ロレンスの短編を読む 書評|(松柏社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月12日 / 新聞掲載日:2016年5月27日(第3141号)

ロレンスの短編を読む 書評
先行研究にも目が行き届いていて力作ぞろいの論集

ロレンスの短編を読む
編 集:D・H・ロレンス研究会
出版社:松柏社
このエントリーをはてなブックマークに追加
西日本女性文学案内()花書院
西日本女性文学案内

花書院
  • オンライン書店で買う
D・H・ロレンスは『チャタレー卿夫人の恋人』の作者として、『ユリシーズ』の著者、ジェイムズ・ジョイスとともに、英国が生んだ二〇世紀の二大作家と位置付けてよい。長編作家として知られているが、本書がテーマとする中、短編を八〇余りも書いている。本書は序論と一〇論文から成る。序論で浅井雅志は、ロレンスの短編は「生」に関する「哲学」と「フィクション」のバランスが取れた場合に傑作になるという。人生のある瞬間をとらえて、本質を際立たせるエピファニーを利用する。そのエピファニーにこめられた「哲学」性ゆえに、ときに、ストーリーを楽しむ一般読者はロレンスの短編には煙にまかれるような読後感をもつ。だが深い意味が隠されているという不思議な読後感が頭から離れない。言わば謎解きを迫る作品が多い。本書で扱っている作品、「春の亡霊たち」、「牧師の娘たち」、「プロシア士官」、「馬仲買の娘」、「馬で去った女」、「セント・モア」、「ヴァージン・アンド・ザ・ジプシー」すべてに言える。

字数の関係で評者が印象に残った三論文をとりあげる。まず石原浩澄の「文学批評と公共圏」。F・R・リーヴィスは季刊誌『スクルーティニー』(一九三二~五三)を主宰して、ケンブリッジを舞台に論陣を張った。主なる主張のひとつは、文学批評は公共圏の読者と共存するものだという。当然だが教養ある人々が対象になる。彼の批評方法は例えば「牧師の娘たち」を論ずる場合でも、長い引用箇所を精読する実践的批評である。英文学の精読によって、より大きな課題に対応できる能力を培い、人生や社会生活の様々な局面における選択能力や判断力の涵養を養うというのがリーヴィスの信念だという。同感である。

評者が英国に滞在した時期は七〇年代後半であり、現在はアメリカの影響もあって、変ってきているようだが、当時のケンブリッジでは文科系で一番優秀なのは英文科(=国文科)の学生だと言われていた。因みに過去四〇年の駐日英国大使十数人のうち半数近くが英文科出身であり、また大使館員には音楽や数学の専攻者もいる。我が国の、例えば公務員採用試験は法学部偏重だが少しは英国の官僚試験を参考にしてよいだろう。文科省が言う文科系、なかんずく文学部廃止論は暴論だということが分かる。

外国文学は何のために研究するのかという問いを設定すると次の二論文もおおいに学ぶところがある。まず山元智弘の「『桜草の道』とオーストラリア」。主人公で碌でなしのサットンは一八歳で結婚して、数年後に若い女とオーストラリアに駆け落ちする。英国に戻って、離婚をしていないのに愛人と義母と同棲しているが、いずれオーストラリアに渡る気持ちでいる。米国が独立した一八世紀末以来、オーストラリアは移住者の多くが囚人であり、英文学では「オーストラリア」=「流刑地」・「厄介者」という否定的な図式がディッケンズの『デイヴィッド・カパーフィールド』以来の表象として、第一次大戦までのオーストラリアを描く作品には定着しているという。また大多数の移民は自分の居場所やアイデンティティに対する不安を持つので自分の家を持つことが実に重要だったという。この観点からサットンの自宅への執着する姿から本短編を読み解く。外ではおずおずとしているが、自宅では同棲中のエレーンに恐怖感を与えるほどの横暴さや暴力的ふるまいなど、オーストラリア移住者の厄介者、飲酒、ギャンブル好き、暴力的体質などを嗅ぎ取っている。『カンガルー』や『ユーカリ林の少年』と同時期に執筆された本短編には随所にオーストラリアの負の表象が見られるという指摘には説得力がある。  

ロレンスの作品の結末には主人公が「アフリカへ行こう。」「カナダへ行こう。」という唐突に思える言葉で終わる場面がある。もちろん開拓者時代に米国西部に夢とチャンスをかけて渡航するのと同じ立場の表明の言葉であり、全否定的な意味ではない。単なるクリシェではなく大きな意味を含んだ言葉であるということが分かった点でも本論文は読み応えがあった。

「『社会的自己』の桎梏から解き放たれて」で井上径子は「太陽」を論ずる。井上は作品が書かれた二〇年代のジャズエイジのニューヨークで、自己主張に目覚めた「新しい女」のファッションの一特徴であるボブカット、いわゆるオカッパにした髪型に注目する。西欧の中産階級の女性が鏡を見て容姿を整えるのは、他者の目に映る自分を装うのであり、社会の因習に自分を同化させる「社会的自己」であるという。それに対して主人公のジュリエットはニューヨークを逃れて、鏡を放棄して手入れをしないボブカットで、太陽がいっぱいのシチリアでの生活で変容する。息子ジョニーと共に日光浴によって、ロレンス流の「新しい女」、つまり宇宙との「生ける有機的つながり」ができた真の自己に目覚めるという。因みに日光浴はシャネルがヨーロッパ人女性の間に流行させたと言われている。ジュリエットは太陽によって女性性を取り戻し、夫との愛をも復活させ、「溶岩のように灰色」な大西洋とニューヨークに決別する。本論文は作品の時代背景のコンテクストを取り上げて、作品の深奥に迫る優れた論文である。

最後に気付いたことを二つだけ述べる。序論で浅井が述べているが、編集者はロレンス研究会の執筆者全員であり、その結果各人が好きな作品を好きに述べたので統一性に欠ける嫌いがあるという。やはり論集には統一テーマがほしい。各論文の字数も多すぎる嫌いがある。字数が多いと回り道しすぎて明快な論旨にかけてしまう。以上言わずもがなのことを付け加えたが、本論集は先行研究にも目が行き届いていて力作ぞろいだということを強調しておきたい。
この記事の中でご紹介した本
ロレンスの短編を読む/松柏社
ロレンスの短編を読む
編 集:D・H・ロレンス研究会
出版社:松柏社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ロレンスの短編を読む」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
立石 弘道 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 評論・文学研究 > 作家研究関連記事
作家研究の関連記事をもっと見る >