山崎聡子『手のひらの花火』(2013) さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2018年8月28日 / 新聞掲載日:2018年8月24日(第3253号)

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール
山崎聡子『手のひらの花火』(2013)

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花壇におしっこをするという描写は飯田有子の短歌にも出てくるのだけれど、意外と経験したことのある女性が多かったりするのだろうか。『手のひらの花火』は過去の記憶がふいに映像として蘇るような瞬間を、見事にとらえてみせた歌が印象的な歌集である。

このおしっこはたぶん、幼少時に人目を忍んで密かに行ったことなのだろう。「花壇でおしっこをした」といういつかの記憶は、自分の心の中だけの秘密としてずっと胸の奥に残り続けてきた。泳ぎが下手でなんとか息継ぎをせずに泳ぎ切ったクロールの記憶も、夏とともにふと蘇ってきたりする。ただこれだけのことで、「息継ぎをしないクロール」の息苦しさが読者の想像力を刺激してくる。でも息継ぎもせずに泳ぎ切れたのだとしたら、たぶん今では信じられないくらいに短い距離だったのかもしれない。

そしてそういった遠い記憶に対して「さようなら」と別れの言葉を呼びかけている。このように連続した呼びかけを含む構造の短歌はしばしばみられるのだが(有名なところでは穂村弘の「ハロー夜。ハロー静かな霜柱。ハローカップヌードルの海老たち。」とか)、音数の問題的に俳句ではできなさそうだ。

花壇でおしっこをしたことは、たぶん誰にも知られていない。「私」とせいぜい花壇の花しか見ていないはずの事実。後から誰か気づいたとしても「私」のおしっこであることはわからない。甘やかで孤独な秘密の象徴としてのおしっこである。
この記事の中でご紹介した本
手のひらの花火/短歌研究社
手のひらの花火
著 者:山崎 聡子
出版社:短歌研究社
以下のオンライン書店でご購入できます
「手のひらの花火」出版社のホームページはこちら
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