曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民 書評|アドリアナ・ペトリーナ(人文書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月12日 / 新聞掲載日:2016年5月27日(第3141号)

個人の生と政治の繋がり 
その多様な可能性を検証していくために

曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民
著 者:アドリアナ・ペトリーナ
翻訳者:粥川 準二
出版社:人文書院
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30年前の1986年、ウクライナのチェルノブイリ原発で爆発事故が発生。人類史上最悪規模の放射能汚染が広がった。事故処理には総勢約60万人といわれる作業員(リクビダートル)が動員され、原子炉自体をコンクリートで封印する「石棺」化が断行された。

この作業に当たった人々は当然のごとく被爆を余儀なくされ、公式発表では31人(後に50人に修正)が死亡したとされる。また放出された放射性物質は原発周辺地域を著しく汚染し、約40万人の住民が移住を強いられた。

こうして放射線に「曝された」人たちの命運を大きく変えたのは事故から5年目にソ連邦が解体・崩壊してしまったことだ。ソ連時代の原子力関係者は政治的に事故や汚染状況を過小評価しようとしたが、ウクライナ新政府はチェルノブイリの危機をロシア政府との対立を演出したり、国際協力を引き出したり、自国の国民統合を強めるために政治的に利用した。独立後の経済的混乱の中で原発事故の被災者への補償は手厚くされ、事故現場の復旧にも力を入れた結果、被曝障害者と認定されればより多い年金と特権が与えられたし、放射線に汚染された指定区域内での労働を選択した人は区域外の労働者の二~三倍の給料が貰えるようになった。

本書が描くのはこうした状況の中で「曝された」人たちが「自衛」手段を講じ始める動きだ。彼らは被曝や生物学についての知識を身につけて政府と交渉し、我こそは原発事故の「被災者」と主張して補償や職業斡旋を求めてゆく。こうして生物学的ダメージを理由に主張される権利を著者は「生物学的市民権」と呼ぶ。旧ソ連地域で急速に進められた民主化と市場経済化は当然、混乱を極め、著しい社会的不平等を生み出したが、その中で生き延びる方策として生物学的市民権がいかに行使されたか、著者は丁寧な聞き取り調査を通じて浮き彫りにしてゆく。

さて、本書の原書は2002年に刊行されていたが、福島の原発事故を受けて新たに書き下ろされた序文を加えた2013年版が翻訳底本となっている。だがこの新規に加えられた序文の内容にはやや首を傾げた。堪能な現地語能力を駆使したウクライナやロシアでの調査とは異なり、311後の日本事情はおそらくメディアの報道を通じてしか知り得なかったのだろう。
そうした報道の中には、福島原発1号機の水素爆発シーンを記録した定置カメラの音無しの映像におどろおどろしい爆発効果音をつけて配信した独ZDF局を始めとして原発事故は悲惨に決まっているとの思い込みから、扇情的で拙速な報道に踏み込んだメディアも少なくなかった。それをソースにしたせいか、たとえば本書の「フクシマ50」についての記述にも十分な実証を踏まえられていない内容が含まれる。

とはいえその程度のことで本書の価値が毀損されるわけではない。生物学的市民権という概念装置を用い、個人の生と政治が繋がる経緯を浮き彫りにしてゆく方法は様々なケースに適用可能だし、適用すべきだろう。それはチェルノブイリ事故後の状況を参照点として生物的市民権の行使方法の違いを示し、災害や社会の分析に役立ててゆくことにもなろう。たとえば本書監修者の粥川準二氏は福島事故後に線量を自分たちで測り、作物が汚染を免れていることを自力で実証してゆく農業従事者に着目している。それは311後の風評被害が強まっていた状況(そこに原発事故の悲惨を過剰に強調した国内外メディアの影響がなかったとはいえない)に対する自己防衛策であった。生物学的市民権は生物的ダメージを受けた事実を訴え、補償を勝ち取るだけでなく、生物学的に不当な差別偏見を受けた時の抵抗の実践としても行使される。こうした個人の生と政治の繋がりの多様な可能性を、たとえばメディア環境、情報環境をも視野に入れて検証してゆくうえで重要な一里塚を本書は築いたと評価できよう。(森本麻衣子・若松文貴訳)
この記事の中でご紹介した本
曝された生   チェルノブイリ後の生物学的市民/人文書院
曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民
著 者:アドリアナ・ペトリーナ
翻訳者:粥川 準二
出版社:人文書院
以下のオンライン書店でご購入できます
「曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民」出版社のホームページはこちら
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