WEB限定公開!映画『菊とギロチン』トークイベント 映画『菊とギロチン』公開&評伝小説『菊とギロチン やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』(タバブックス)刊行記念トークイベント(主催=模索舎) 瀬々敬久氏、相澤虎之助氏、栗原康氏、太田昌国氏、川瀬陽太氏|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月31日

WEB限定公開!映画『菊とギロチン』トークイベント
映画『菊とギロチン』公開&評伝小説『菊とギロチン やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』(タバブックス)刊行記念トークイベント(主催=模索舎)
瀬々敬久氏、相澤虎之助氏、栗原康氏、太田昌国氏、川瀬陽太氏

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© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

 鬼才・瀬々敬久監督構想30年の入魂作、映画『菊とギロチン』が全国順次公開中。映画の舞台は関東大震災直後の大正末期、混沌とした情勢の中、急速に不寛容な社会へと向かう時代に、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」と実在したアナキスト集団「ギロチン社」が運命的に出会い、そこから物語は大きく動き出す。

 7月25日、新宿・カフェラバンデリアで、映画『菊とギロチン』公開&評伝小説『菊とギロチン やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』(タバブックス)刊行記念トークイベント(主催=模索舎)が開催された。登壇したのは、瀬々敬久氏(映画「菊とギロチン」監督・脚本)、相澤虎之助氏(映像制作集団空族・映画「菊とギロチン」共同脚本)、栗原康氏(アナキズム研究・評伝小説『菊とギロチン やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』著者)。ゲストとして第一部に太田昌国氏(評論家、翻訳家)、第二部に川瀬陽太氏(俳優・映画「菊とギロチン」坂田勘太郎役)が登壇した。


■ギロチン社×女相撲 映画「菊とギロチン」の誕生まで


――トークの口火を切ったのは、監督の瀬々敬久氏。30年に渡って構想を温め続け、「ヘブンズ ストーリー」(2010年公開)に続く、自主企画として「菊とギロチン」の制作に踏み切ったきっかけをこのように語った。

監督の瀬々敬久氏

瀬々
 最初にギロチン社やアナーキストのことを知ったのは二十歳の頃(1980年頃)。高見順さんの小説『いやな感じ』(昭和初期の浅草を舞台にアナーキストを描いた小説)や、神代辰巳さんの映画「宵待草」(脚本:長谷川和彦)では高岡健二さんという俳優がギロチン社風の設定でアナーキストを演じていた。決定的だったのは雑誌『BRUTUS』に詩人の正津勉さんが中濱鐵のことを書いた記事を読んだことで、当時は東アジア反日武装戦線の大道寺将司さんたちにいよいよ死刑判決が出るという時代の流れがあって、それとダブらせるようにギロチン社の中濱鐵のことを書いていたのではないかと思う。その文章の中で、中濱鐵が盟友・古田大次郎に送った、「菊一輪 ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを遥かに偲ぶ」という短歌がすごく印象的だった。「菊とギロチン」というすごく印象的な二つのワードがあって、このタイトルでいつか映画にしようと思っていた。

――ギロチン社の彼らがなぜ死刑になってしまったのか。実はギロチン社の事件は「隠された大逆事件」と言われている。古田大次郎は銀行襲撃の際に人を一人殺めてしまっているが、中濱鐵は人を殺しているわけでもなくテロを画策していたというだけの罪だった。最終的に彼らが死刑になったのは当時の摂政、後の昭和天皇の暗殺を計画したと裁判の中で喋ってしまったことで、そのことが大逆罪にあたるということで、死刑判決が出たと言われる。


瀬々
 ただ、こればかりだとなかなか映画にならないと思っていたが、井田真木子さんのルポ『プロレス少女伝説』の中に、女子プロレスの元祖として女相撲の歴史が書いてあった。明治時代に山形の石山兵四郎さんという興行主が近代的な相撲興行として起こした女相撲が昭和30年代まで続いていた。印象的だったのが、当時の貧しかった農村の女性たちが家出同然で一座の後をつけて、力士になったということ多々あったということ。そこで、女相撲の女性たちとアナーキストの男性たちがもし出会っていたらと思いついた。

