生のなかば ヘルダーリン詩学にまつわる試論 書評|ヴィンフリート・メニングハウス(月曜社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月11日 / 新聞掲載日:2018年8月10日(第3251号)

古典的文学研究の静かな凄み 
巨大な問題系への繊細で厳密な通路

生のなかば ヘルダーリン詩学にまつわる試論
著 者:ヴィンフリート・メニングハウス
出版社:月曜社
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「どんなリズムが人間たちを捉えているかを知れ」――こう告げたのはアルキロコス、個人的感情を文学に導入したヨーロッパ文学史上最初の人といわれる古代ギリシアの抒情詩人である。そう、リズムとは、たんにわれわれが文学上の技法として操作的に決定できる言語活動の一要素なのではない。そうではなく、それはわれわれの意識や観念に先立ってそこ・・――とはしかし、どこか?――に波打っている何かであり、われわれの思考と情動が、さらには生そのものがその前―起源的な運動にしたがって秩序づけられ、時として支配すらされるような何かである。ヘルダーリンのたった一つの短詩「生のなかば」のミクロ読解にその全体が捧げられた本書を通してメニングハウスが差し出すのは、そのような巨大な問題系への繊細で厳密な通路である。

一七九九年ないし一八〇〇年に起草され一八〇二年に何度も改稿されたのち一八〇三年に完成をみたこの短い詩篇(タイトルを含めてわずか十五行)は、きわめて平明かつ素朴な美を湛えた抒情詩であり、そのタイトルが示すように「ミッドライフ・クライシス」を表現する作品、すなわち、人生の頂点を過ぎて、それ以後肉体的にも精神的にも衰えていくだけであることを自覚した人間の静かな悲しみの歌であると一般に理解されてきた。事実、この作品は、たとえばハイデガーが特権的対象としその読解を通して思考の「転回ケーレ」を遂行した「ゲルマーニエン」や「ライン」(ともに一八〇一年)や「イスター」(一八〇三年)などの長大な讃歌群とはまったく異なり、美学的存在論への読み込みを可能にするものではなく、重度の統合失調症のため詩人が精神の長い薄明期に入る直前に成立した愛誦されるべき小品として受容されてきた。

しかし、著者による徹底的に(禁欲的なまでに)内在的な分析が明らかにするのは、この作品の驚くべき組成である。著者の鋭いリズム論的=韻律論的視線は「この詩全体をつうじて」「リズム的に類似した語群が、おおむね均等に配分されたかたちで回帰してくる」のを見て取る。タイトルと最終節において呼応し合い、中間の詩行においても「配分」されているそのリズムとは「アドーニス格」と呼ばれる五音節の強弱律である。アドーニスとは誰か。それはギリシア神話の語る美と愛の女神アプロディーテーに育てられやがて愛人となった美少年の名であり、彼がイノシシの牙にかかって殺されるとアプロディーテーはその死を悼み、流れた血をアネモネの花に変えたという。その名が韻律法に反映されたのは、古代ギリシアの女性詩人サッポーがアプローディテー礼讃を主題とした歌の中で《Ô ton Adônin=悲しやアドーニス》という五音節を締め括りのフレーズとしたことによる。著者は、「生のなかば」における「アドーニス格」の組織的使用をヘルダーリンによるアドーニス神話の召喚、固有名とそれをめぐる想像界の密かな埋め込み、すなわち「ヒポグラム」(ソシュール)だという仮説を提示する。

この大胆な、しかし説得力のある仮説から出発してさらに著者は、後期ヘルダーリンの一般的理解について変更を迫る。ヘルダーリンが「ピンダロス風の詩作をおこなった長大な詩」においても「アドーニス格による詩連の終わりが頻繁に見られる」ことを指摘したうえで、ヘリングラート以降支配的となった「ピンダロス的な詩人―予言者としての男性的なヘルダーリン」像が、「サッポー的―抒情的な苦痛を歌う(女性的であると想像された)詩人」の姿を「視界から消」し去ってしまったのだ、と。

ハイデガー、アドルノ、さらにはフィリップ・ラクー=ラバルトらによる哲学的受容の歴史が、ヘルダーリンの同時代人たちにとっては自明だったことを忘却させた、と著者は言う。この結論に完全に同意するか否かは別として、その論拠が詩篇そのものに内在するただ一つのリズム=韻律法であることに、われわれはやはり盲点を突かれた気がする。古典的文学研究の静かな凄み。このような一冊をこの時代に問うた訳者および出版社に敬意を表したい。(竹峰義和訳)
この記事の中でご紹介した本
生のなかば ヘルダーリン詩学にまつわる試論/月曜社
生のなかば ヘルダーリン詩学にまつわる試論
著 者:ヴィンフリート・メニングハウス
出版社:月曜社
以下のオンライン書店でご購入できます
「生のなかば ヘルダーリン詩学にまつわる試論」出版社のホームページはこちら
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