ゲノム編集と細胞政治の誕生 書評|粥川 準二(青土社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月18日 / 新聞掲載日:2018年8月17日(第3252号)

BTとELSIをめぐる思考への扉を開く 
平易な技術解説と明晰で具体的な論点整理

ゲノム編集と細胞政治の誕生
著 者:粥川 準二
出版社:青土社
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iPS細胞やゲノム編集などバイオテクノロジーの展開は目まぐるしく、それに応じて「ELSI(倫理・法律・社会的問題)」も複雑多岐にわたっている。もはやその解決を生命科学者や生命倫理学者だけに任せられる段階は過ぎ、それゆえ市民も交えた「科学技術コミュニケーション」「公共の論議」の必要性には頷かざるをえないと思われる一方で、当の「市民」としてはバイオテクノロジーの先進性とELSIの複雑性が強調されるほどに、かえってそれを「わがこと」として考えることが億劫にもなる。しかし本書を繙くなら、そうした「敷居の高さ」はずいぶん解消されるに違いない。本書が想定する読者は主に“生命科学の社会的含意に関心を持つ人文社会系の学問に取り組んでいる者”とあるが、著者の平易な技術解説と明晰で具体的な論点整理は、広く一般の読者にもバイオテクノロジーとELSIをめぐる思考への扉を開くものとなっている。よき案内人は有り難いものだとあらためて思う。

著者は第一部でまず、「iPS細胞には倫理的な問題はない」という――かの山中伸弥も否定するのに世間では流布している――解釈の妥当性を質し、技術が適用され生まれてくる子どもの同意不可能性に注意を促す。次いで「STAP細胞事件」の忘れられた、しかし重要なELSIを検討し、さらにヒト胚研究の規制(「一四日ルール」)緩和をめぐる論争については、かつて規制の根拠とされたはずの「痛み」という論点の欠落を指摘する。そこに一貫するのは、「語られていること」の周縁や背後にあって真に「思考されるべきこと」を明るみに出そうとする姿勢であり、そしてそのことが本書に、単なる解説書にはない批判的な奥行きを与えている。

第二部では、人間の生殖細胞系ゲノム編集に生命科学者がモラトリアムを唱え、生命倫理学者がそれを批判するという“奇妙なねじれ”が論じられる。対立はしかし見かけ上のことであり、いずれ両者は「治療」を理由に手を結びかねないという指摘は、論争の丹念な検討とあいまって説得力をもつ。生命倫理の実態を示す一例としても興味深い。また続く二つの章では、ゲノム編集など先端医療技術の規制がそれを回避するメディカルツーリズムを促進するという、国際的な経済格差とも絡んだ難問が示される。グローバル化するELSIにどう対処するのか、著者の懸念は決して杞憂ではないだろう。論文集のため技術解説には重複もあるが、その分、わかりやすさは増している。

他方、本書で惜しまれるのは、序章で「細胞(生物学的)政治(cell biological politics, cell-politics)」を論じながら、その視点から全体を総括するような「終章」が欠けていることである。フーコーの言う生権力がいまや細胞レベルで展開されているのはその通りだろう。だがその問題提起に対する回答は、例えば第二部では「規制体制の構築と社会的コンセンサスの形成が不可欠」「情報環境の整備が急務」といった、ことさらフーコーや「細胞政治」を持ち出さずとも導かれるものにとどまっている。そしてそのために、せっかくの序章の問題提起が宙に浮いたまま議論が閉じられている印象を否めない。

折しも「DIYバイオ」なるものの特集番組があった。いまや遺伝子改変は「日曜大工感覚で気軽にできる」ようになり、趣味として楽しむ人が増えているという。「遺伝子改変はブロック遊びのようなものさ。好きなように変えられて、いろんなことを学べるんだ」と語る中学生もいた。バイオテクノロジーが「大衆化」する時代――もしそうなら、従来の「市民」モデルの「科学技術コミュニケーション」「公共の論議」という解決策はこれからも有効なのだろうか。その意味で、著者が「細胞政治」に着眼した意義は大きい。またそれゆえに、書かれなかった「終章」に代わる著者の思想が、機会をあらため世に問われることを望みたい。
この記事の中でご紹介した本
ゲノム編集と細胞政治の誕生/青土社
ゲノム編集と細胞政治の誕生
著 者:粥川 準二
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ゲノム編集と細胞政治の誕生」出版社のホームページはこちら
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