こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち 書評|渡辺 一史(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2018年8月18日 / 新聞掲載日:2018年8月17日(第3252号)

渡辺 一史著 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』 
大東文化大学 奥田 樹

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち
著 者:渡辺 一史
出版社:文藝春秋
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私は現在、さまざまな学習困難を抱えた中高生を対象としたボランティアに関わっているが、ボランティアを始めたのは、自らの技能を高めるという一種の「自己都合」であったことは否定できない。読み終えた今、ここで記された厳しい現実と私の経験は比べようもないが、ボランティアへの認識が一方向的な見方から相互的なものへ変わったことは確かだ。

本書は筋ジストロフィーという全身の筋肉が徐々に衰える難病を患っている鹿野靖明と、鹿野の自立生活を支えるボランティアたちをめぐる実話である。鹿野が歩んできた過去、鹿野と周辺の人の会話、ボランティアの間で交わされた介助ノートなどによって構成されている。私は医療、福祉、ボランティアに関する本を初めて読んだが、注釈の助けで専門的な用語や当時の社会状況を理解することができ、情報的にも役立つ本だった。しかし一方で、本書を感動的と一言で表現することはできないことも事実である。読みながら喜怒哀楽では収まりきれない感情が込み上げてくるからだ。それは鹿野に感情移入しようとしても難しかったこともあるが、そもそも、身体の自由、不自由には大きな体験的隔たりがあるのだから、仕方ないとも言えるだろう。

鹿野は体が動かない。そのため、痒いところをかくことができない。自分のお尻を拭くことができない。寝返りがうてない。鹿野は一人では何もできない。動けないだけではなく、呼吸器を装着しているため、24時間痰の吸引が必要である。当時の状況では一生親の世話になるか、施設で生活するかのどちらかしかない。しかし、鹿野が選んだのはそのどちらでもない自立生活であった。

鹿野は従来の障がい者のイメージをひっくり返すほどの強烈な人間だ。人によっては「フツウ」ではない、ワガママなどと見えるかもしれない。タイトルにもあるバナナは、鹿野のワガママぶりを象徴しているとも言えよう。それもそのはず、鹿野は介助されていることに対して申し訳なさなど示さない。それどころか、自分が苦労して集めたボランティアの人を「帰れ!」などと追い返したりもする。しかし、鹿野がワガママを言うのは強靭な生きる意志があるからである。鹿野のワガママの多さからは、死にたくない、生きたいという執念すら感じられる。私たちは、ワガママなほどの生の意欲に寄り添って、介護、介助、教育などの、ボランティアをさせてもらっているのだという思いに至る。

本書中に引用されている金子郁容の言葉によれば、ボランティアとは「『助ける』ことと『助けられる』ことが融合し、誰が与え誰が受け取っているのかを区別することが重要ではないと思えるような、不思議な魅力にあふれた関係発見のプロセスである」としている。私のささやかな経験でも、いつの間にか支援する側と支援される側の立場が逆転していることがある。本書によって、ボランティアをしてあげるという優越感は消え、参加させてもらっている、共に学ぶ場を与えてもらっているという考えに変わった。すなわち、ボランティアとは相互扶助の活動なのだ。
この記事の中でご紹介した本
こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち/文藝春秋
こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち
著 者:渡辺 一史
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」出版社のホームページはこちら
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