犯罪 書評|フェルディナント・フォン・シーラッハ(東京創元社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年8月5日 / 新聞掲載日:2018年8月3日(第3250号)

孤独で寂しい人々に捧げる11話
創元推理文庫

犯罪
著 者:フェルディナント・フォン・シーラッハ
翻訳者:酒寄 進一
出版社:東京創元社
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「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」

シーラッハの世界観を一言で表すなら、たぶん良寛のこの句が最適だ。実際、長編小説『禁忌』に寄せた著者の「日本の読者のみなさんへ」は、この句の引用から始まっている。もみじの美しさは裏でもなく表でもなく、風を受けて裏を見せ表を見せて散る瞬間にある。人間の価値観の表と裏にあてはめれば、美の側でも醜の側でもなく、そのあいだを揺れ動くところに人間の生がある。それは善と悪の関係でも同じだろう。真実といつわりのあいだも同様だ。そしてそこに、論理だけでは割り切れない人間の情がある。『犯罪』はそんな人たちの心の機微を描いた十一の話からなる短編集だ。

冒頭にはこんなエピグラフが掲げられている。
「私たちが物語ることのできる現実は、現実そのものではない」(ハイゼンベルク)

まさにこの言葉のような虚実ない交ぜの物語群。作者の本業は刑事弁護士で、物語のモチーフはすべて弁護活動の中で実際に出会った人々の物語だ。もちろん、弁護士には守秘義務がある。名前や出身地や時期など、さまざまな改変をおこなっている。また書きあがると必ず部下に調査させ、本当の事件に辿りつけないことを確認するという。

その文体がまたドイツ人作家にしては珍しく修飾語を削り、接続詞を省略し、淡々と事実だけを伝える単文の羅列となっている。知人のポルトガル人ドイツ語翻訳者は「鉈で断ちきったような文章」と形容している。言い換えれば余白の多い文章だ。読者が想像で補う必要がある。これが麻薬のような中毒性を持っている。作者があるときベルリン市内の駅で面白い体験をした。向かいのホームで電車を待つ初老の女性が『犯罪』を読んでいた。電車がやってきて走り去ったが、初老の女性はそのことに気づかず読みつづけていたという。

収録された物語のバリエーションも、精神が病んでいく話から社会の矛盾を感じさせる話、とんち話、人情ものと多彩だ。

作者はなぜこんな物語を書いたのだろう。その本当の理由は今年ドイツで出版された第三短編集Strafe(刑罰)で明かされるので、今はまだ内緒ということで、とりあえず「孤独で寂しい人々への共感」といっておこう。じつは作者自身が本当に孤独で寂しい思いを体験しているからだ。彼の祖父はバルドゥール・フォン・シーラッハ、ヒトラーユーゲントの全国指導者で、ウィーン総督も務めたナチの高官。ニュルンベルク裁判で有罪判決を受けている。そういう一族の出であるため、青年期にアイデンティティに関わる苦しい思いをした。だから社会からはみだし、居場所を見いだせず、ふとしたきっかけで罪を犯してしまう人々に対して深い情があるのだろう。この短編集は約二百七十頁。十一話で割ると、平均二十五頁。気分が乗ったときに一話ずつ読むのもいいだろう。興が乗ったら一気に読めるボリュームでもある。

夏の夕涼みに乞一読。 (さかより・しんいち=和光大学教授・ドイツ文学、翻訳家)
この記事の中でご紹介した本
犯罪/東京創元社
犯罪
著 者:フェルディナント・フォン・シーラッハ
翻訳者:酒寄 進一
出版社:東京創元社
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