と雑誌がうずたかく積み上げられており、書棚がひしめきあって限界をきたしていた。まさにそんなところで、わたしは山野さんと才気煥発な山田和子さん、そして NW-SFワークショップの面々との初対面を遂げたのである。それから何年ものあいだ、山野さんはわたしの日本における一番の親友にして師匠となった。

それがこんなにもむかしのことになってしまうとは――最初に『鳥はいまどこを飛ぶか』を手にした時にさかのぼるとは。人生とは何と長いものだろう。

そう、人生というのは、とてつもなく長く続く。

そして人生の途上で、人は道を見失ってしまう。

大切なことを、かけがえのないことを、いったい自分の人生の黄金時代が誰のおかげでもたらされたのかすら、よくわからなくなってしまうのだ。

当初はジャーナリズムの世界で、やがて漫画やそのほかの世界で、わたしはどんどん多忙をきわめ、山野さんに会うことがなくなってしまった―—それが何ヶ月も、何年も続く。

最後にお目にかかったのは、2006年にアメリカへ戻りサンフランシスコで仕事をするのが決まった時だった。次に再来日した時にはぜひとも再会したいと告げた覚えがある。

けれども、わたしは連絡を怠った。短期旅行で来日することはあったが、山野さんには連絡しなかった。あまりにも忙し過ぎたのである。

ようやく再び日本で暮らすようになったのは五年前のこと。けれども、わたしはなおも多忙だった。早く山野さんに連絡しなければと気ばかりが焦っていた。

超多忙の内実は、膨大な産業翻訳と楽しくも低俗な漫画翻訳である。日本SFの年刊傑作選を毎年毎年買い込んではいたものの、読みこなす時間などありはしない。

だから黒田藩プレスを経営するエドワード・リプセットがジーン・ヴァントロイヤーとグラニア・デイヴィスの共編により、日本初の世界SF大会Nippon 2007に間に合うよう日本 SFアンソロジー『Speculative Japan』を刊行し、そこに拙訳の「鳥」を入れてくれたことは、ほんとうにうれしく思っている。

とはいうものの、その先に待ち受けていたのは不幸な結末だった。

これだけの歳月を費やしたのちであっても、わたしは何も学習していなかったのだ。たんに忙殺されるばかりの日々だった。

もちろん「山野さんに手紙を書かなければ」という思いが心を離れたことはない。そうだ、来週手紙を書こう。来月電話してみよう。

そこへ飛び込んで来たのが、きのうの訃報である。わたしは日本 SF大会における山野浩一追悼パネルの知らせをツイッターで目にして、日本における最初の師匠にして友人が亡くなってしまったことを知ったのだ。

山野浩一という人が日本SFにどんな意義があったのか、それは定かにはわからない。

山田和子氏が J・G・バラードを日本に定着させるのに大きな貢献があったことは、よくわかっている。NW-SFワークショップのメンバーであった川上弘美氏が、いまやアメリカでは第二の村上春樹になりかけていることも、よくわかっている。

山野さんのアパートで机をぎっしり取り巻いていたワークショップのうちの何名かがすでに鬼籍に入っていることも、よく知っている。そのメンバーが、本日の追悼パネルに出席していることも。

しかし、このわがまま放題の弔辞をしめくくるにあたっては、本日このパネルのためにご来場されたすべての方々に対して、わたしはひとつのアドバイスを捧げたいと思う。

もしも何年も会っていない親友がいるならば、すぐに電話してほしい。

この大会から帰宅したら、すぐにだ。

断じて先延ばしにしてはいけない。

いまはちょっと多忙だからなどと、勝手な自己弁明をしてはいけない。

親友に電話するのだ、いますぐに。

なぜなら、いずれ時間の余裕ができて昔懐かしい親友と旧交を温めようと思った時にはすでに、あなたの親友は永遠に還らぬ人になっているかもしれないのだから」。



会場 
(大拍手)
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