――映画「菊とギロチン」が誕生した瞬間だった。


■ギロチン社・中濱鐵の怪物的な魅力


――『大杉栄伝 永遠のアナキズム』 『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』 など、これまで大正アナキストたちの画期的な評伝を刊行し、今回の映画「菊とギロチン」では、ノベライズ本『菊とギロチン やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』を手がけた栗原康氏は、執筆の経緯とギロチン社と中濱鐵の魅力を次のように語った。



栗原
 今回、本のサブタイトルに「やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ」と付けたが、それはギロチン社の思想もあらわしていると思う。もともとギロチン社に関心はあって、『現代暴力論』『大杉栄伝』などでギロチン社にも触れていた。瀬々監督、相澤さんとは、映画を制作する直前のトークイベントが初顔合わせだったが、自主企画でやると。金かかっても自分たちがゼロから作って好きなことを思う存分ぶちまけるそういう映画を作りたいみたいなことを聞いて、どんな形でもいいから応援できることをやれたらいいなと思っていた。ギロチン社の中濱鐵は無茶苦茶で面白い。今の世の中の支配は全てぶち壊す。一番でかい天皇制を討つという大義を掲げて、「リャク」(資金集め、略奪)を繰り返しては蕩尽してしまう。そういう人たちがすごく面白いなと思ったのと現代にも通じるものがあると思った。中濱鐵には、権力側を怖れさせるような怪物的な異様な魅力がある。

■ギロチン社の現代性、現代のアナキズム


――映画「サウダーヂ」「バンコクナイツ」(空族・富田克也監督)の脚本や今回の映画「菊とギロチン」では、瀬々監督との共同脚本を手がけた映像制作集団 空族の相澤虎之助氏は、栗原氏が話した本作の現代性についてこのように答えた。


相澤
 ギロチン社のことは、『黒旗水滸伝』(竹中労著、かわぐちかいじ画)という本にも出てくる。栗原さんがギロチン社の青年たちは現代のアナーキストに似ていると言ったが、僕の中では時代劇というよりも今の自分たちみたいな意識を残しつつ書いた。僕たちはアジアで映画を撮ったりしているが、インディペンデントだったりアナーキストだったり、そういうことをやってる人たちはアジアにもヨーロッパにもたくさんいて、そういう人たちと繋がっていた方がこれからの世の中面白いんじゃないかと。そういう感覚でいま動いてる最中なので面白かったし、日本でもそういう人たちが現れてほしい。

ーー瀬々監督は、「アナーキズムやこういう大正モノになると、破滅の美学とかそういう言葉で語られることが多いが、それは嫌だなというのがあって、それで女相撲をぶつけてみようと思った部分がある」と語り、アナーキズムを研究しながら、現在の文脈の中で語り続けている太田昌国氏に繋げた。


太田昌国氏

太田
 2年前のクランクインの前に瀬々監督に頼まれ、ギロチン社や大杉栄を演じる若い人たちにアナキズムについて話をした。そのとき話したのはまず時代状況で、物語の時代設定である大正末期(1923〜1924年)が、世界史的日本史的にどういう流れの中で迎えている時代であるのかということ。そして大きな主題となる1923年9月1日の関東大震災後の問題をどう捉えるかということだった。9月1日の正午ごろ大震災が起こって、その日の真夜中ぐらいから自警団による朝鮮人虐殺が始まった。それが3、4日続き、未だに正確な数は不明だが6000人近くの在日朝鮮人が殺されたと言われている。そして9月4日から5日にかけて社会主義者や労働組合の指導者たち9人が暗殺され、さらに10日近く経った9月16日に大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の3人が殺された。これらの事件は、歴史書では極めて並列的な叙述になるケースが多いが、100年後の今考えていくと、この三つの事件を並列で考えることはできない。まず、最初の朝鮮人虐殺というの民族犯罪であって日本国家が為した犯罪であり、社会主義者や大杉栄の虐殺というのは一国内の権力犯罪である。犯罪ということでは何も違いはないが、犯罪の質の違いというものを見極めなければならないということがそのとき話したことの一つの重点項目だった。それから、なぜ社会主義国家や権力に対する批判の流れが歴史的にずっと存在するのか、その一つとしてアナーキズムが国家権力批判として存在する必然的な流れの説明を大杉栄の論理を媒介にして行なった。最後にテロリズムの問題を取り上げ、小集団や少人数がやる暴力的なテロリズム行動は絶対悪でそれを潰すための国家戦争は絶対善であるという欺瞞的なイデオロギーに対してどのように批判するかという問題と、両方を廃絶するために私たちがどのように考え行動すべきかということをいくつかの例を挙げながら話をした。

