蜜蜂 書評|マヤ・ルンデ(NHK出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年8月18日 / 新聞掲載日:2018年8月17日(第3252号)

蜜蜂 書評
ハチを通じて示される自然と人間 本能と知性とのあいだの葛藤

蜜蜂
著 者:マヤ・ルンデ
出版社:NHK出版
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蜜蜂(マヤ・ルンデ)NHK出版
蜜蜂
マヤ・ルンデ
NHK出版
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二〇〇六年から二〇〇七年にかけて、アメリカでミツバチが大量死した。フィクションではなく実際にあった出来事だ。蜂群崩壊症候群と呼ばれる現象で、ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』によると「二〇〇七年の春までに、実に北半球のミツバチの四分の一が失踪した」。養蜂だけでなく、受粉をミツバチに頼る農業にも大きな影響を及ぼし、ひいては文明の存続まで脅かしかねない深刻な事態である。原因については諸説あるが、農薬や気候変動、単作農業など、人間による環境への介入が大きな要因と考えられている。

『蜜蜂』はこのハチの大量死に着想を得た小説である。物語は、異なる時代と場所に暮らす三人の主人公を軸に展開する。一八五二年イギリスでハチの巣箱を新しく考案しようとする学者崩れの種子商人ウィリアム、二〇〇七年アメリカの養蜂家ジョージ、ハチが完全に姿を消して文明が崩壊した二〇九八年の中国で人工授粉作業に従事する女性タオ。三人を結びつけるのはもちろんミツバチだ。自然と人間、本能と知性とのあいだの葛藤がハチを巡る状況を通じて示される。

ハチは社会的な動物であり、物語のなかでもハチの社会と人間社会とが随所で重ねられ、またその違いが際立たされる。読者のなかには、ウィリアムと同じ時代を生きたマルクスが、ハチと建築家の違いを論じたくだりを思い出す人もいるかもしれない。ハチとは違い人間は、実際に建物をつくりはじめる前に頭のなかでその完成図を描くのだと。実際、マルクスの人間像に象徴される近代のプロメテウス的人間は、自然を人間の意図に沿って恣意的につくりかえてきた。ウィリアムも言う。「ミツバチは私たち人間に服従すべき存在、人間の支配下に置かれるべき存在なのです」。しかし人間は神ではない。完璧な設計図を描くことなどできない。人間中心主義がもたらす悲劇を数多く経験したわれわれは、すでにそれを知っている。また、悲惨な未来を描くタオの章は、環境破壊の帰結をありありと示して近代の人間観に警鐘を鳴らす。

人間は自然と完全に一体化することができる存在ではない。しかしおそらく設計図の精度をあげることはできる。「人間だよ。人間が変わらなきゃ」とジョージの息子、トムは言う。未来の地球、子どもたちに受け渡す地球についての想像力をもつこと、それが変化への一助となる。ミツバチと並ぶ本書を貫くもうひとつの軸は、親子関係だ。ウィリアムを巣箱作りに駆り立てるのは、息子エドムンドに認められたいという気持ちであり、ジョージが家業の拡大を目指すのも、跡取り息子トムのためである。タオは三歳の息子ウェイウェンの将来に希望をかけて、熱心に教育を施そうとする。これらの期待は近視眼的であり、また必ずしも満たされるわけではない――エドムンドは堕落した生活を送り、トムは文学の才能を認められて大学院進学を考え、ウェイウェンは不慮の事故に巻き込まれてタオのもとから引き離される――が、物語の最終部では三つのストーリーが思わぬ形で絡み合い、世代を越えて未来に希望がつながって、明るい読後感を残す。

作者マヤ・ルンデは、一九七五年生まれのノルウェー人作家。ヤングアダルト小説や脚本などの領域で数多くの作品を発表しており、その背景はエンターテイメント性の高いリーダブルな文章と巧みな構成にも存分に活かされている。フィクションだからこそ伝わる現実がここにある。(池田真紀子訳)
この記事の中でご紹介した本
蜜蜂/NHK出版
蜜蜂
著 者:マヤ・ルンデ
出版社:NHK出版
「蜜蜂」は以下からご購入できます
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