藪内亮輔「花と雨」(2012) うざいだろ?それでいいんだ蒼穹(おほぞら)にゆばりを流しこんでる。神も|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2018年9月4日 / 新聞掲載日:2018年8月31日(第3254号)

うざいだろ?それでいいんだ蒼穹(おほぞら)にゆばりを流しこんでる。神も
藪内亮輔「花と雨」(2012)

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「ゆばり」とは尿の雅語である(「ゆまり」ということもある)。とはいっても近代短歌になってはじめておしっこを歌の題材として詠もうとしたときに、婉曲化のために用いられた人工的な雅語といえる。古典和歌で糞尿がモチーフとなった例はほぼない。万葉集第十六巻の忌部首の歌「からたちのうばら刈りけ倉立てむくそ遠くまれくしつくる刀自とじ」くらいだろう。「まる」は排泄を表す古い動詞で、「からたちの茨を刈って倉を立てようとしてるんだから、櫛づくりのおばさんよ、うんこは遠くでしてくれ」という歌。もともと宴席のジョーク的な歌で、第十六巻にはこうした戯れ歌が多く入っている。

「うざい」は多摩弁に由来する若者のスラング。雅語と現代のスラングが同居していることがこの一首の妙味で、雅俗一体とでもいうべき境地を切り開いている。作者は若手歌人としては珍しく古典和歌にルーツを持っていながら、ときにスラングも導入する奔放な作風をみせる。「流しこんでる」というい抜き言葉や、句点を打ったあとに「神も」を持ってくる大胆な倒置法も、どことなく俗の気配を漂わせる。

神が大空に流しこむ「ゆばり」。それはすなわち雨のことだろう。雨を神様のおしっこだと捉えること自体は決して珍しくないかもしれないが、「雅語/スラング」「自然物/排泄物」というように、異質なものをぶつけ合うことで作者一流の「悪意の美学」があらわれている一首である。
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