■爆弾の想像力、国家からこぼれ落ちた人々に対する眼差し


ーー第1部の後半では、太田氏の話を受けて、東アジア反日武装戦線とギロチン社との爆弾繋がりなどの共通点、テロや国家についてが話し合われた。


第1部のトークの模様


瀬々
 もう一つ似ていると思ったのは、東アジア半日武装戦線がいわゆるメインストリームではなかったというところ。彼らは連合赤軍など革命運動が内部崩壊していったあとの世代で、アンチテーゼでもあったと思う。それに対してもギロチン社は言ってみれば若造たちで、もっと有能な社会主義者たちがいなくなったあとに最後の徒花のように出現したというふうに僕には何となく見える。そういう遅咲きの人たちだったというところに共通点があって、そういう意味で僕自身はシンパシーを受けたところがあった。

栗原
 僕がギロチン社と東アジア反日武装戦線が似ているなと思ったのは、東アジア反日武装戦線の人たちが爆弾を仕掛けに行って、アベックがいて爆弾を仕掛けられなかった点。ギロチン社の古田大次郎も、仲間の敵(かたき)を討つために爆弾を投げに行って、その男が家の中で子どもや奥さんと家族団欒をしているのを見た瞬間投げられなくなった。そういう感覚がすごく大事なところだと思っていて、ギロチン社は何もせずに終わってしまったが、簡単に爆弾を投げて敵を殲滅するというふうになっていたら、たぶんギロチン社ではない。ギロチン社は大義を抱えて「リャク」をやって、その金を遊興で遣っちゃったと笑い飛ばす、そういう余裕みたいなものがどこかしらあったというのがすごく大きかったと思う。本の中では「爆弾の想像力」という言葉を使ってみたが、敵か味方かというその区分さえぶっ壊していく、そういう力みたいなものを感じて映画の根本にはそういうところがあると思う。

相澤
 これはヒューマニズムということではないと思っていて、感情で動いてる。行き当たりばったりで信念とかイデオロギー、イズムのようなものは実はあまりなくて、動物的な感覚で動いているというところが肝なんじゃないかと。太田さんが以前、アナキズムは必敗の歴史である、失敗を宿命づけられている。しかしその中に肝があるというようことを仰っていたが、失敗を良しとするわけでも、英雄がいるわけでもなく、そういう戦い方でずっと続いていく。感覚的なもの、考えずして動いてしまう部分というのが僕は一番面白いし、自分も捨てたくないと思っている。

太田
 子どもの姿を見て爆弾を投げられなかったというのは19世紀帝政ロシア時代のナロードニキのカリヤーエフもまったく同じで、アルベール・カミュが『正義の人々』で戯曲化している。カリヤーエフが皇帝貴族の馬車に爆弾を投げつけようとしたら、そこに子どもが二人いた。とても投げられないと言って組織に戻って討論がなされる訳だが、それは共通のテーマとして繰り返されているのだと思う。映画の中でも古田大次郎が銀行の金を奪おうとして心ならずも人を刺し殺してしまったことをずっと重く考えているというシーンが出てくるが、東アジア反日武装戦線の人たちも自分たちが掲げた目的を目指す行動の中で人を殺めてしまったことをその後何十年も獄中の中で気にかけていた。人を殺すということが実行者にとってどれほど重いことであるかということは、第三者である僕らとしては忘れてはならないことではないかと思う。

