クルアーン入門 書評|松山 洋平(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月25日 / 新聞掲載日:2018年8月24日(第3253号)

クルアーン入門 書評
イスラム神学・法学を内側から解明する

クルアーン入門
著 者:小布施 祈恵子、後藤 絵美、下村 佳州紀、平野 貴大、法貴 遊
編集者:松山 洋平
出版社:作品社
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編者の松山洋平氏らをはじめとする若い世代のイスラム研究者による、イスラームの聖典・クルアーンへの手ほどきの書。信仰がなくても、アラビア語がわからなくても、門外漢の素人でもわかりやすい。嬉しい一冊である。

アラビア語ができるだけで、信仰のないままイスラムを研究する人びとが日本では多かった。それが、ムスリムの中田考氏の登場を機に、イスラムに内在しようとする本格的な研究が増えてきた。本書も、イスラム神学やイスラム法学を内側から解明する論考が揃っている。研究の質と層と幅が急速に拡充しつつあるのは喜ばしい。

主な論点をあげてみよう。まず、クルアーンの特異な性質。ムーサー(モーセ)のタウラー(トーラー)もイーサー(イエス)のインジール(福音)も、アッラーの啓示ではある。が、それらは不完全で、人間の手が加わっている。それに対してクルアーンは、すべてが一人称で語る神(アッラー)の言葉。紙やインクは被造物でも、読誦する舌は被造物でも、クルアーンの言葉そのものは神のもので、被造物ではない。世界のなかでクルアーンは、特別なものだ。だから翻訳もできないし、書物のクルアーンに手で触れる際の、清浄規定も必要なのである。

つぎに、他宗教との関係。シナゴーグや教会堂を、モスクと同様に保護の対象となる。宗教税を払えば、ユダヤ教やキリスト教の信仰を守ることもできる。それどころか実際には、ゾロアスター教や仏教も尊重される場合が多い。

イスラムはイーサー(イエス)をどう考えるか。イーサーは、マリヤム(マリア)の子で、預言者として生まれた。神(アッラー)への帰依を説き、命を狙われ、アッラーの手で生きたまま天に上げられた。十字架では死ななかった。終末のとき再臨して最終戦争を戦い勝利すると、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラムに帰依する。そのあとイーサーは死去しマディーナ(メディナ)に埋葬される。イーサーはムハンマドの出現を預言したとされる、イスラムの重要な預言者である。イスラムは、神の唯一性(タウヒード)を強調し、神の子を認めず、もちろん三位一体説は採らない。

タウラー(トーラー)やインジール(福音)はなぜ、人の手が加わっていると言えるのか。ユダヤ教には、文字テキストであるモーセ五書のほかに、口伝のトーラーがあり、口伝をまとめた、トーラーの注釈であるミシュナ、そのまた注釈であるタルムードを根本規範としている。だがこれら口伝は、アッラーからのものでなく、ラビたちの手になるものだ。キリスト教は、福音書を神の言葉とするが、それはイーサーの語るアッラーの言葉のほか、人間が書き加えた地の文にまとわれている。パウロの書簡はむろん、アッラーの啓示とは関係ない。よってどちらも、クルアーンに比すべくもない。

本書が紹介するこうしたイスラムの論理は、世界中のムスリムには自明のものだというが、キリスト教世界でも、日本でも、あまり知られていない。だが、キリスト教文明圏とイスラム文明圏の相互関係を理解し、今後の国際社会のゆくえを占ううえでも、基本になることがらだ。こうした知識なしに、世界を考え日本の進路を思案するのは、危ういことこの上ない。

情報があふれればあふれるほど、情報は無価値なゴミになっていく。人びとは情報で動くのでない。思考と行動の根幹は、歴史と伝統で磨き抜かれ、多くは宗教のかたちをとった、意味と価値とでできている。世界を生きる人びとの意味と価値とを、わがことのように体得すること。学問はかくありたいのもである。
この記事の中でご紹介した本
クルアーン入門/作品社
クルアーン入門
著 者:小布施 祈恵子、後藤 絵美、下村 佳州紀、平野 貴大、法貴 遊
編集者:松山 洋平
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
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