やいばと陽射し 書評|金 容満(論創社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月1日 / 新聞掲載日:2018年8月31日(第3254号)

南北分断七〇年という時間の 
重みを改めて感じさせる作品

やいばと陽射し
著 者:金 容満
出版社:論創社
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やいばと陽射し(金 容満)論創社
やいばと陽射し
金 容満
論創社
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今年の四月、一〇年半ぶり三回目の南北首脳会談が板門店で行われた。北朝鮮の最高指導者が軍事境界線を越えるのは、一九五三年に朝鮮戦争の休戦協定が結ばれて以来はじめてのことだ。徒歩で韓国入りし、出迎えた韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と握手を交わす北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の姿は、新しい時代の幕開けを予感させるものだった。

本書は対南工作を専門とする特殊部隊による青瓦台襲撃未遂事件、蔚珍・三陟武装ゲリラ侵入事件が起きた翌年、一九六九年の韓国が舞台となっている。著者のあとがきでも触れられているが、著者は警察官として韓国各地で勤務した経験を持つ異色の作家だ。ソウル警察庁時代に担当したデモ鎮圧、留置施設勤務で出会った連続殺人犯とのエピソードなど、警察官の視点から捉えた時局や事件をモチーフに多くの作品を生み出した。

本書もやはり、著者が船の立ち入り検査を行う臨検所に勤務していたときに出会った本物の武装ゲリラの男との思い出がモチーフになっている。吹雪が激しく舞う夜、包囲網を破って北上していた男は空腹に勝てず、民家に忍び込む。釜に残っていたご飯を食べて眠り込んでしまい、住人に見つかるが、持っていた拳銃を撃たずに住人へ渡してしまう。当初は自首に間違いないと思われていたが、裁判で新たな論争が起きる。風呂敷に包んで置かれていたご飯は、山に残された仲間の武装ゲリラに持っていくつもりで用意したのではないか。だとしたら、自首とは相反する逮捕が妥当なのではないかというものだ。

著者が現実に出会った武装ゲリラの男は、この真相を著者にだけ告白してくれたという。その男が、本書で自分は逮捕されたのだと言い張る主人公の武装ゲリラ、スンテのモデルになっている。だとすると、自首と逮捕では量刑に大きな差が出るからと秘密を守り、その男をかばった当時の著者が、本書でスンテの取り調べを担当する警察官のドンホといったところだろうか。

万人が幸せな世の中を作りたいという純粋な気持ちから、赤化統一を目指す革命戦士として闘っていたスンテと、自首するつもりは一切なかったと言い張るスンテの供述に疑問を感じ、最後まで彼の人間性を信じたドンホ。二人は田舎の刺身屋の主人、建設会社の代表という姿で三四年後に再会を果たす。当時の懐かしい人たちが集まった酒席でスンテは語る。「南も北もすべて堕落しているが、それには違いがある。北は罪で、南は野卑だ。罪とは分別のない偶然の堕落だが、堕落の本質を知らずに陥っているから純粋だと解釈することもできる。野卑は分別のある意図的な堕落であるため狡猾だ」と。捕まった人、捕まえた人、捕まえようと協力した人という立場を超えて、三四年という時を超えて、南と北という境界を超えて、男たちは自由に語り合いながら、ただただ酒を酌み交わす。イデオロギーの多様性と人間性の尊重が実現したその席には、争いも敵味方も存在しない。

「やいば」は南北の理念対立を、「陽射し」は南北の融和を暗示しているわけだが、著者は南北分断に対する自身の見解、理念が希薄になっている資本主義社会への批判、異なる思想に生きる者たちの対話による相互理解を物語に盛り込むことで、「陽射し」に必要なものを文学的な見地から提示している。南北分断七〇年という時間の重みを改めて感じさせ、相容れないという言葉は安易に使ってはいけないのだと気づかせてくれる作品だ。(韓成禮監訳、金津日出美訳)
この記事の中でご紹介した本
やいばと陽射し/論創社
やいばと陽射し
著 者:金 容満
出版社:論創社
以下のオンライン書店でご購入できます
「やいばと陽射し」出版社のホームページはこちら
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