フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉 書評|フィリップ・グラス(ヤマハミュージックメディア)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年10月21日 / 新聞掲載日:2016年10月21日(第3161号)

フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉 書評
一冊の自伝がひびかせてくれるのは けっしてひとつの事実だけではない

フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉
出版社:ヤマハミュージックメディア
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「私たちは明らかに自らの文化に縛られている。教えられた見方で世界を理解する。そうやって私たちはアメリカ人になり、インド人になり、エスキモーになる。私たちが自らの文化を通して世界を見るのは、ごくごく幼いときに、そうするように教え込まれるからだ。頭に叩き込まれると言ってもいい。だが、その世界から踏み出すこともまた可能だ。」(P249)

20世紀の後半、アメリカ合衆国で「ミニマル・ミュージック」と呼ばれる実験的な音楽が生まれた。フィリップ・グラスはその代表的な作曲家として知られる。多くのコンサート用作品があり、他方、オペラ『海辺のアインシュタイン』が、映画『コヤニスカッティ』『めぐりあう時間たち』があった。今年も『THEPOET SPEAKS アレン・ギンズバーグのオマージュ』という公演が東京でおこなわれ、ロック・ミュージシャンのパティ・スミスとステージに上がった。

本書はグラスの、翻訳にしてほぼ五百ページにおよばんとする「自伝」である。全体の半分は第一部、あと半分が第二部と第三部に分かれ、上に引いたのは第一部のほぼ最後のところにおかれている文章、生まれてから内外で学び、ニューヨークに戻って新たな出発をするその直前、本格的な音楽活動と自らが納得するところまでの前半生を総括する文章だ。

少なからぬ伝記、評伝、自伝が功なり名を遂げた人物の前半生を中心に記される。本書もその例に洩れないし、一種のサクセス・ストーリーの側面もある。どんなことを考えてきたか。どんな人と出会い、どのように影響を受けたか。何を手にし何を失ったか。そのうえで自分がどうなったのか。その筋道だけならなるほどめずらしいものではないし、定型的にみえなくもない。それでいて、そうした細部こそがおもしろさであり読む価値でもある。

「私は音楽家になろうと決めたのではなく、自分がたどれる唯一の道をたどってきただけだ」(P111)とか、「まず、ピアノの上に時計を置き、近くの机に五線紙を置き、ピアノの前に十時から一時まで座る。実際に作曲するかどうかは問題ではない。もう一つ決めたのは、それ以外の時間には、昼であれ夜であれ曲を書かないということだった。これは、自分の創造力を自分で操れるようにするためだった」(P115)とか、誰かほかの人の本にあってもおかしくはない。後者などレイモンド・チャンドラーを想いおこさないでいることは難しい。ことばにするならすぐ凡庸へと堕してしまうのを了解しつつ、そのむこうにおそらくは実際にそうしたことを現実に生きてきた生身の身体があることを想像することが、フィクションとこうした本との違いとして、ある。

もしフィリップ・グラスなる音楽家を知らなくても、ひとりの人物の成長譚としておもしろいのは事実だ。グラスの音楽について、あるいは現代の音楽、音楽全般についての専門的な記述はけっして多くないし、もしよくわからなかったとしてもひとつのストーリーとしてとらえる分には支障はない。そのうえで、音楽に、20世紀芸術に関心や知識を持っているならところどころにさりげなく配されている固有名と固有名のつながり、あぁ、こんなものがグラスは好き/嫌いだったのか、つきあいがあった/なかったのかというような読み方もできる。もちろん20世紀半ばすぎの諸芸術の状況、それらのうねりの活写という意味での関心も満たされるだろう。ジョン・ケージの『サイレンス』から刺戟をうけ、「大切なのは、芸術作品は単体では存在しないということだ。様式化された存在、様式化された現実であり、人々と、ほかの出来事との相互作用によってはじめて存在する」(P130)と結論するプロセスは、グラスのしごとであろうと、わたしたちが「芸術作品」を考えるうえであろうと、何度でもたちかえることばとしてあるだろう。

自伝である以上、個人的な感慨も多い。なかでもフランスでの師、ナディア・ブーランジェの指導と別れについての記述は記憶にのこる。師と呼ぶ人と出会ったなかで見いだす深みや、そこから離れてしまったことについての悔いといったものを、読み手に喚起せずにはいない。こうした悔いがない人は幸いである――。

音楽は音楽だけあればいい。ことばはいらない。そんなふうにおもう。ことばによる情報が与えられれば、それに引き寄せられて音楽も聴いてしまう可能性が大きい。そのことを了解したうえで、むしろ音楽そのものではなく音楽家を知る、音楽家を聴くというときには、こうした本、自伝や評伝は異なった意味を持ってくる。わたし自身、21世紀になってからのグラスをあまり熱心に聴いてこなかったし関心を持てずにいたのだけれど、少なくとも本書を読むと、その活動のこと、この音楽家がどうしてこうなっているのかは腑に落ちるようになった(ような気がする)。それがいいのか悪いのかはわからない。わからないけれども、一冊の自伝が(読み手に)ひびかせてくれるのは、けっしてひとつの事実だけではない。それはたしかだ。(藤村奈緒美訳)
この記事の中でご紹介した本
フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉/ヤマハミュージックメディア
フィリップ・グラス自伝 音楽のない言葉
著 者:フィリップ・グラス
出版社:ヤマハミュージックメディア
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