火ノ刺繡 書評|吉増 剛造(響文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月1日 / 新聞掲載日:2018年8月31日(第3254号)

「モノの輝き」を幻視する 
眼に見えない元素で一針一針編まれた刺繡

火ノ刺繡
著 者:吉増 剛造
出版社:響文社
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火ノ刺繡(吉増 剛造)響文社
火ノ刺繡
吉増 剛造
響文社
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かつてなく暑い七月の終わりに、わたしは『火ノ刺繡』をもって下北半島の霊場をめぐる旅にでた。

一見、旅の読書には不向きな書物だ。一二四四頁ある紙の束を、近年の吉増剛造さんが制作している美術作品「火ノ刺繡」が表紙としておおう。吉本隆明の「日時計篇」の詩を毎日書写した吉増さんが、ジャクソン・ポロックのように、その原稿用紙の上へさまざまな色のインクを垂らし、飛び散らし、跳躍させた痕跡を残した作品である。その表紙にクリーム色の紙がカバーとして巻いてあり、さらにうすい半透明の和紙が帯としてついている。表紙の「火ノ刺繡」は厚手の紙に色鮮やに印刷されていて、一冊一冊を手で装本したのか、表2と表3のところで折り畳んで糊づけしてある。並製といえると思うが、誰かが丁寧に折っていった折り紙か紙細工のようにも思える。

下北半島を北上する鈍行のなかで、ふたたび『火ノ刺繡』を開いた。横に寝そべって本を開くときが、至福の読書時間であるのだが、この書物はあまりに重くてそれができない。それで、列車のなかでひざの上にお弁当箱のように開いて、読み進めることにした。二〇〇八年から一七年までの十年間に、吉増さんがおこなった講演、対話、鼎談、書評、追悼文、日記などが編年体で並べてある。一冊として編まれると、これらすべてが詩人の声として、あるいは心の声のようにして聴こえてくるから不思議だ。厚手の書物であるのにスラスラと読めてしまう。

下北のやわらかい陽光のなかで、陸奥湾の浜を見やりながら、『火ノ刺繡』というオブジェを掌のなかでこねくり回していると、何年も前に亡くなった大伯母さんのことが思いだされた。かわいらしい人形をつくるのが好きで、正月やお盆に会うと決まって、日本人形のような本格的なものから、織り物の端切れでつくった和人形、厚手の和紙で折った紙人形までを見せてくれた。「ゴッホ自身もね、織物の色へ驚いている姿というのはかなりはっきり言っていますね。(…)なんにでも全力でビックリする人だけどさ」と吉増さんはいう。そうやって、研究者のように「絵のなかに差している外部からの光」を見つけるのではなく、「画家の眼の光」のほうを詩人はつかまえる。全力で驚き、ヴィジョンを見聞きすることはこの詩人の本領でもある。そんな風につらつらと考えているとき、『火ノ刺繡』の書物が大伯母さんの紙人形と重なってきて、伯母さんが子どものいない夫婦だったことを思いだして、アッと息を飲んだ。

恐山ではイタコさんに亡き人をおろしてもらってから、硫黄のにおいで満ち、火山性ガスが噴出する岩場を歩いていった。以前は感じなかったが、草履に亡き人の名前を書いて柵に結んだり、亡き子があの世でも遊べるように風車を並べたりといった行為には、仏教や地蔵信仰よりもずっと根深いものがあるだろう。恐山の岩場や浜はまっ白い風景であるのに、三途の川の橋や風車によって他界は色彩豊かなイメージで捉えられている。それが小脇に抱えた『火ノ刺繡』の表紙が放つ光と重なってくる。地蔵堂の裏手にある山の麓には、手ぬぐいを丸く結って樹木に引っかけ、草履に名前を書くことで、亡き人の面影がそこら中に出現している。お酒やお菓子を供えるのは、好物を供えて名前を呼ぶと霊魂がおりてきて再会できると信じられるからだ。詩神に恵まれないわたしには、夢のなかの声も聴こえないし、白昼にあらぬもののヴィジョンが到来することもない。しかし、この霊場の土地の力によって、眼に見えないものを感応する力を少しだけ鍛えることができた。

たとえば、それは切り通しのような場にもある。岸田劉生が描いた「道路と土手と塀」という有名な絵があるが、それは近代化のときに道路や線路を通すために拓かれた代々木の風景であった。霊場までいかなくても、吉増さんには「血を流すように土を切り拓いて、赤土が顕わになって盛り上がって、……間違いなくそれに驚いている岸田劉生の眼がある。ユッケ(육회)が露出したのよ、土の血が、……」と、岸田が描いた切り通しの風景を、その土地が裸形をむきだしにした姿だと見抜いている。

吉増さんが、詩作や他の創造行為において一貫して探求している、この「見る行為」とはいったい何だろう。『火ノ刺繡』では各界の一流の表現者たちと対話しながら、イェイツ、ゴッホ、北園克衛、レヴィ=ストロース、西脇順三郎、萩原朔太郎など古今東西の芸術家や思想家を論じている。その「論」は何かを論証するのではなく、作品のなかにある「モノの輝き」を幻視することで、亡くなった作者が五感で感じていたであろう声や歌、色や光、身振りや身体を背後に発見し、驚く行為としてある。そして、その驚きのすべてが逆流して吉増さんの詩作に流れこむ。そのような意味では、『火ノ刺繡』は詩人であろうとし、詩を書こうとする人が、死者と対話しながら、眼に見えない元素で一針一針編みつづけてきた刺繡の集成なのだといえる。
この記事の中でご紹介した本
火ノ刺繡/響文社
火ノ刺繡
著 者:吉増 剛造
出版社:響文社
以下のオンライン書店でご購入できます
「火ノ刺繡」出版社のホームページはこちら
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