瀬々
 ギロチン社も東アジア反日武装戦線も、国家、ネーションステートというところからこぼれ落ちてきた人たちへの眼差しというのがあったと思う。東アジア反日武装戦線の場合は北海道のアイヌの人、沖縄の人たちとの共闘を目指そうとした。ギロチン社も統治国家、近代国家の日本ができていく中で日雇い労働者や小作人の百姓たち、そういう人たちと一緒に共闘して組合活動みたいなものを目指そうとしたのだけれど結局それができなかったなかでテロ行為に走る。国民国家とは違う人の繋がりみたいなものを彼らは目指そうとしていて、それは栗原さんがいう優しさでもあり、相澤さんがよくいう「人との共感」で、そこがいいなと僕は今でも思っている。

■大正時代のアナーキズムとフェミニズム


ーー第2部は、大正時代のアナーキズムとフェミニズムをテーマにトークがスタートした。栗原氏の『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野江伝』に刺激を受けたという瀬々監督が栗原氏に問いかけると、栗原氏は「ギロチン社についてはいつか書くかもしれないとは思っていたが、女相撲を書くとは思ってもみなかった。映画で描かれている女力士がそれこそ伊藤野江の思想に近いところがある」と答え、伊藤野江の思想と実践について、次のように語った。


栗原
 大杉栄は、今の資本主義社会は主人と奴隷の関係で出来ている。だからこそ資本家に対して労働者は絶対服従になるのだと考えて、そうではない道を示そうとした。伊藤野江はそれを男女の関係、家庭にもあてはめて考えていった。家の中だと男と女が主人と奴隷の関係になっていて、女は男に従うのが当たり前。なぜなら女は男よりも弱いからだと。だからこそ無償で家事や育児、子どもを産むのが当たり前という男女における奴隷と主人の関係性を作られる。だから女が自分たちの女の奴隷根性みたいなものをいかに引き抜いていくか、そういうことが大事だと言っていた。男から暴力を振るわれて従わされていたら、いくらでも家庭なんか捨てていい。そこから抜け出しても生きていけることを自分の身体で示すということ、自分の身体は自分でやりくりすることのできる一つの直接行動だと。そういう道をいかに示せるかと言っていて、映画の中では花菊という主人公がそういう描かれ方をしている。貧しい農村で夫の暴力を受けていてそれが当たり前だと思っていたのが、女相撲をたまたま見て、女でもこんなふうに強くなれるんだと家を飛び出して女相撲の一座に飛び込む。そこで言うセリフが「おらあ、強くなりてえ」。そういうところが非常に伊藤野江に似ている。映画で女相撲を見たら本当に強くて、こんなふうに強くなれるんだなと。その強さを文章の中でも描いてみたかった。

■鼻息ブンブンの現場、混民族共和国


ーー客席からは、女相撲関脇力士・羽黒桜まつ役を演じた田代友紀氏も飛び入り参加し、女相撲の力士役として生傷の絶えない相撲特訓を行なったことや役作りの苦労など、映画の舞台裏を披露すると、ゲストとして登壇した、瀬々監督作品の常連俳優、川瀬陽太氏は現場の雰囲気を次のように語った。


第2部のトーク、会場から出演者も飛び入り参加
川瀬
 瀬々監督が鼻息ブンブンの現場で、見事にオルグされた。俳優部のみんなが熱に浮かされたような現場で、「菊ギロ中年部」(渋川清彦、井浦新、大西信満、瀬々監督)で登壇して話をしたときも、楽しかったの言葉しか出てこなかった。特に女相撲の女優陣は取り組みの場面でも裸でぶつかり合うわけで、彼女たちのやってることの凄さが本当によくわかって、僕らも本気になって一丸となって出来た映画だと思う。

