十四番線上のハレルヤ 書評|大濱 普美子(国書刊行会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月1日 / 新聞掲載日:2018年8月31日(第3254号)

十四番線上のハレルヤ 書評
現代的な感覚を秘めた贅沢な作品集 
現実離れした細部にこそリアリティが宿る

十四番線上のハレルヤ
著 者:大濱 普美子
出版社:国書刊行会
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二〇一三年に作品集『たけこのぞう』を刊行した作者による、待望の第二作品集である。

静謐な日常を描いていると見せながら、いつの間にか不穏な領域に踏み込んでいる独特の味わいのある作品は、書きぶりがより研ぎ澄まされている。描かれる日常はあらかじめ幻想的であり、現実離れした細部にこそリアリティが宿っている。

そのことがよくわかるのは、この中短篇を六つ収めた作品集で、冒頭に置かれている中篇「ラヅカリカヅラの夢」だろう。作者は一人称に近い三人称で、海と山が迫る小さな町に住む人々を、群像劇の手法で描き出す。地方都市から交通機関で半日ほどかかる「国内の異郷」とも書かれるその町は、顔見知りと噂話で人間関係が完結するような場所だが、だからこそそこでは口語が二重性をもち、幻想と日常は紙一重である。

本来なら閉じたまま見えない町の様子を浮き彫りにする役割を担うのは、数年前に引っ越してきた女性「米子」だ。たとえば彼女の仕事は「ヤクシャ」だが、噂話でそれは「役者」と変換され、顔見知りになれば「訳者」とわかる。「米子」を「役者」と思っている人は幻想を見ているが、しかしそれは町の日常だ。そうした日常と幻想の境目はあちこちにある。

ぼろぼろのアパートに住む「米子」の下の部屋には、「お子守」とも「お籠もり」ともつかない「オコモリ」さんが住み、食堂に入ると「白石の奥さん」を意味するらしい虚言症の老婦人「シラオクサン」と出会う。また町随一の文化的施設であるジャズ喫茶「青帳面」に行けば、博識で知られる長老「ハクジイ」が居る。「ハクジイ」は町にまつわる河童の親戚「ザッパ」や幻の鳥「ミエナイワ」といった怪しい伝承を教えてくれて「ホラジイ」とも呼ばれるが、町外れの墓地で実をつけるという「ラヅカリカヅラ」もそんな話のなかで出てくる。

おかしな町のおかしな植物の話なのに奇妙なほどのリアリティがあるのは、それが前作『たけこのぞう』から引き継がれた登場人物と言える、結婚も出産もしない「米子」の欲望にありありとかたちをあたえているからだ。だから身軽で自由な「米子」の生き方に読者が寄り添えば、不自由な因習に満ちた町の怪しい伝承も信じられてくる。そうして幻想と日常が混沌としていく作品のなかで、作者は人間的な真実を手探りしているのである。二篇目の中篇「補陀落葵の間」もそうだ。

母親が再婚した相手の連れ子だった同級生の女の子と、母親が相続した元旅館の建物で母親と三人で暮らす、中学生の「私」が語り手である。その設定じみた家族像が必然性をもつと感じられるのは、作中に挟まれる旅館の部屋に残された女性の思念が、現代に生きる「私」の感覚と重なってくるからだ。またそこに四篇目の中篇「鬼百合の立つところ」と通じるものがあるとすれば、さしたる疑問をもたずに結婚して出産するという生き方ができる同性に違和感をもつ女性が抱える、生きづらさの感覚だろう。

こうした現代的な感覚を秘めた中篇を、外国を舞台にした表題作「十四番線上のハレルヤ」や近未来を描いた「劣化ボタン」のような鮮やかな短篇が彩る。知恵遅れの少女がそのまま老女になったらしい世界を描く短篇「サクラ散る散るスミレ咲く」は、今村夏子の作品の繊細な感覚にも通じるが、現代の慌ただしい時間の流れと一線を画した言葉の選び方が、鋭く現代に肉薄していると感じさせる。読みごたえのある、贅沢な作品集である。
この記事の中でご紹介した本
十四番線上のハレルヤ/国書刊行会
十四番線上のハレルヤ
著 者:大濱 普美子
出版社:国書刊行会
以下のオンライン書店でご購入できます
「十四番線上のハレルヤ」出版社のホームページはこちら
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