つい昨日のことーー私のギリシア 書評|高橋 睦郎(思潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年8月25日 / 新聞掲載日:2018年8月24日(第3253号)

つい昨日のことーー私のギリシア 書評
すべての主題を呼びよせる 
なにごとも遠景におかないということ

つい昨日のことーー私のギリシア
著 者:高橋 睦郎
出版社:思潮社
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高橋睦郎は、世代や流派のつながりからは自由に仕事をつみかさねてきた詩人だ。第一詩集『ミノ あたしの雄牛』(一九五九)が出る前からも入れると七十年近いことになるらしいその詩歴は、『続続高橋睦郎詩集』まで出ている三冊の思潮社版現代詩文庫で、ほぼ全容を追うことができる。この詩人の何に驚くべきなのか。私は、外へと開かれたスケールの大きさと、言い方はわるいかもしれないが「自己愛」とのバランス、そこに息づく格調が、他の詩人にはマネできないものとしてあると思う。格調、それはこの詩人が若いときに身をおいた文化的環境から得たという以上に、そこにあった速度を緩やかにしてあらたに生みだしたものだろう。

前世紀からこの世紀へ移ったところで『柵のむこう』(二〇〇〇)や『恢復期』(二〇〇一)といった詩集の作品群が、まさに格調ある文明論を行間に忍ばせて輝きをもち、私たちの詩をいわば「おとなの仕事」の領域でリードしていたことは、まだ記憶に新しい。

詩人は、そのあとも休むことなくますます意欲的である。そして彼の読者なら唐突に感じたりはしないことだろうが、ある時期から抱いた古代ギリシアについての思いを、このところつよくよみがえらせていた。本書は、あとがきがわりのエッセイ「私とギリシア」から言葉を拾うと「古代ギリシアとの出会いから始まった私の詩作生活の、七十歳代終わりまでの一応の総決算というほどの心づもり」の、それだけで一五〇頁近い、一五一章からなる書き下ろしの「つい昨日のこと」連作に、付録的な三つの詩篇を加えた構成。全体を味わうべきだが、主要部「つい昨日のこと」が格闘を迫るものだ。

冒頭の「一九六九年初夏」は八行の詩。その後半四行がまず感じさせる。「はるかピレウスからの海風に 思わずもうつらうつら/うたたねのめぐりで 世界は柔らかそのものだった/柔らかい世界に包まれていると 何でも出来る気がした/若かった とにかく若かった/つい昨日か一昨日のことだ」。この簡素な表現が確かめている幸福感。正直なところ、一九六九年、世界の若者たちの現実にどんな風が吹き荒れていたかを思い出して一瞬躓きかけたが、そんなこだわりを一蹴するような時間感覚がここにはあると思いなおした。このあとには紀元前三九九年に飛び、そこにある声も「つい昨日 でなければ一箇月前のことのように」響くのだ。

一字アキを使った長めの行を揃えていく書き方は、安定感と周到さの一方で、実験性や冒険性は感じさせない。次から次に出てくる固有名詞をめぐる挿話の処理に追われて、語りが窮屈になるところもある。しかし、そうしたことを補うに余るものがあるとしたい。

詩人自身とは別な語り手、つまりは古代ギリシアに生きる人物が語りはじめると、それぞれの古典における役割を、意表を突くように揺さぶるユーモアがたちのぼる。そこが楽しい。二十一世紀の作品であれば当然なことかもしれないが、「古代」に「現代」からの諧謔が突きつけられるのだ。

時間とギリシアをある意味では便利な装置にして、気がつけば詩人はここで格調高く、共鳴する先行文学者とともに、若さと老年、生と死、この世とあの世、そのあいだで人がぶつかる主題のすべてを呼びよせている。熟読したあとにはテーマ辞典として活用することもできそうだ。

ヘレニズム。西脇順三郎のような、能天気な抜け方がないのが、高橋睦郎のそれだが、揶揄するように呼びおこされている三島由紀夫のそれよりは断然いい。自分の生きる現実を忘れていない。

すべてを「つい昨日のこと」と感じる。なにごとも遠景におかないということになる。「柔らかい世界に包まれていると 何でも出来る気がした」。これがいい。くちずさむと祝福と感謝の気持ちがあふれてくる。
この記事の中でご紹介した本
つい昨日のことーー私のギリシア/思潮社
つい昨日のことーー私のギリシア
著 者:高橋 睦郎
出版社:思潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
「つい昨日のことーー私のギリシア」出版社のホームページはこちら
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