川瀬陽太氏

――また、川瀬氏が瀬々監督と相澤虎之助氏の共同脚本の経緯について、「あるとき瀬々さんから電話があって、相澤ってのは脚本が書けるのかと聞かれた。脚本書いたから映画があるんだろうよと思った(笑)」と打ち明けると、瀬々監督は「海辺で踊るシーンでは、彼自身にある南方思考というか彼の持ち味がよく表れている。南方ユートピア的な発想というか、開かれた部分、インターナショナルな感じがこの映画の中にあるのはやはり相澤君が入ってくれたおかげ」と答えた。それに対して相澤氏は、「女相撲の一座を有象無象にしたかった。日本だけじゃなくアジアでもアフリカでも南米でもいいというある意味インターナショナルな、混民族共和国みたいなイメージがあった」と話した。


■完成を目指さない生き方、次の時代への予感


――第2部の後半、会場からの映画の感想に答える形で、瀬々監督はアナーキズムに惹かれる理由を次のように述べた。


瀬々
 アナーキズムは完成形にはならないもの、途上のもので途中のもの、それが目的にならないもの。そういう生き方だと思って、そこに惹かれる。完成を目指さないところにいつも惹かれるし、人と人が共感し合うみたいところをすごく重要視していると思う。一番いいなと思うのはユーモアがあるということ。アナーキズムの人たちは開かれている感じが、いつもすごく素敵だなと思う。

――トークイベントの最後を、瀬々監督はこのような言葉で締めくくった。


瀬々
 もし今が当時と同じように戦前だったとしたら、次の戦争があるかないかは今の時代を生きる私たちが作るべきもの。高見順の小説『いやな感じ』は、次が戦争であると決定づけているからいやな感じになっているが、今をいやな感じではないようにしようというような意味合いを持ちたい。次の時代に対する予感を自分たちがどう作っていくかということを、今すごく投げかけられている。
© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

(おわり)



映画「菊とギロチン」公開情報


実在した「女相撲興行」と「ギロチン社」史実をもとにしたオリジナルストーリー
時代に翻弄されながらも<自由>を求めて疾走する若者たちの辿り着く先は――?
物語の舞台は、大正末期、関東大震災直後の日本。
混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へとむかう時代。登場するのは、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」の一座と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。女だという理由だけで困難な人生を生きざるを得なかった当時の女たちにとって、「強くなりたい」という願いを叶えられる唯一の場所だった女相撲の一座。様々な過去を背負った彼女たちが、少し頼りないが「社会を変えたい、弱い者も生きられる世の中にしたい」という大きな夢だけは持っている若者たちと運命的に出会う。立場は違えど、彼らの願いは「自由な世界に生きること」。次第に心を通わせていく彼らは、同じ夢を見て、それぞれの闘いに挑む――。
時代に翻弄されながらも、歴史の影でそれぞれの「生きる意味」を模索して、もがき、泥だらけになり、時にかっこ悪い姿をさらしながらも、自由を追い求め、世界に風穴をあけたいと願った若者たちの物語を、フレッシュな「今」を感じさせる役者たちで描く――アナーキーなエネルギーが溢れだす青春群像劇、ここに誕生!

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎

題名:『菊とギロチン』
全国順次公開中
監督:瀬々敬久
脚本:相澤虎之助・瀬々敬久 
出演:木竜麻生、東出昌大、寛 一 郎、韓英恵、渋川清彦、山中崇、井浦新、大西信満、嘉門洋子、大西礼芳、山田真歩、嶋田久作、菅田俊、宇野祥平、嶺豪一、篠原篤、川瀬陽太 
ナレーション:永瀬正敏 
2018年/日本/189分/カラー/DCP/R15+/配給:トランスフォーマー

【公式HP】http://kiku-guillo.com/
【Twitter】https://twitter.com/kiku_guillo
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この記事の中でご紹介した本
菊とギロチン/タバブックス
菊とギロチン
出版社:タバブックス
以下のオンライン書店でご購入できます
「菊とギロチン」出版社のホームページはこちら
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