聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた / 井上 真偽(講談社)奇跡と屁理屈と救済の物語 不毛で無意味な行為が、他の誰かの存在を救う|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年8月4日 / 新聞掲載日:2018年8月3日(第3250号)

奇跡と屁理屈と救済の物語
不毛で無意味な行為が、他の誰かの存在を救う

聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた
著 者:井上 真偽
出版社:講談社
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不毛。無駄。無意味。徒労。まるで正気の沙汰とは思えない無謀な目的に全てを擲なげうって己の人生を棒に振る、愚かな男の物語に皆さん興味はおありでしょうか。

本書に登場する主人公・上苙丞うえおろじょうは、まさにそんなタイプの人間です。彼は「不可思議な物事を論理的に解明する」という宿命を背負う探偵でありながら、ある過去の因縁より、その真逆の事実――この世には人間の理屈では説明不能な事物、即ち奇蹟が存在すること――を証明しようと、負けの込んだギャンブル狂さながらに躍起になっているのです。

論理によって神の存在を証明する……といえば、中世ヨーロッパの神学論争なども思い浮かびますが、上苙の議論はとてもそんな高尚なものではなく、極めて単純で愚直。かのシャーロック・ホームズの有名な言葉、「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことでも、それが真実」という消去法の推理を逆手に取り、「人知の及ぶあらゆる可能性を否定できれば、それは奇蹟」という暴論極まりない論法で、この荒唐無稽な無理難題に挑んでいきます。 

このような泥臭い証明手段を取ることが、まさに彼が「探偵」たる所以なのでしょう。 そしてそんな彼の妄想めいた志は無論周囲の理解を得るはずもなく、作中においても相棒の中国人女性からは「大笨蛋ダーベンダン(大馬鹿者)」と罵られ、かつてのライバルからは「未だそんなことを」と呆れられ、元弟子には「もう諦めてください」と泣きつかれます(上記は前作より。なお本書「聖女の毒杯」は「その可能性はすでに考えた」シリーズ二作目です)。

それでも、彼は突き進む。
ただ偏に、己の持つ信念に突き動かされて。

この作品を執筆中、どこか念頭にあったのは菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でした。かの小説では、昔人を殺めた僧・禅海が、その贖罪に当時交通難所だった岩場にトンネルを掘り、そこで落命する人々を救うという誓願を立てます。堅固な岩をノミと槌だけで掘り進もうとする禅海を、最初村人たちは無謀だと言って嗤いました。しかし禅海が一心不乱にノミを振るううちに、その嗤いはやがて驚愕、称賛へと変化し、そして遂には、禅海自身に親を殺され仇討ちに来た一人の武士の怨憎の念さえも淡く溶かしてしまいます。

この小説で起こる出来事も若干それに似ています。誰から見ても不毛で無意味極まりないこの探偵の行為は、全く彼の意図せぬところで他の誰かの存在を救うのです。

それがどのようなものかは是非本書でご確認ください。とある金満家の挙式中に起きた、不可解な毒殺事件。それを地元で崇拝される「聖女」の奇蹟だと断ずる探偵と、それに異を唱える人々。その彼らに上苙はいかなる論理の刃で立ち向かうのか。そしてその乱痴気騒ぎの行く末は――屋上屋を架す屁理屈の応酬にひたすら淫した、めくるめく論理と奇蹟の物語をご堪能頂ければ幸いです。(いのうえ・まぎ=作家)(四一六頁・七六〇円・講談社)
この記事の中でご紹介した本
聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた/講談社
聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた
著 者:井上 真偽
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」出版社のホームページはこちら
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