吉川浩満*木島泰三 対談 〈人間(再)入門〉  吉川浩満著『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年8月10日 / 新聞掲載日:2018年8月10日(第3251号)

吉川浩満*木島泰三 対談
〈人間(再)入門〉
吉川浩満著『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)

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「この本のタイトルは、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』という。これは、カール・マルクスが『資本論草稿』に書きつけた「人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である」という一節から借用したものだ。いっけん逆説的である」(まえがき)。

七月下旬、吉川浩満氏の新刊『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)が刊行された。本書は、現在急速な発展を遂げている認知と進化にかんするサイエンスとテクノロジー――人工知能、ゲノム編集、ナッジ、認知バイアス、利己的遺伝子――がもたらす人間観の変容についての調査報告である。吉川氏の単著としては二冊目となる本書は、前著『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』(朝日出版社、二〇一四年)以降に書かれた、エッセイやインタヴュー、人物・作品評などの諸論考を集成、現在のポストヒューマン的状況を見渡すものとなった。本書の刊行を機に、著者の吉川浩満氏とスピノザ研究者の木島泰三氏(法政大学非常勤講師)に対談をお願いした。 (編集部)
第1回
■現代のポストヒューマン的状況

吉川 浩満氏
吉川 
 前著『理不尽な進化』では、進化生物学という歴史科学における「人間的、あまりに人間的」な論争を描いたのですが、その末尾で、「我々のなかにある〈人間的なもの〉をどうするか」というようなことを書きました。それは、当の進化的観点を採り入れた諸学の深化と普及によって、我々にとっての〈人間的なもの〉自体が変容をこうむりつつあるのではないかという状況認識があったからです。いわゆるポストヒューマンという言葉はそうした状況を指すものだと私は理解しています。そこで、この状況に対応した「人間本性論」的なものを書こうと考え、重要作品の書評を書いたり対談をしたり試論を書いたりするうちにできあがったのが今回の本です。

木島さんはスピノザの専門家ですが、まさに進化理論と認知科学に立脚した哲学者であるダニエル・C・デネット(哲学者・認知科学者)の翻訳をされています。また、ご専門のスピノザやホッブズにかんする研究にしても、現代の科学や哲学と通じ合うような問題設定が非常に刺激的です。この対談はまたとない機会で、拙著についてだけでなく幅広いテーマについてお話しできたらいいなと思っています。
木島 
 まず本の印象から少しお話ししたいと思います。本書を読んで、吉川さんがどういうことに関心があっていろいろな調査をされているのかがよくわかりました。吉川さんの前著『理不尽な進化』では進化論の問題を、『atプラス32号 人間の未来』(吉川浩満編集協力、太田出版、二〇一七年)では人間の未来を考えるための叩き台として論考を集められて、今回のご著書ではさらにわかりやすく洗練された形でポストヒューマン的なものとそれを支える認知心理学と進化論を考察し、ありがちな科学ジャーナリズム系の文脈に留め置かずにフーコーやラカンになら耳を傾けるような大陸系の素養のある人たちにも声を届かせるように提示されています。ご自身もそういう関心の中でそれらを取り込もうとしている、そういう越境性も感じられて、吉川さんという著述家自体の存在感を知らしめる本としてすごくいいのではないかという印象を受けました。
吉川 
 ありがとうございます。いつも思うのですが、よい研究というのはすでにたくさんありますよね。でも、普通の人がそこに行くのはなかなか難しいようで、両者を繋げる線をどうやったら引けるのかという課題をいろいろと考えてきました。
木島 
 この本を読むと、どういう関心でどれを読めばいいか、これについてはこの人の書いたものを読めばなにかわかるはずだとか、一般読者にとっても非常にありがたい目印になると思います。たしかに疑問点も色々とあり、読みながらメモしていたら結構な分量になって、今回の対談に先立ってお送りしました。ただ、どれもこまごまとした論点に関わる話で、本書の面白さや有益さを損なうものではないと思っています。
■人間本性論の系譜

木島 
 さて、なにをテーマにお話しするかということですが、まずは「人間本性論」でしょうか。「まえがき」によれば本書は『人間本性論』(仮)と題される著書を執筆する途上の、いわばスピンアウト的な論考の集成ですが(八頁)、本書が照準する人間本性論については、「人間の自己像としての人間本性論」「人間にかんする実証的な知識が重要なのは当然だが、人間が自分について抱くイメージもまた重要である」(二一頁)とお書きになられていますね。
吉川 
 はい。
木島 
 こういう文脈で「人間本性」と聞いて思い浮んだのがマット・リドレーの『赤の女王』(翔泳社、一九九五年/ハヤカワ文庫、二〇一四年)です。著者はこの本の冒頭で、このヒューマン・ネイチャーという言葉を「人間の自然」、つまり文化的差異の根底にある、人間の科学的探究、特に言えば進化生物学的探究によって明らかにされるものとして取り上げている。似た構想は、吉川さんが言及しているデイヴィッド・ヒュームの著書『人間本性論』(新装版第一巻~第三巻、法政大学出版局)にもある。つまりニュートンの自然科学の成功を承けて、その方法を従来からの人間学の領域に適用しようという構想です。遡ればホッブズにも、Human Natureと題する本があって、ここにも、ホッブズが目の当たりにした、ガリレオなどによる科学革命の成果を模範にして人間を研究しよう、という構想がある。
吉川 
 拙著でも、いわゆる人間性の自然科学的な探究ということをベースにしているのですが、ちょっとニュアンスが異なるかもしれません。拙著では人間本性論という言葉を、人間の自然科学的探究とか揺るぎない客観的な正しさをもつ人間論というより、ある時代の人間像というような、かなり相対主義的な意味で用いています。
木島 
 なるほど。
吉川 
 ヒューム自身は『人間本性論』を普遍的に通用するものとして提示したと思うのですが、いま我々がヒュームの本を読むときには、多くはそれを歴史的なものとして、一八世紀の人間論として読むわけですよね。拙著では人間本性論という言葉をはじめからそういう意味で使っています。人間本性そのものはなかなか変わらないと思いますが、それに対する我々の考え、つまり人間本性「論」は数十年数百年で大きく変わりうる。だから「現代の人間本性論」(六三頁)みたいな言い方をするとき、それは二一世紀前半あたりの人間(本性)観といったような意味になります。
木島 
 人間の自己像、自己了解ですね。それはよくわかります。
吉川 
 ある人の自由意志に対する考え方の、その人の道徳性への影響関係についての実験哲学的研究がありますよね。自由意志の存在を疑う文章を読まされた被験者が、反道徳的にふるまう傾向を強めたという(二二頁)。両者に関連はないという研究も最近発表されたようですが、非常に興味深い研究ではある。そのことひとつを考えても、人間本性論を抜きにして人間本性を考えることはできないように思います。
木島 
 人間の思考や行動は自己了解のフィードバックの結果でもありますからね。
吉川 
 はい。自由意志は拙著で論じられなかった重要テーマなので、ぜひ木島さんにお話を伺いたいところです。
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