日本映画時評集成 1976-1989 書評|山根 貞男(国書刊行会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月13日 / 新聞掲載日:2016年5月27日(第3141号)

◇山根貞男の美学◇ 
軽やかさ、プロ意識、虚構の魅力

日本映画時評集成 1976-1989
著 者:山根 貞男
出版社:国書刊行会
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圧倒的な五五三頁。ずしりと重い。山根貞男の『日本映画時評集成1976―1989』(図書刊行会)のことだ。すでに二〇〇〇年代篇が出ており、いずれ九〇年代篇が刊行されれば、この厚さの本が三冊並ぶことになる。しかも、山根貞男の時評は今も続いている。一九八六年に始まった『キネマ旬報』での連載はもう三〇年になり、『コマーシャル・フォト』での連載を含めれば山根貞男はもう四〇年も時評を書き続けていることになる。大変なことだ。

映画時評というのは軽やかなものだ。新作の公開とともに読まれ、読者を映画館に誘う。映画を観た後に時評を読み直す者も少しはいるだろう。だが、映画の公開が終わればその時評の役割はほぼ終わる。内容も論文に比べれば精度を欠くだろう。時評のほとんどは、マスコミ試写で一度観ただけで書かなければならないからだ。しかし、だからこそ時評には映画の現在が、生き物としての映画の生命が息づいている。時評はなまものなのだ。そしてこのように軽やかな時評が山根貞男のような批評家によって長年続けられ、書物に結実すると、とても重く貴重なものとなる。巷に転がる映画の論文よりも遥かに重要なものとなる。魔法のような変化ではないか。

重く貴重と書いたが、実際に頁をめくれば、そこで出会う言葉は今も軽やかで映画の生命を感じさせる。例えば、加藤泰の『炎のごとく』を論じた回で山根貞男は、「映画的魅惑の塊、という形容が嘘みたいにぴったりの、素晴らしい映画が出現した」と書き始め、さらに「作品タイトルに偽りはない。とにかく全篇、映画ならではおもしろさが“炎のごとく”燃え立っていて、二時間半近い長さを、過激なまでの迫力で一気に見せてしまう。このところ、つまらない映画ばかりに接し、鈍麻しつつあったこちらの映画的感性を、力いっぱいぶったたいて覚醒させる映画、とでもいおうか」(二二三頁)と続ける。映画が本当に好きだとよく分かるこのような生き生きとした表現が、読み手を時評に引きずり込む。勿論、「映画的魅惑の塊」の内実がこの後に詳しく具体的に説明されるのだから、文章の軽やかさは決して上っ面だけのものではない。

ただし、映画愛に溢れた言葉、あるいは愛ゆえの厳しい言葉が生々しく読み手の心を揺さぶると指摘するだけでは十分ではない。その裏に映画に対する確かな眼があると付け加えても、事態は変わらない。映画批評家としてのプロ意識が根底で全てを支えていると言わねばならないのだ。このような映画時評を二、三年連載するというだけなら、可能な批評家は他にも何人かいるかもしれない。しかし、同じ雑誌で三〇年間時評を連載し続けるというのは、愛や情熱だけでなく相当なプロ意識が必要であり、それができるのは日本ではほとんど山根貞男ただ一人ではないだろうか。プロ意識という言葉でさえ説明しきれない何かがあるのかもしれない。「反省の念ばかりが募る」(五四〇頁)や、「魅惑の作品をちゃんと見つけることができているかを自問する日々である」(五四一頁)といったあとがきの言葉は、決して単なるポーズではない筈だ。

最後に、山根貞男の映画時評を支える美学について、少しだけ触れておきたい。山根貞男は時評の第一回ですでに、「もともと映画なんてものは、ウソッパチのおもしろさが生命なのだ」(一四頁)と述べ、さらにその半年後に、「映画の魅力とは、映画のフィクションの世界を、そのまま生きることにあるのではないか」(三二頁)と言い直している。虚構を「そのまま生きる」とは、虚構の徹底の先に生じる「切実さ」(一六頁)と、別の言葉で言えば、「映画の肉体性」(二九頁)と結びついた行為である。映画の魅力とは演出が作り出す虚構の魅力であり、現実の肉体とは違った、虚構を生きる肉体性があるかどうかが、映画にとって何より大切なのだ。映画ははかない虚構であるが、この虚構を徹底して生きること。山根貞男の映画時評の出発点にあるこうした美学は決定的に重要である。
この記事の中でご紹介した本
日本映画時評集成 1976-1989/国書刊行会
日本映画時評集成 1976-1989
著 者:山根 貞男
出版社:国書刊行会
以下のオンライン書店でご購入できます
「日本映画時評集成 1976-1989」出版社のホームページはこちら
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