偽姉妹 書評|山崎 ナオコーラ(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年8月18日 / 新聞掲載日:2018年8月17日(第3252号)

偽姉妹 書評
型破りの家族の物語 
斬新な視点で軽やかに脱ぎ捨てられる規範

偽姉妹
著 者:山崎 ナオコーラ
出版社:中央公論新社
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多様性は大切、自由に生きていい、ただし「みんな」の思う範囲で――。明るさにコーティングされてはいても、どこか重苦しい空気を作り出しているのは、社会の、そして私たち自身の深いところに根を下ろしている「こうあるべき」という規範だろう。時代が変わり、通常はかつてほどにはあからさまにならないそれも、就職し、結婚し、出産し、家を買う、あるいはそれらをしない、といった人生の場面ごとに、亡霊のように立ち現れてくる。山崎ナオコーラはいつも、そんな規範を斬新な視点で相対化し、ひとつひとつ軽やかに脱ぎ捨てていってみせてくれる。今回は、「偽姉妹」。他人同士のコンビ「阿佐ヶ谷姉妹」と「叶姉妹」に着想を得たという、型破りの家族の物語だ。

宝くじで三億円が当たった地味で真面目な正子、自称アクセサリーデザイナー。壁のない風変わりな家を建て、イケメン夫の茂と暮らしていたが、妊娠中に茂の浮気が発覚して離婚。シングルマザーとなり、心配した姉衿子と妹園子とともに暮らすことになるのだが、次第に息苦しさを覚え始める。「自由な時代なのに、姉妹だけ選べないのはおかしいじゃないのさ」と思いついたのが、姉妹関係を解消し、いつの間にか家に居着いた気の合う友人、百夜とあぐりと新たに姉妹になることだった。

血縁で助け合うべき、恋愛のない人生は寂しい、離婚した女性はかわいそう……。既存の規範を前提としつつ、生身の個人にまとわされる勝手なイメージの何と多いことか。しかもそれが、善意や同情による助言とともに差し出されたりするものだから厄介だ。多くはそのイメージに違和感を覚えたとしても身をなじませてしまうのだろうが、正子は決してそうしない。自他ともに認める「ブス」で安定した職もないシングルマザーでも、結構楽しく生きているし、趣味嗜好は変えようがない。だから、自分の感覚を大切にできる心地よい関係を作り出そうとする。親から、正しくあれ、という名をもらいつつ、その正しさを自ら作ってゆくしなやかさが正子の魅力だ。

物語には本質的な善人も悪人もおらず、登場人物たちに個の輪郭に縁取られた深い苦悩や取り返しのつかない喪失はない。正子は「人間関係というのは、一度紡いだら、細くすることはできても、消すことはできない」と言い、姉妹や夫との関係も、ゆるやかに続いてゆく。規範に縛られることなく、それぞれの関係におけるふさわしい距離を保つことさえできれば、おおよその人間的問題は解きほぐされる、ということなのだろう。終章では、性別も年齢も問わない「偽姉妹」が法的にも認められつつある近未来が描かれるが、他人同士が「強さ」や「正統さ」にまつわる力関係がつきまとう「兄弟」ではなく、「姉妹」になることを受容する世界は、今より少し、生きやすそうだ。

本書で用いられているのは、説明過多にも思われる硬質な文章。そのぎこちなさが、今までにはない関係を作ろうとする、正子の試みの難しさを浮かび上がらせる。すぐには伝わらないし、分かってもらえない。それでも言葉を積み重ねてゆくこと。それが現状を変える力になる。現実にも、殊に「家族のようなもの」をめぐっては、血縁にとらわれない多様な関係を紡ぎ出そうとしているひとたちは多くいて(たとえば、墓友、なるつながりもあるらしい)、その発想の豊かさに驚かされる。そんな現実と物語の世界とが、どのように響き合いながら明日を変えてゆくのか、胸が高鳴る。
この記事の中でご紹介した本
偽姉妹/中央公論新社
偽姉妹
著 者:山崎 ナオコーラ
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「偽姉妹」出版社のホームページはこちら
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