明治大学米沢嘉博記念図書館 日野日出志「原色の地獄絵」 トークイベント開催レポート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年8月21日 / 新聞掲載日:2018年8月17日(第3252号)

明治大学米沢嘉博記念図書館
日野日出志「原色の地獄絵」
トークイベント開催レポート

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日野 日出志氏
八月四日、東京・神田猿楽町の明治大学米沢嘉博記念図書館で、「日野日出志「原色の地獄絵」」と題されたトークイベントが開かれた。日本のホラー漫画界の第一人者として、これまで四五〇本に及ぶ作品を発表してきた日野日出志氏本人が、自身の代表作を振り返りながら、一時間半にわたって語った。本企画は、同図書館で現在開催されている「米沢嘉博の『戦後怪奇マンガ史』展~怪奇・恐怖マンガの系譜 1948-1990」(9月30日まで)の関連イベントとなる。
聞き手である落語家の瀧川鯉朝さんを相手に、代表作である『地獄変』にはじまり、『蔵六の奇病』『わたしの赤ちゃん』『まだらの卵』『恐怖・地獄少女』『赤い蛇』『怪談雪女』『怪奇! 死肉の男』『千年老婆』から、二〇〇〇年代に発表した『少年日記 母にめんこを焼かれた日』まで、当時の記憶を掘り起こしながら、五十人を越えるファンの前で、普段は聞くことができない貴重な話の数々を披露した。
(写真右)落語家の瀧川鯉朝氏
一九六七年にギャグ漫画『つめたい汗』でデビューした時の、意外な逸話も打ち明けた。本作は『COM』第五回月例新人賞入選作であるが、「この作品ではデビューしたくなかった」という。「その時は既に、自分の方向性として、怪奇と抒情と定めていた」こともあって、路線の異なる作品の掲載を、当初は固辞した。実は、別の漫画家が入選作に選ばれる予定だったが、取りやめになり、その代わりとして急遽選ばれたのだった。なおかつ描き上げていた八頁の完成原稿を一六頁に増やすよう求められた。
「担当者とふたりで、いきなり缶詰めにされたんです。なかなか編集長からOKが出なくて、最後は編集長が「俺がやる」と。何をするのかなと思ったら、一コマ一コマちぎって、切り張りをはじめた(笑)。だから、コマとコマのあいだが極端にあいていたり、段差があったりする。一枚できたら、バイク便が待機していて、印刷所に入稿する。担当がなんと言ったか。「君も大物だなぁ、デビュー作でバイク便とはねぇ」。こっちは好きでやってるんじゃない、被害者ですよ。俺を閉じ込めたのはあなたがたでしょうと言ってやりたかったですね(笑)」
スライドを見ながらのトーク
デビュー以降、『少年ジャンプ』以外の少年漫画誌(『サンデー』『マガジン』『チャンピオン』『キング』には、すべて作品を発表した(一時期存在した『アクション』にも寄稿)。しかし、ある時期から、描き下ろしに移行していく。「二十代で、自分自身が壁にぶちあたったのと、メジャー少年誌から注文がこなくなった」。ひばり書房、立風書房、秋田書店といった版元から描き下ろしを依頼され、十年ほど、その路線で描きつづける。転機は一九八〇年代の半ば、『ホラーハウス』の創刊に端を発した、ホラー雑誌創刊ラッシュである。〈ホラー特需〉が訪れ、そこから雑誌掲載の〈読み切り〉中心になっていく。
「毎月三本ぐらいのペースで描いていました。二十代から三十代、二十年間のタイトル数の倍の本数を、四十代の十年間で発表している。僕自身も、デビューした時、ひとつのカラーを持ちながら読み切りをやっていきたいという思いがありました。短篇漫画が自分の中にあったイメージなんです。もしそれで三〇〇タイトルぐらい並べることができれば、王道ではないにしても、そこそこのポジションは取れるんじゃないか。そういう目標はあった。それが五十歳になった時、四〇〇あったんです。その頃は、アイデアにはまったく困らなかったし、引きだしはいくつもありましたから、三本同時に描いている時もあった。今から考えると、綱渡りですね。ただ、さすがにこれでは、最初に持っていた志とは違うなあと考えはじめたんですね」。
図書館からの要望に応えて即興でイラストを描く
独特の画風と物語性で多くのファンから強い支持を受ける日野さんだが、どのような漫画家から影響を受けてきたのか。
「一番は杉浦茂先生です。当然手塚治虫先生、横山光輝先生の影響も受けています。つげ義春先生が決定打ですね。それから永島慎二先生。このふたりがいなかったら、こういう漫画にはなっていなかったと思います。『女の箱』なんて、完全につげ先生の『チーコ』の影響を受けている。つげ先生についてひと言言っておくと、『ガロ』に発表している中で、転換点は、この『チーコ』(一九六六年)だったと思います。それ以前と以降では全然違いますからね。当時読んでいて、驚いたことをよく覚えています」。

〈怪奇と抒情〉――これが、日野さんが定めた自分の漫画の世界だった。後期の代表作と言える「少年日記」シリーズは、〈抒情〉の部分にウエイトを置いた名作である。『台風の眼を見た日』『母にめんこを焼かれた日』『街頭テレビで力道山を見た日』『初めて肥後守を手にした日』(以上、すべて『ガロ』掲載)は、単行本としては刊行されていない。どこか懐かしい感じの漂うタイトル、是非とも多くの読者に読まれるような形にしてもらいたい。 
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